中田英寿をトップレベルに押し上げたプロセス

中田英寿氏は8歳のとき、「キャプテン翼」の影響でサッカーを始めた。当時はまだJリーグが存在しておらず、プロになりたいとか、ワールドカップに出場したいと思って始めたわけではなく、ただ純粋にサッカーを好きになり、そしてのめり込んだ。

中田氏は自身のことを、「足は速くないし、身体も強くない。サッカーが下手だった」と語る。年代別の日本代表に初めて入った頃から、どのチームでも控え選手としてからのスタートだった。そうした中で、どうすれば自分は試合に出られるのか、レギュラーを勝ち取ることができるのかを常に考えてきた。

自分や周囲の選手の強みを分析し(状況分析)、どうすれば自分が周囲の選手に勝てるかを考え(問題設定)、そのための練習方法を自分で考えて解決する(問題解決)。この一連のプロセスを、子どものころからずっと繰り返してきたという。

こうして、サッカーを始めてから10年、中田氏はプロサッカー選手となったのだった。

その後、イタリア・セリエAやイングランド・プレミアリーグ、そして日本代表での活躍は、多くの人の知るところだろう。プロになってからも、この「状況分析→問題設定→問題解決」を繰り返し、「自分が生き残る術」を考え抜いてきたからこそ辿り着いたポジションだった。

仕事と捉えない好きなことを突き詰める中田英寿の現在

現役引退後、中田氏は自分の“好きなこと”を探し続けた。そして10年が過ぎた今、日本の文化を知ることから広がる世界に辿り着いた。

「僕は人生でただ“好きなこと”をずっとやってきているだけで、ビジネスをしようとか、お金を稼ごうとしてやっていることは、実は一つもありません。今も『職業は何?』と聞かれると、これで飯を食っているというものは正直ありません。もちろんそうした中でお金を稼いでもいるわけですが、明確なのは自分が好きでないことは一つもやっていないということ。仕事として捉えていない。好きなことをやっていて、楽しいから興味がある。どんなにいいビジネスになりそうな話があったとしても、自分がつまらないと思ったら興味はありません」

中田氏は、現役引退後、すぐに世界各地を回る旅に出た。

「“好きなこと”を見つけるというのはすごく難しい。そこにたどり着くまでに時間が掛かります。サッカーをやめて世界に旅に出たのも、サッカー以外に何も知らなかったからです。“好きなこと”を見つけるには、まず何があるか知らなくてはいけない。自分が知っていることや経験してきたことからしか得られない。選択肢を広げるために世界中を回りました。その結果、一番思わされたのが、自分が海外に行くと必ず“日本人”として見られるにもかかわらず、自分自身は日本のことを何も知らなかったことです」

さまざまな国を訪れ、「自分が“日本人”なんだと認識させられた」と言う中田氏は、自分には日本人という“殻”があるにもかかわらず、一生涯自分を纏うその“殻”を知らない。それはいわば「自分の家族のことを何も知らないのと変わらない」と考えるようになった。そして、「これはおかしい」と考え、日本のことを勉強することに決めた。

そこから約7年かけて、1台の車で20万キロもの距離を走り、全国47都道府県を巡った。そこで出会ったのが日本酒、伝統工芸などの日本文化だった。

数年前まで日本という素材は世界市場で見られていなかった。だが近年、和食の浸透やインバウンド増加により日本文化が注目されている。

世界で求められ始めてきた日本文化を展開することで、いろいろな人のためになる。日本中を旅する中でそれに気付いた。海外生活が長く日本人で良かったと思えたいくつもの体験から生まれた純粋な気持ちからだった。中田氏はこうして、自分の“好きなこと”を見つけたのだった。

日本酒を世界に展開するために。中田英寿が考えること

日本全国を巡ることで、国内、そして海外にまだ広まっていない多くのブランドが存在することを知った。例えば日本酒の酒蔵は、日本全国で1200~1300ほどあり、ブランドは数千種類もある。しかし、そのうち10以上知っている人は、日本人でもそうはいない。海外であればなおさらだ。

ブランドを知らなければ、購買に繋がらない。業界としても大きくならない。だが今や日本食レストランは海外でもどんどん増えており、日本酒の市場はグローバルに展開している。これから市場が大きくなろうとしている中で、ブランドが知られていないということは大きな問題だと感じたと中田氏は言う。日本人ですら知らない、読み方が分からない銘柄がいっぱい存在する。当然、外国人が読めるわけがない。

そこでまずは商品名を海外の人にも知ってもらうために、2014年日本酒情報検索アプリ『Sakenomy(サケノミー)』を開発した。日本酒のラベルをスマホで撮るだけで、アプリに内蔵されている日本酒情報を閲覧することができる。海外の人でも商品名がわかり、どんな商品かを知ることができる。そうなれば、自分で商品を選んだり、購買に繋げることができる。これまで“ブランド”が無い中でも海外で数百億円規模の市場となっていたが、“ブランド”が生まれることでさらに大きくなることだろう。

また中田氏は、「日本酒の正しい保存方法は意外と知られていない」と話す。多くの酒蔵では日本酒をマイナス温度で管理しているにもかかわらず、一般的には冷蔵庫や常温で保存されることが多い。だがそれではすぐにクオリティーが悪くなってしまう。

そこで、日本酒セラーの開発も手掛けた。商品を作ることによって、正しい保存方法の情報を広く伝えることができるのではないかという思いからだった。中田氏は「ワインの世界でもワインセラーがなければ同じ問題が起きていたと思う。ワインセラーという商品が作られたことで、市場にワインの正しい保存方法の情報を広く伝えることができた」と考えたのだ。「商品を作ることによって、業界を変えることができる」という中田氏の想いを体現する形となった。

「日本酒もそうでしたが、今、日本の伝統産業はどんどん衰退していっています。情報が無いからより良いものが分からなくなる。どこで買えばいいかも分からない。だから一番手軽な安いものにいってしまう。そうした状況を変えていくことが大事なのかなと。今だったらAIなどテクノロジーを使うことによって、日本の伝統産業はグローバル化しやすく、ビジネスとして成り立たせることができれば、日本の文化をもっと知ってもらうことができると考えています」

こうして、中田氏は現役時代と同様に、“好きなこと”で「状況分析→問題設定→問題解決」を繰り返している。サッカーを始めて10年でプロサッカー選手への道へと辿り着いたように、奇しくも引退から約10年の歳月を経て、日本酒をはじめとした日本文化を世界に発信するという道を見つけたのだった。

全ては皆が幸せになれるための仕組みづくり

日本酒に関わっていく中で、なぜ中田氏は自身の好きな味を追い求め、自分の酒蔵を造ることをしなかったのだろうか。その理由についてこう述べた。

「商品というのは、良い悪いにこだわらなければ、誰にでも作ることができます。だけど、誰でもできることではないのは、世の中の人が使う仕組みをつくりあげること。日本中の酒蔵がこのシステムを使うことで、商品を海外の人にも知ってもらうことができる。ブランディングにもなり、売り上げを伸ばすことができる。僕がこういうことをやっているのはビジネスのためじゃなくて、こういうことが楽しいからです。“楽しい”というのは、1人だと小さい。でもいろんな人と一緒に楽しむことができると、何倍も楽しくなる。共有できる仲間がいればいるほど、どんどん楽しくなってくる。だから僕は、商品を作るよりも、仕組みをつくる方が好きなんです」

自分好みの日本酒を作ったとしても、嬉しいのは自分だけ。“中田英寿”プロデュースの冠を付ければ、ビジネスとしてはある程度の成功を収めることはできるかもしれないが、それでは社会を変えることはできず、自己満足にしかならない。中田氏は、“好きなこと”で、多くの人と一緒に“楽しむ”ことができる、そんな仕組みをつくることに喜びを求めていた。

振り返れば、2008年、横浜国際競技場で開催された「+1 FOOTBALL MATCH」の時も同じだった。中田氏の設立した一般財団法人TAKE ACTION FOUNDATIONの主催で行われたこのチャリティーマッチは、中田氏が日本人として初めて主催したチャリティーマッチだった。当時まだ日本には浸透していなかったが、海外で開催されたチャリティーマッチに参加した経験から、「サッカーがスポーツの枠を超える」社会的な意義があると感じていた。だからこそ日本でもその“仕組み”をつくりたいと考えたのだ。みんなが楽しみながら参加できる機会をつくるため、さまざまな困難を乗り越えて、実現に辿り着いた。今ではチャリティーマッチの社会的意義は日本に深く浸透し、まるで昔から存在するイベントのように我々の日常にある。

こうしたチャリティーマッチには、往年の名選手たちがプレーする姿を楽しみにするファンも多い。だが中田氏自身は、チャリティーマッチから引退することを決断したという。ファンが払う対価に見合うだけのプレーを自分自身ができなくなったためだという。

だが、これからどんなフィールドに立つとしても、中田英寿氏を突き動かす考え方は変わらないだろう。「みんなが幸せになる仕組みをつくる」。これを実現させるための旅に、“引退”の二文字は存在しないはずだ。

<了>

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新川諒

1986年、大阪府生まれ。オハイオ州のBaldwin-Wallace大学でスポーツマネージメントを専攻し、在学時にクリーブランド・インディアンズで広報部インターン兼通訳として2年間勤務。その後ボストン・レッドソックス、ミネソタ・ツインズ、シカゴ・カブスで5年間日本人選手の通訳を担当。2015年からフリーとなり、通訳・翻訳者・ライターとして活動中。