ファイトマネーには「現金」と「チケット」がある

怪物、井上尚弥(大橋)が50億円の賞金トーナメントに参加するとか、元・オリンピック金メダリストの村田諒太(帝拳)に1試合で10社以上の大手スポンサーが各社平均1000万円ずつついたとか――。マスコミを通じて景気のいい話がボクシング界から出る一方で、業界内ではプロ格闘技の基本とも言える「チケット手売り」について議論が巻き起こされていた。

プロボクサーのファイトマネーは、賞金のような結果次第ではなく、戦いが実現した時点で与えられるギャランティだ。内訳には、本人に入る金額以外にマネージメント料などがあるほか、支払いに「現金」と「チケット」が存在し、今回のテーマには後者が重要となる。「チケット」の場合は、現金で渡さない代わりに、たとえば2倍額分など、ファイトマネー額以上を金券として渡し、あとは自分でやり取りするように…というのが風習だ。また「現金」の場合や最初に渡された「チケット」を完売した場合にも、チケットが追加注文されることはある。

ボクサーのチケット手売りは、とうに業界の常識的なシステムだが、関係者でさえ、その多くが「果たしてこれはプロスポーツのイメージに沿うベストなシステムなのか」という疑念を持ち続けている。マスコミも、この風習を「わざわざ触れるべきではない舞台裏の苦労」として、肯定的に見ることが少なかった。

「手売りは最先端」か「選手の役割ではない」かで元王者たちが対立?

©善理俊哉

ところが今の若者、つまり現役選手たちはSNSを使って、この手売りをためらうことなく行い、その印象を以前よりは肯定的に変えている。中でも元WBC世界ライトフライ級王者の木村悠氏は「チケットの手売りはスポーツエンターテイメントのむしろ最先端であり、肯定的に進化させていくべきだ」と、セミナーなどを通じても提案してきた。

「もちろん最初は大変だと思いますけど、経験上、手売りに夢がないとはまったく思えなかった。野球もサッカーも、アイドルだってコミュニティのつくられかたが昔と変わって、神格化された手の届かない存在ではなく、身近で深いファンが集められるようになって来ています。ボクサーも他人から関心を持たれる情報を研究して、まめに発信していれば、仮に弱くて地味な選手でも、年間3、4試合するだけで生活できる夢がある。それに、チケットを買ってくださるということは、その人に投資をするってことですから。回収したいという情熱が引退後まであれば、ボクサーにとって未解決なセカンドキャリアをカバーしてもらえるかもしれない」

木村氏は「1にSNS、2に購入システム、3がスポンサーの継続」という段階まで確立している。

これに対し、「極めて現実的な意見」と言いながらも、元日本ライト級王者の土屋修平氏はツイッターなどで激しく反発してきた。

「自分もチケットを売ることに関して、まったく“負け組”ではなかったので、東京に友達がいなかった時代も、いくつかのお店を挨拶回りしていれば、正直、ノンタイトル戦でも現金でもらうより収入はありました。でも、友人から素朴な疑問で“ファイトマネーっていくら?”って聞かれて“チケットでもらっている”とか、言いづらいじゃないですか。そもそも選手は戦って勝つことが役割なんじゃないかなって。売る側にも買う側にも手間が多いし、キャンセル料とかの仕組みも、教科書がないから自分で築いていかなきゃいけない。強くなることに専念して、“ここまで勝ち上がったら生活が安定する”とかが見えているべきだと思うんです。でもその安定が今は世界王者になってもなかなか見えな い。この現実を開き直って世間に見せても、子供たちが“僕(私)も将来、頑張ってチケット長者になるぞ!”なんて目指しますか?」

誤解がないように、両者ともファイトマネーに関しては、それぞれ、好待遇で知られるジムに所属していた。しかし土屋氏は「現代的なコンサルティングのプロが入れば、抜本的に商業スタイルが改善されるのでは?」と考える。

一方で木村氏は手売りの肯定を一貫する。
「僕のボクシングには実績があるけど、我ながら華がなかった。だから“木村の試合はどうしてあんなにチケットが売れるんだ”とか言われましたけど、それは強くなることや減量以外の努力を実らせていた結果です」
たとえばチケットの受注業務はFacebookのシステムを利用するだけでも、現代では簡単にできる。

「何度かボタンをクリックしているだけでやり取りできます。今の選手は“興味があったらダイレクトメールをください”と告知するのが主流ですけど、これでも敷居を上げてしまっていますね」

ボクシング大国が露呈したスポンサー依存の弱点

海外の事情はどうなのだろう。現在、ボクシング大国メキシコからは現地でトレーナー活動を行っていた古川久俊氏が一時帰国している。古川さんは、以前、地元・福井の高校でボクシング指導を行なっていたが、メキシコに渡ってプロボクシングのトレーナーに転身。だが、興行を開くプロモーターという立場になって一時帰国したのには、不本意な理由もあった。
「メキシコでのボクシング人気は今も国技のように根強いですが、長く新人王戦を協賛していたビール製造企業が、社内の都合で撤退したんです。日本のようなチケット手売り制度なら良かれ悪しかれ、こうしたことには陥りませんが、2015年からメキシコでは新人王戦が開けていない。若者が育つ環境がなくなるということは未来への希望が途絶えるということ。日本人が目指しているアメリカのボクシング界も、軽量級はメキシコ移民のコミュニティで成り立っていますから、ここにも影響が及びます」

それでトレーナーからプロモーターに本格転身し、日本の新人王との対抗戦を行う形でメキシコ・ボクシング界に協賛する企業はないかと、探しているが「覚悟していた以上に見つからない」と頭を抱えていた。

ちなみに古川氏にチケット手売りへの意見を尋ねると「夢だけ持って海外に飛んだくらいだから、土屋さんに共感したい」と言いつつ、実際にはメキシコになかったチケット手売りシステムを自身の興行に取り入れたという。

「いざ自分で興行を開くと、費用のうち、ファイトマネーがいかに大きな割合を占めるかに気づかされます。これを手売りで解決させるのは確かにありがたい方法ではある。ただ全額ではダメですね。田舎から首都のメキシコシティに出てきた身寄りのないボクサーなど、準備をふまえればむしろ試合がマイナスになるでしょう」

ボクサーのチケット手売りは是か非か。答えはそうそう出るものではない。ただ、今回、意見を聞いた誰もが一致した見解だったのは、まず「手売り」という言葉は聞こえが悪いということ。他のネーミングを浸透させるべきだという声も多いが、いざそれを考えると綺麗な言葉がなかなかしっくりこない。それは、この商業スタイルに対して「有効なシステムだが、プロスポーツ選手のあるべき姿だと思っているわけでもない」というニュアンスを、たとえ肯定していても込めたくなるからだろうか。

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善理俊哉(せり・しゅんや)

1981年埼玉県生まれ。中央大学在学中からライター活動始め、 ボクシングを中心に格闘技全般、五輪スポーツのほかに、海外渡航を生かした外国文化などを主に執筆。井上尚弥と父・真吾氏の自伝『真っすぐに生きる。』(扶桑社)を企画・構成。過去の連載には『GONG格闘技』(イースト・プレス社)での『村田諒太、黄金の問題児』などがある。