構成・文/キビタ キビオ 写真/下田直樹
戦力外の判断を下すのは基本的にGMの仕事
──プロ野球は毎年この時期になると、ドラフト会議という希望に満ち溢れた話題と同時に、戦力外通告という正反対の話題が対として発生します。
中畑 うん。この世界では避けては通れない宿命だな。
──中畑さんは、DeNAの監督をしていたときは、その辺に対してどのように関与していたのでしょう。
中畑 基本的に、オレが選手の戦力外について、直接英断を下すということはなかったよ。ドラフトもそうだけど、それはGMの仕事だから。
──高田繁GMですね。
中畑 そう。ただ、もちろん、高田さんとはシーズン中にしょっちゅう話をしているから、その手の話題で相談されることはあった。たとえば、「この選手はちょっとあぶないと思う。戦力外通告を出すと思うから、そのつもりでいてくれ」とかさ。
──すると監督としては、GMの意向を把握しながら選手の起用などについて考えることができたわけですね。
中畑 そういうキャッチボールは、ちゃんとできていたよ。
事前の知らせがなかったことで生じた内藤雄太の戦力外通告
中畑 ただ、基本的に問題はなかったのだけど、まれにその意思疎通が行き違いになってしまってさ……。事前の知らせがないということがあったんだ。
──2013年オフの内藤雄太のケースですよね。秋季キャンプで「良くなった」と中畑さんが絶賛していながら、その後、戦力外通告が出るというちぐはぐなことが起こりました。当時、中畑さんも、新聞報道などで困惑を示すコメントを再三出していましたね。
中畑 それはそうだろう? 知らせがなければ、当然、来季も一緒にやるもんだとオレは思っているんだから、秋季キャンプのときに「こういう練習を重点的にやっていこう」とか「来年はこういうタイプの選手を目指してくれよ」といったアドバイスを送るに決まっている。にもかかわらず、アドバイスした選手が数日後にクビになってしまうという事態が起きてしまったんだ。それは、オレというよりも通告を受けた本人がたまらないよ。
──その後、中畑さんは高田GMに事情説明を求めましたが、最終的に決定は覆らず。内藤はそのまま退団となりました。また、翌2014年にも、中畑さんに事前の相談もなく、球団関係者が金城龍彦に引退勧告をしたことで、戦力として考えていたベテラン選手がFAで巨人に移籍するという事態も招いています。
中畑 そうなんだよ。金城のときも、まさに“寝耳に水”。事実が明るみになってから、新聞で状況を知るという感じだった。こちらとしては、疑いなく戦力として考えていただけに、「それはないだろう」と思ってね。内藤のときにも言ったことだけども、「もう、そういうのは勘弁してください」と訴えてね。とにかく、重要なことは現場にも事前に話をしてもらうようにお願いしたんだ。でも、そのたびに、「お前に言うと、みんなマスコミに漏らしちゃうから」って言われてさ(笑)。
──ああ、なるほど。
中畑 なにを納得しているんだよ(笑)! そんな重要事項は、オレだって漏らしたりしないって! 漏らしていいものと悪いものをオレのなかで判断して、差し支えないものだけを漏らしているんだから。話題性というのもプロ野球では大切なこと。オフのストーブリーグも盛り上げていかなくてはいけない。だから、高田さんに「そんなガキ扱いしないでくださいよ」とお願いしたよ。もちろん、それは戦力外通告のことだけではなくて、ドラフト会議の指名戦略など、あらゆることについてという意味合いでだよ。
──ただ、最終的な決断は、監督ではなくGMがするわけですね?
中畑 そこはもちろん動かない。GMというシステムを採用してチームを運営している以上は、戦力の編成に関する責任はすべてGMにあるんだから。
──すると、中畑さんとしては、ある程度割り切るしかなかったということですか?
中畑 そういうこと。こちらはあくまで要望を出すだけ。そして、要望どおりになる場合も、そうでない場合も、指示や決定を受け入れることしかできない。そのなかで、選手を育てて戦力を生み出して、チームづくりをしていく。それが監督の仕事なのだと。それは、役割分担として、しっかり割り切るように心がけていたよ。
退団する選手には、まず「ゴメンな」と言っていた
──戦力外になった選手に対して、監督が最後に言葉を交わすということはあるのですか?
中畑 それは絶対にある。どんな選手であっても、少なくとも1年間は一緒にやってきたんだから。連絡がくることもあるし、ロッカーの整理をしにきたときに、直接会う機会も最後にあるから。
──どういう声のかけ方をするのですか?
中畑 ひとこと目は「ゴメンな」だよ。なにはともあれ、まだやりたい、続けたいと願っていた選手がほとんどだから。それでも、クビにせざるを得ない状況になってしまって、継続して期待をかけることができなかったことに対して、こちらからの“詫び”だよ。ただ、チーム事情としては、新しく入ってくる戦力と比較したときに、「どうしても脇に外れてしまうんだ」と伝える。次に活躍する場を求めるにあたって、「トライアウトでもなんでも、いい道があればいくらでも応援する。頑張れ」と、言って送り出す。それしかないのよ。監督という立場としては。
──そうですね。先ほどお話しされたGMとの役割の関係を考えれば、監督としてはどうすることもできない方が、圧倒的に多いわけですからね。
中畑 まあ、1年のなかでも、一番辛いときだよな。でもさ。辛いけれども、仕方がないじゃない? そういう世界であることは、入ってくる者は誰しもわかっていることだからな。割り切らないといけない。
──退団する選手とは、一人ひとり個別に直接話をしましたか?
中畑 もちろん全員そうしたよ。他の監督はわからないけれど、オレは個々に話をした。監督として、ひとりの選手に対する最後の仕事だよ。
──厳しくて辛い役割ですが、まさに「引導を渡す」わけですね。
中畑 そして、選手が全員済んだら、自分に対しても引導を渡すんだ。
──え~と……? あ! 監督として、ご自身に対しても自己評価して、進退の決断を下すということですね?
中畑 そう! オレは、昨年のオフに監督と辞任する最後の挨拶で、「1年1年、覚悟を決めながらやっているつもりですし、自分のなかで内容や結果に納得がいかなければ身を引かなければいけないと思っています」と話したけれど、それがすべてだよ。
──監督1年目の2012年シーズン終了後、「来年、クライマックスシリーズに進出できなければ、オレはクビ」と宣言しました。そして迎えた2013年は、前年の最下位から5位に浮上したものの、「決意は変わっていない」として辞意を示唆しましたが、慰留されて続投。翌2014年も同様の流れとなり、それでも球団やファンから続投を強く望む声を聞いて、最終的にもう1年やる決意をしたんですよね。
中畑 それぞれの置かれた立場で責任を取り方があるからな。たださ。現実的には、毎年この時期に人がごっそり入れ替わるからといって、落ち込んだり、気持ちを引きずってばかりはいられない。シーズンが終わった時点で、すでに翌年の戦いははじまっているわけだから。
──前を向いて進まねば、その先の道もひらけない。割り切らないわけにはいきませんね。
中畑 そこは、プロ野球の現場にかかわる者すべてが覚悟しておかなくてはいけない永遠の宿命だと、オレは思うよ。
(プロフィール)
中畑清
1954年、福島県生まれ。駒澤大学を経て1975年ドラフト3位で読売ジャイアンツに入団。「絶好調!」をトレードマークとするムードメーカーとして活躍し、安定した打率と勝負強い打撃を誇る三塁手、一塁手として長年主軸を務めた。引退後は解説者、コーチを務め、2012年には横浜DeNAベイスターズの監督に就任。低迷するチームの底上げを図り、2015年前半終了時にはセ・リーグ首位に立つなど奮戦。今季から解説者に復帰した。
キビタ キビオ
1971年、東京都生まれ。30歳を越えてから転職し、ライター&編集者として『野球小僧』(現『野球太郎』)の編集部員を長年勤め、選手のプレーをストップウオッチで計測して考察する「炎のストップウオッチャー」を連載。現在はフリーとして、雑誌の取材原稿から書籍構成、『球辞苑』(NHK-BS)ほかメディア出演など幅広く活動している。