取材・文/石塚隆 写真/櫻井健司

高評価を受けているDeNAのドラフト戦略

「間違いなく一歩一歩前進をしているし、チームはいい方向に向かっている。まだまだだとは思いますが手応えは感じます」
 横浜DeNAベイスターズのGMである高田繁氏は、沖縄・宜野湾市で行われていたキャンプの最中、確信を持った表情で語ってくれた。
 日本プロ野球界においてGMというのはいまだ特殊な役職だ。球団の職務としてどこまで責任を背負い、どのような権限があるのか外から見ているファンからすれば曖昧模糊としている。高田GMは自身の役割を以下のように説明する。
「単純に言えば、チーム編成の責任者ですよね。監督の人事はじめ、トレードや外国人選手の獲得、そして即戦力や将来性を見越してのドラフト戦略など、ユニホームを着る関係者すべてのことに対する権限を持っています。メジャーのGMとの一番の違いは、球団経営やお金のことには一切ノータッチというところかな」

 今シーズンでDeNA体制となって6年目となるが、高い評価を受けているのが、そのドラフト戦略だ。井納翔一や三上朋也、そして山﨑康晃、石田健大、今永昇太など過去5回のドラフトで即戦力として指名したピッチャーの多くが期待に応える働きをし、また野手では2年目の倉本寿彦やルーキーの戸柱恭孝が昨年はレギュラーとして活躍した。
「基本的なドラフト戦略ですが1、2位は即戦力の投手が欲しい。この方針は揺るぎません。なにせ、DeNAになったときはとにかくピッチャーがいませんでしたからね……。戸柱に関してはドラフトの前年から目を付けていたのですが、本来買っていたのは守備よりもバッティングでした。しかし守備での貢献が大きく、結果的にハマりましたね。倉本も含め、(懸念だったセンターラインが)これほど上手くいくとは思っていませんでしたが、活躍してくれて良かった。けど、まだまだ盤石のセンターラインとは言えない。弱点を考慮し適切な選手をピックアップして埋めていく作業もわたしの仕事です」

GM主導型の若手選手育成方法

冒頭で高田GMは「まだまだです」と謙遜するが、それは“選手育成”という面において物足りなさを感じているからだ。
「やはりお金にまかせて補強できる球団ではないので、ドラフトで若くて見込みのある選手を獲得してチームで育成するのが大切になります。現状において、例えば日本ハムのような(次から次に若手が出てくる)形になっているのかと言えばまだまだです。ファームでしっかりと育てて、層を厚くしシーズン中に選手がしっかりとまわるようにする。それが理想だし、その道筋をつけるのがわたしの重要な仕事になります」

 高田GMは、ラミレス監督など一軍のスタッフに対し、戦術や選手起用について一切の口出しをしない。一方で、ファームでは二軍スタッフと育成ミーティングを重ね、どの選手をイースタン・リーグで起用して育てるか、データを元に綿密に計画を立てている。とにかく防御率や打率は関係なく、決められた投球回数や打席数など機会を与え、実戦のなかで鍛えていくという考えだ。
「仮に、高卒で非力な選手がいたとします。ボールは前に飛ばないし、練習についてくるのもやっと。ファームのコーチは『ダメだ』と言うけれど、『いいから使え』と言うこともあります。わたしは、使えるか使えないかを判断するのではなく、まずはどのぐらい成長する余地があるのかを見たいし、そこをしっかりと考えないといけない。ですから、半ば強引にわたしの指示でやらせたこともありますし、それは少しずつですが実を結んでいます」

 こういったシステムのなかで成長していったのが、4年目となる外野手の関根大気だろう。ドラフト5位の高卒ながら初年度はファームで積極的起用され台頭すると、現在はレギュラーをうかがう存在にまで成長した。関根のルーキーイヤーのことで思い出されることがある。当時の中畑清監督が関根の野球センスに惚れ込み、シーズン中に「一軍に上げて欲しい」と申し出たが、高田GMはこれを拒否した。結局、関根が一軍デビューを果たしたのは、勝敗に関係ないシーズン終盤の試合だった。
「選手を一軍に上げるという判断をするのはわたしの権限です。いくら『監督があの選手を上げてくれ』と言っても、『まだ育成の途中だからダメだ』といって拒否することもあります。一方で、一軍の選手をファームに落とすのは監督に任せています。GMとして一軍がどういう野球をするかは完全に任せてはいますが、入れ替えで一軍に上げる選手を決めるときは、わたしに相談するということになっています」

盤石の外野陣を生んだGM主導のコンバート

©︎共同通信

さて、若い選手が多いDeNAではあるが、ざっとレギュラー陣を見渡すと興味深い類似点を見出すのが外野手の3人である。
筒香嘉智、梶谷隆幸、桑原将志――いまやDeNAにはなくてはならない存在だが、この3人に共通するのは、DeNA体制になる以前に入団したことと、そしていずれも内野手からコンバートされたということだ。内野守備への負担や不安を考慮しての配置転換であるが、この決断をしたのは高田GMである。
「選手のコンバートを決めるのはわたしの仕事です。監督が要望をしても、わたしのゴーサインがなければできません。コンバートに関しては、現場の仕事ではなく、選手の資質やチーム編成を考慮して決断されます。桑原は送球に難がありましたし、梶谷は内野守備が負担になっていた。外野手にしたことで、彼らは力を発揮できたのかなと思っています。これは野手だけではなくピッチャーもそうで、誰を先発にし、誰をリリーフにするのかというのもわたしの責任になります」

 昨シーズン11年ぶりにAクラスに入り躍進を遂げたDeNAであるが、高田GMの仕事としてビッグヒットだったのは、ラミレス監督の起用だろう。経験のないルーキー監督の就任当初は、周囲から猜疑心をもって見られたが、結果的にそれを払拭する好成績を残した。
「わたし自身、まったく心配はしていませんでしたよ。外国人監督ということでは日ハムのGM時代にヒルマン監督で慣れていましたし、また彼には日本で監督をやりたいという誰よりも強い意志があった。中畑前監督が築きあげたものを継承するためにも、かつて選手として所属し、選手の特性などチーム事情を知るラミレス監督はベストの選択だったと思います。当時の池田純前社長と一緒に何度かラミレス監督とは面談しましたが、非常に頭が良く、プレゼンテーションでは中長期的なチームビジョンを提示してくれました。
 昨シーズンの采配は、わたしから見ていてもまったく違和感のないものでした。満点に近いといっていいでしょう。わたしたちフロントとの関係も、そしてチーム編成においてここまで述べたようなことも細かく理解してくれました。よく、『これは監督の仕事だ』とか『これは監督の仕事じゃない』という不満が出るものなのですが、ラミレス監督はそれが一切なく、すべて納得して仕事をしてくれました。彼の素晴らしさは、現役のときから理解していました。だって、かつてDeNAになって選手として入団交渉をしたのは、このわたしでしたからね」
 そう言うと高田GMは微笑んだ。

常勝チームを作るため、多岐にわたる業務をこなしていく日々。では優勝の機運も高まる今シーズン、チーム編成から見る展望やいかに――。

(プロフィール)
高田繁
1945年、大阪府生まれ。明治大学を経て、1967年ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。1年目からレギュラーに定着し、新人王を獲得。走攻守揃った選手としてV9時代のジャイアンツを支えた。引退後は、1985年~1988年まで日本ハムファイターズの監督の他、古巣ジャイアンツではヘッドコーチや一軍守備・走塁コーチ、二軍監督を歴任。2005年~2007年にかけて、北海道日本ハムファイターズでGM。2008年~2010年途中まで東京ヤクルトスワローズ監督。2011年から、横浜DeNAベイスターズのGMに就任し、今年で6年目を迎える。

石塚隆
1972年、神奈川県生まれ。スポーツを中心に幅広い分野で活動するフリーランスライター。『週刊プレイボーイ』『Spoltiva』『Number』『ベースボールサミット』などに寄稿している。


VictorySportsNews編集部