1996年巨人「メークドラマ」の影の演者となった広島
1996年のセ・リーグは、首位に最大11.5ゲーム離された状態から怒涛の巻き返しで逆転優勝を果たした巨人が主役だった。長嶋茂雄監督が、前年頃からしきりと発するようになった「メークドラマ」が、文字通り成就し、この年の流行語大賞に選ばれるほどに世間一般でも浸透していた時期だ。
だが、そこには当然、「メークドラマ」を許した相手が存在する。それは、今年、25年ぶりの優勝を果たした広島である。
破壊力ある打線で挑んだ1996年の広島
1990年代中頃、広島はセ・リーグのAクラス常連チームだった。1980年代に、北別府学、大野豊、川口和久、津田恒美といった強力な投手陣と、高橋慶彦、山崎隆造、山本浩二、衣笠祥雄、小早川毅彦、長嶋清幸、達川光男といった、スピード、パワー、勝負強さのバランスがとれた野手陣によって、黄金期を築いた「赤ヘル軍団」。それが、1991年のリーグ優勝を最後に、一度は低迷しかけたところを、新任の三村敏之監督が立て直した。主力選手は、佐々岡真司、紀藤真琴、正田耕三、野村謙二郎、前田智徳、江藤智、金本知憲、緒方孝市、西山秀二らに世代交代され、粘り強い“負けない広島”から、破壊力のある打線を前面に押し出した豪快な打ち合いを挑むスタイルに様変わりしていた。
1996年の広島は、この年40歳となっていた大野豊が先発した開幕戦を延長戦の末に辛くも勝利したものの、4月は波に乗ることができず、10勝11敗と負け越す出だしだった。
しかし、5月になると、12勝4敗で一気に2位に浮上。鯉のぼりの季節に乗せられたかのような快進撃がはじまった。
春先の主役は、弱いとされていた投手陣である。先出の大野に加えて、エース格となっていた紀藤真琴が安定した投球を披露。ドミニカ・カープアカデミー出身のチェコは、快速球をビシビシと決め、9回2死までノーヒットノーランの快投を演じたこともあった。
さらに、ダイエーから新たに加わった加藤伸一が、武器のシュートを強気に要求する西山秀二のリードで蘇生すると、斎藤雅樹(巨人)を手本にサイドスローを磨いた山﨑健が開眼して完封ラッシュ。いつのまにか先発ローテーションは強固となり、ゲームが崩れかかっても、左腕の前間卓や小早川幸二、シーズン途中から中継ぎに回った前年の新人王・山内泰幸らが踏ん張って、抑えの切り札・佐々岡真司への必勝パターンにつないだ。
そして、6月近くになると、いよいよ自慢の打線が本調子に入った。緒方、正田、野村、江藤、前田、ロペス、金本、西山という並びを基本に、5月31日の横浜戦では、1イニングに5点以上のビッグイニングを3度記録し、12年ぶりに1試合20得点を挙げて快勝。6月1日には中日を抜いて、待望の首位に立った。
その後も、チーム打率が3割に届きそうな勢いで躍進。6月5日の巨人戦では、主に7番を打つことが多かった若き日の金本が、東京ドームのライト後方にある長嶋茂雄監督の「セコム」の巨大看板を直撃する豪快な一発を放ったのが象徴的だった。
気付けば、2位以下を大きく引き離して首位を独走。6月の終わりには、130試合制だった当時の半分にあたる65試合の1試合手前の64試合目で早くも40勝に到達した。このハイペースを実現した過去7チームはすべて優勝しており、早くも「今年は広島の優勝で決まりだ」という声が出はじめる。7月6日9連勝を決めて、2位中日との差は8ゲーム。3位巨人とは11.5ゲーム離れたときには、その声に耳を疑う者はほとんどいなくなっていた。
「リーグ優勝の確率100%」からの陥落……
しかし、「好事魔多し」というのはこのことを言うのだろうか。9連勝した直後の7月9日の試合で、にわかに暗雲が立ち込める出来事が起こった。
相手は、対抗馬としてすでに意識から外れつつあった3位の巨人。この時期の恒例として開催されている札幌シリーズの初戦である。この試合で、先発の紀藤が2回ノーアウトランナー無しの状態から7番・後藤孝志に二塁打を打たれると、そこからヒットが止まらなくなってしまい、なんと、途中に四死球をいっさい挟まず9打者連続安打というプロ野球タイ記録を樹立されたうえに、大量7失点を喫してしまったのだ。それでも、好調の打線が中盤に追い上げ、9回表には2点差まで迫ったが、最後は巨人の抑え・マリオに封じられ8対10で万事休す。このショッキングな敗戦以降、広島は主力選手に故障者が続出するなど歯車が狂ってしまい、急速に勢いを失ってしまう。
その一方で、逆に息を吹き返した巨人は、7月、8月に連勝の連続で驚異的な追い上げをみせ、8月20日に首位が逆転。その後、9月になって広島が一時的に巻き返して首位を奪い返したが、最後はこれまで踏ん張っていた投手陣が息切れしてしまい、9月17日から6連敗で再び2位に転落し、そのまま終戦となってしまった。
その後の長い“地獄”が今年の「神っている」状態を支える
その後も、広島は10月に入って4連敗を喫し、終わってみれば、前年にもおよばぬ3位でシーズンを終えた。この悔しさを晴らさんと、息巻いて臨んだ翌1997年も、またもや3位。澤崎俊和や黒田博樹といった新人の躍進を原動力にして優勝争いに加わったが、前年4位に甘んじた野村克也監督率いるヤクルトが、圧倒的な勝負強さを発揮して王者に返り咲く様を、唇を噛みしめて見ているしかなかった。
そして、1998年に5位に低迷した広島は、以降、15年連続Bクラスというあまりに長い“地獄”のトンネルに入ってしまった。くしくも、1990年代後半は、1993年から導入されたドラフト会議での逆指名制度やフリーエージェント制度によって、その戦力バランスが崩れはじめた時期でもある。年を重ねるごとに、豊富な資金を持つチームが新たな選手を次々と補強していくのに対して、システムを積極的に活用することができなかった広島は、低迷の一途をたどった。
だからこそ、近年になって再び上位争いができる戦力が整い、今年は25年ぶりのリーグ優勝を果たしたファンや関係者の喜びは、計り知れないものがある。
優勝争いの常連だった1980年代を“天国”とすれば、1990年代後半からの低迷はまさに“地獄”。そこから“天国”へ再び引き上げてくれたとすれば、それは、天使か神といったところか。それならば、今年の鈴木誠也の活躍に代表される「神ってる」という言葉にも納得がいくというものだ。
そして、当時レギュラーであった緒方が現チームの監督を務めているというのも、なにか因縁を感じさせるものがある。一度、“地獄”へ落ちた経験のある指揮官は、再び“天国”に行き着いた25年の歩みをどう受け止めているのだろうか。
(著者プロフィール)
キビタ キビオ
1971年、東京都生まれ。30歳を越えてから転職し、ライター&編集者として『野球小僧』(現『野球太郎』)の編集部員を長年勤め、選手のプレーをストップウオッチで計測して考察する「炎のストップウオッチャー」を連載。現在はフリーとして、雑誌の取材原稿から書籍構成、『球辞苑』(NHK-BS)ほかメディア出演など幅広く活動している。