文・写真/新川諒

映画『メジャーリーグ」の題材になるほどのお荷物球団

1959年から29年連続で地区3位以下(3地区制に移行前)に終わっていたクリーブランド・インディアンスは弱小球団として映画『メジャーリーグ」で題材になるほどだった。この映画には、お笑いタレントの石橋貴明氏も出演したことから日本でも知名度があがったチームとなっただろう。だが実際にクリーブランドという地名が日本人のなかに記憶に残ったわけではない。わたしも大学時代を含め5年近くこの土地に在住したが、場所の特徴を説明するのには苦労した。米国の中西部に位置し、五大湖に隣している。そして、ロックンロールの殿堂があるというのがお決まりの説明だ。

 そんなクリーブランドには、NFLのブラウンズ、NBAのキャバリアーズ、MLBのインディアンスと全米4大スポーツのうち3つのプロチームがある。実はそれぞれが栄光をつかみ損ねたドラマを持っており、クリーブランドは栄光まであと一歩のところで栄光がすり抜けていく街として「Cursed Sports Town」(呪われたスポーツの街)とメディアで表現されることも少なくなかった。

 今シーズンのインディアンスは94勝67敗と地区2位のデトロイト・タイガースに8ゲーム差をつけての優勝とその強さは圧倒的だった。だがシーズン終盤に怪我人が増え、9月17日には地元紙『クリーブランド・プレーンディーラー」のインディアンス番記者であるポール・ホインズが「その舞台にたどり着く前にインディアンスはすでにプレーオフで勝ち進む戦いから敗れ去った」などと非常にパワフルかつネガティブな記事を世に出した。賛否両論あり、本人も後日謝罪することになったが、クリーブランドのスポーツを常に報道してきた人間として自然と出てきてしまった表現だったのだろう。

栄光まであと一歩と”惜しい”過去を持つクリーブランドスポーツ史

クリーブランドを本拠地とするチームは栄光まであと一歩と“惜しい過去”を多く持っている。これまでクリーブランドのスポーツ史を語る上で使用される“お決まりの映像”がいくつもある。

 NBAのキャバリアーズが1989年プレーオフのファーストラウンドでシカゴ・ブルズと対戦し、マイケル・ジョーダンに決勝点を決められた“ザ・ショット”もそのうちのひとつだ。

 MLBのインディアンスに限っては決して低迷期がずっと続いていたわけではない。1995年、1997年にはワールドシリーズ進出を果たしている。1997年には当時はまだフロリダを本拠地としていたマーリンズに9回裏同点に追いつかれて、延長11回にサヨナラ負けを喫した。9回裏に打たれたクローザーのホセ・メサも“呪いの餌食”になったひとりである。さらには2007年にもプレーオフ進出を果たすが、アメリカンリーグチャンピオンシリーズではボストン・レッドソックス相手に3勝1敗と王手をかけたが、そこから3連敗を喫して敗退した。

 NFLブラウンズに限って言えば、厳しい現実を突きつけられたのは1995年シーズン後のボルティモア移転である。スーパーボウル制覇からは遠ざかっていたものの、1985年からは5年連続でプレーオフ進出を果たすなど成績を残していたが、当時のオーナーが街に見切りをつけて去ってしまった。3年間NFLチームが存在していなかったが、1999年シーズンから再びエクスパンションチームとしてブラウンズは姿を変えて再びクリーブランドの街に帰ってきた。だがそこからプレーオフ進出は1度のみと低迷期が長らく続いている。

 ここで記したのは一部に過ぎないが、呪いのようにこれまでクリーブランドスポーツ史を襲ってきた過去から地元ファンにもメディアにも、「やっぱりな……」というネガティブな感情が沸き起こる体質になってしまったのではないだろうか。

インターン時代に経験したスモール・マーケットの宿命

個人的な話をすると、わたしは2005年から大学時代をクリーブランド付近で過ごした。そして2008年から2シーズンの間、クリーブランド・インディアンスで広報部のインターンを経験している。

 先ほど述べたワールドシリーズに王手をかけてから敗退を喫した直後のシーズンだった。戦力は整っていたが、序盤から怪我人が多く思うような戦いができていなかった。そしてシーズン半ばに訪れるトレード期限日を前にスモール・マーケットの宿命ともいえる主力選手のトレードを敢行したのだ。ヤンキースやドジャースのように大都市を本拠地とする資金力豊富な球団とはちがって、限られた資金繰りでチーム構成を求められるインディアンスは、今後FAとなる選手がタダでチームを去っていく前に見返りとして他球団からプロスペクトと呼ばれる若手有望株をトレードで獲得することが迫られる。わたしも当時は広報部で仕事をしていたことから、毎日のようにトレードのプレスリリースや会見の準備に追われていた。主力が次々にチームを去る現実は寂しいものだったが、貴重な経験を数多くするいい機会だった。

 大都市以外を本拠地として、資金力に限りがあるスモール・マーケットの球団にとって栄光を掴み取る期間というのはサラリーキャップを設けていないMLBではどうしても限られてくるのが現状であることを痛感した。

ついに、クリーブランドに栄光がやってきた?

NBAのクリーブランド・キャバリアーズにとっては、救世主として2003年ドラフト1位で入団したレブロン・ジェームズの存在で空気が大きく変わった。地元出身のスーパースター誕生でクリーブランドのスポーツ史に大きな光をもたらしたのだ。2006年-2007年にはNBAファイナルへの進出を果たすが、結局呪いを解くことはできずに2010年FAとして他チームへ去ってしまった。地元ファンにとっては悲劇の再来となり、「CLEVELANDの綴りをCLEAVELAND」(みんなが去っていく街)として周囲から皮肉られたほどだ。

 だが、そのジェームスがマイアミで何度か優勝したのちに再び地元に帰ってきた。そして2015年-2016年シーズンに52年間遠ざかっていた王冠をクリーブランドの街に取り戻すことができた。そして今シーズンはインディアンスがワールドシリーズ進出を果たし、クリーブランドのスポーツ史を再び塗り替えようとしている。

 一時はみんなが去る街として揶揄されていたが、今ではみんなが「BELIEVELAND 」(信じる街)として希望を持つようになった。10月26日、このクリーブランドではインディアンスの本拠地プログレッシブ・フィールドでワールドシリーズ初戦を迎える。そして隣のクイッケン・ローンズアリーナではキャバリアーズが昨年の優勝リングを受け取るセレモニーを含めた開幕戦が開催される。

 ついに、長らく苦しんだクリーブランドの街に世界中の注目が集まることになるのだ。

(著者プロフィール)
新川諒
1986年、大阪府生まれ。オハイオ州のBaldwin-Wallace大学でスポーツマネージメントを専攻し、在学時にクリーブランド・インディアンズで広報部インターン兼通訳として2年間勤務。その後ボストン・レッドソックス、ミネソタ・ツインズ、シカゴ・カブスで5年間日本人選手の通訳を担当。2015年からフリーとなり、通訳・翻訳者・ライターとして活動中。


新川諒

1986年、大阪府生まれ。オハイオ州のBaldwin-Wallace大学でスポーツマネージメントを専攻し、在学時にクリーブランド・インディアンズで広報部インターン兼通訳として2年間勤務。その後ボストン・レッドソックス、ミネソタ・ツインズ、シカゴ・カブスで5年間日本人選手の通訳を担当。2015年からフリーとなり、通訳・翻訳者・ライターとして活動中。