文=池田敏明

頭角を現し始めたスーパースターの2世

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 2016年11月30日、コパ・デル・レイ4回戦の試合で、レアル・マドリーのエンツォ・フェルナンデスという選手がトップチームデビューを飾った。後半からピッチに立ったこの選手は巧みなゲームメークを見せ、63分にはチームメートとのパス交換から右足のミドルシュートで初ゴールを決めてみせた。この活躍に、チームを率いるジネディーヌ・ジダン監督はこのように賛辞の言葉を送った。「父親としても監督としても、エンツォの活躍を誇りに思う」。そう、ファミリーネームこそ「ジダン」ではないが、このエンツォ・フェルナンデスはジダン監督の長男なのである。

 懐の深いボールキープや優雅なボールタッチは、現役時代のジダンのプレーと瓜二つ。父親の代名詞である“ルーレット”も披露した。ジダンの全盛期を知るファンは、正真正銘の“ジダン2世”の登場に心を踊らせたことだろう。

 このエンツォ・フェルナンデスに限らず、日本でサッカー人気が爆発した1990年代後半から2000年代前半にかけて活躍した選手たちの2世が今、プロの舞台での活躍を始めつつある。その中で特に注目の選手、そして、将来の活躍が期待できる人材を何人か紹介していこう。

 16年夏にジェノアに移籍したジョバンニ・シメオネは、現アトレティコ・マドリー監督ディエゴ・シメオネの長男だ。武闘派のボランチだった父親とは違い、ジョバンニはストライカーで、今シーズンのジェノアではすでに6ゴールを記録している。フィニッシュの大半はツータッチ以内で、トラップからシュートまでの動きに迷いがなく、なおかつ正確で、右足でも左足でも精度の高いシュートを放つことができる。2015年にU-20南米選手権で得点王に輝き、チームを優勝に導くという実績を残しているだけに、今後のジェノアでの活躍次第ではA代表デビューも期待できる。

 わずか17歳ながらアヤックスのBチームでプレーするユスティン・クライファートは、元オランダ代表でバルセロナなどでも活躍したパトリック・クライファートの次男だ。父親は長身のストライカーとして名をはせたが、息子は体格的にやや劣ることもあり、ウイングとしてプレーしている。柔らかいボールタッチや高いアシスト能力、そしてゴールへの鋭い嗅覚は父親譲り。各年代別オランダ代表でのプレー経験も豊富なだけに、18歳でトップチームデビューとA代表初キャップを刻んだ父親と同じキャリアを辿れるのかにも注目が集まる。

 昨年のリオデジャネイロ五輪で日本はスウェーデンと対戦し、1-0で勝利した。大会前、スウェーデン代表のある選手が当初、メンバー入りしながら所属クラブの事情で辞退し話題になった。彼の名はヨルダン・ラーション。スウェーデンの英雄、ヘンリク・ラーションの息子である。ヘーガボリBK、ヘルシンボリIFと、偉大な父親と全く同じキャリアを辿りながら実績を積み上げ、年明け早々にはオランダのNECへの移籍が発表された。

エールディビジに所属するNECナイメヘンは2日、スウェーデンのヘルシンボリからU-21スウェーデン代表FWヨルダン・ラーション(19)を完全移籍で獲得したことを発表した。契約期間は2020年6月30日までの3年半となる。
ラーション息子がNECに完全移籍! 偉大な父と同様にオランダの地で国外初挑戦【超ワールドサッカー】

 ポジションは父と同じFWで、細かいタッチのドリブルと左足の正確なシュートが持ち味。ヘルシンボリでは父親が監督を務めていたが、今後は独力でキャリアを積み重ねていくこととなる。

環境に恵まれる利点はあるが、最後は自力

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 彼らのような“2世タレント”が今後、父を超えるような存在になるためには、何が必要なのだろうか。ここまで、彼らは2世であることの恩恵を存分に受けてきた。物心がつき、最初に触れるサッカーがいきなりワールドクラス。成長すればビッグクラブのアカデミーで指導を受けられる。

 実際、エンツォ・フェルナンデスはレアル・マドリー、ジオバンニ・シメオネはリーベル・プレート、ユスティン・クライファートはアヤックス、ヨルダン・ラーションはバルセロナの下部組織に在籍していた。才能を伸ばすことができて当然だ。ただ、この先は本人の努力次第となる。父親の名前に甘えたり、いつまでも“親の七光り”を受けたりしていては、大成することはできないだろう。

 エンツォ・フェルナンデスは「ジダン」ではなく母親の姓である「フェルナンデス」を登録名にしている。今までは過度な重圧を回避するため措置だったが、今後は父親の名を借りず、「エンツォ・フェルナンデス」として独り立ちする必要がある。「○○の息子」という事実は変えられるものではない。その名前に惑わされないことが、成功への道を切り開くのではないだろうか。


池田敏明

大学院でインカ帝国史を専攻していたが、”師匠” の敷いたレールに果てしない魅力を感じ転身。専門誌で編集を務めた後にフリーランスとなり、ライター、エディター、スベイ ン語の通訳&翻訳家、カメラマンと幅広くこなす。