1回戦に勝ったら世界が変わった
1980年、1年生ながら早実のエース格として活躍、夏の甲子園で準優勝に輝いた荒木大輔。端正なルックスも相まって、女性を中心にファンの人気を大いに集めた現象は“大ちゃんフィーバー”として高校球史に残っている。
「世界が変わったのは1回戦の北陽戦のあと。宿舎に帰ったらなかに入れないくらい人が集まっていたんです」
もう30年以上前のシーンを懐かしそうに話す荒木。驚くのも無理はない。そもそも甲子園で投げることすら、入学前の本人からしてみれば「まさか」の出来事だったのだ。
「1年生なので、できないのが当たり前。気楽な感覚で投げられたのがよかったのかもしれません」
だが、その「変わった世界」はレベルがちがった。押し寄せるファンと報道陣。ときにはプライベートまで追いかけ回される日々がはじまる。
「応援してもらえるのは嬉しかったですよ。声援のなかで投げるのはヤジとちがってやりやすい環境でした。宿舎で自由に出歩けないのは少し困ったけど……」
スターとは、騒がれる一方で窮屈な思いを強いられる。たとえば最初から芸能人を望んでいたのであれば、それも覚悟の上だろう。しかし、「甲子園のアイドル」は、普通の高校生が、ある日、突然スターになってしまうのが常。戸惑い、あるいは煩わしさも感じてもおかしくはない。しかし、荒木はそんな高校野球生活を「楽しかった」と振り返る。
学校が好きだったから苦痛はなかった
「学校が好きだったから苦痛はなかったんですよ。あくまで部活動、ということで学校側も取材は最低限に抑えてくれたし。僕、学校の匂いや雰囲気がすごく好きなんです。いまでも野球教室などで学校に行くと本当に楽しい。勉強はたいしてできなかったんだけど(苦笑)、友だちとバカ話などをするのが本当に楽しかった」
高校野球のスター選手ともなると、時にチームのなかで浮くこともある。しかし、当時の早実ではそういったことは一切なかったという。
「学校も同級生たちも普通に接してくれたので、普通の高校生活を送ることができました。ストレスはまったくなかったです。むしろ、周囲の人たちにはストレスを感じさせていただのかもしれませんね。『あいつを守らなくては』みたいな。登下校のときも吉祥寺駅と学校の間には必ず5、6人の友だちが一緒にいてくれましたから。野球部員だけじゃなく一般のクラスメイトも。特に申し合わせたわけじゃないんですけどね。それに甘えさせてもらっていました」
早実という、ある種の都会的な学校らしいエピソードにも聞こえる。荒木が「甲子園のアイドル」という時代を「楽しかった」と振り返られるのは、そんな学校や友人たちの気質に加え、友人たちの好意に「甘えさせてもらった」と屈託なく言える荒木の明朗な性格もプラスに働いていたのだろう。荒木は早実に在籍中、全国制覇にこそ手が届かなかったが、5回あった甲子園のチャンスをことごとくものにしている。その理由のひとつは、そんなチームのムードも大きかったのかもしれない。

野球を楽しむことを失わなかった早実
「楽しみながら野球をしたのがよかったんでしょうね。『日本一になるんだ』という気持ちはあったけど、だから特別ななにかをしたわけでもない。ただどんなときでも、野球の楽しみを失うことはなかった。地方大会では苦しい試合もあったのですが、不思議と負けるイメージがなかったんですよ。それ、自分だけじゃなくて、当時を振り返るとみんながそうだったみたいです」
1年生のころからメディアの目にさらされるなかで、荒木だけではなくチーム全体に、いい意味での余裕が生じていたのだろうか。
「高校野球の試合はやはりメンタルが影響する割合が大きい。当時の早実は、その部分だけは変に大人だったような気はします。学校の空気もそんな感じで。もちろん甲子園に出場し続けられたのはいろいろな要素が混じっているとは思いますが、相手の方が『早実には、荒木には負けたくない!』とか逆に力んでしまったんじゃないかな」
こうして荒木はアイドルとして騒がれた自らの高校野球を、幸せな時間として終える。
「トータルで考えるとフィーバーにはいい思いをさせてもらったし、よかったですよ。ただ、野球自体は充実していたけど、結局、全国優勝はできなかったので、そこは心残り。もう少し練習しておけば、もう少し頑張れたんじゃないか、なんて思います。でも、誰だって100%満足なんてことはないだろうから、そういうものじゃないでしょうか」
荒木が高校時代、スターであり続けることができたのは、野球を楽しむ心を失わなかったことであり、失わせなかった周囲の温かいサポートや、ある種、あっけらかんとしたというか、さっぱりした本人の性格もあったのかもしれない。だが、この後、プロに進んだ荒木には、大きな試練が訪れることになる。
後編に続く
(著者プロフィール)
田澤健一郎
1975年、山形県生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経て編集・ライターに。主な共著に『永遠の一球』『夢の続き』など。『野球太郎』等、スポーツ、野球関係の雑誌、ムックを多く手がける元・高校球児。