伊藤智仁投手のスライダーの本当の凄さは「見えづらさ」にある

 伊藤智仁投手のスライダーといえば、そのスピードと曲がる大きさが注目されます。しかし、それだけではありません。本当にすごいのは、ものすごくしなやかなフォームから繰り出される「腕が急に飛び出てくる」動きなのです。

 多くのプロが打ちにくいと口を揃えて言っていました。バッターにとって「見えづらい」と。

 バッターにとって見えづらいとは、ピッチャーの腕が「いつ出てくるかわかりにくい」ことを表現しています。伊藤智仁投手はこの点が他の投手とは大きく異なっていました。とにかく急に腕が出てくる感覚を与えていたと思います。そこへさらに高速かつ、曲がりの鋭いスライダーが来るものですから、打ちあぐねるのは当然です。

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バッターが予測に使う「胸の位置」

 プロのバッターは、我々一般人が考えている以上にピッチャーのフォームを細かく観察しています。そうすることによって、タイミングや球種を予測できるようにするのです。いくら球速が150km/h出ていても、どんなボールが来るのかが分かっていれば打たれるというレベルでの話ですから、「見えづらいフォーム」はプロの選手にとっては非常に重要なファクターなのです。

 このとき、ピッチャーが投げるボールのタイミングや球種を予測するためによく使われるのが、「胸の位置」です。人間の身体の構造上、ボールをホームベース上に投げるための胸の位置は概ね決まってきます。

 つまり右ピッチャーの胸がサードベースの方を向いたままでは速いボールは投げられるはずはなく、必ず胸がキャッチャーの方に向いてから腕が出てくるのです。バッターはこの胸がキャッチャーの方に向くタイミングを使って腕やボールが出てくるタイミングをはかります。

伊藤智仁は胸で引っ張って投げている

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 伊藤智仁投手は、この”胸が前に向いてから腕が出て来るタイミング”が、他のピッチャーとは異なります。動画を見ていただければわかりますが、胸が前に向いてもなかなか腕が出てこないのです。腕を振るというよりも、胸を振っているような投げ方です。

 まだ腕が出てこない、というところまでいって急激に腕が出てきて投げられるボールは、球速表示以上に速く感じます。

 また、この動きはタイミングをずらすだけでなく、スライダーの曲がりを大きくするためにも有利に働きます。則本昂大投手(東北楽天)のスピン数の秘密の回でも解説したように、スピン数を増やすことに有利に働くのです。

 スライダーは空気抵抗で急激に変化するのですが、スピン数が増えるとこの急激な変化には非常に有利に働きます。則本投手もかなり胸の動きが大きいピッチャーですが、伊藤智仁投手はさらにその上をいっています。

伊藤智仁に怪我が多かった理由

 投手としてはかなり優秀な投げ方を操っていた伊藤智仁投手ですが、肩と肘を何度も怪我し、活躍できた期間は非常に短い選手でした。

 優秀な投げ方なのになぜ怪我をしてしまったのでしょうか。

 見ての通り、伊藤智仁投手の投げ方には肩甲骨周りや背骨が非常に柔軟である必要があります。伊藤智仁投手は、肩関節が非常に柔らかいルーズショルダーという症状も持っていましたが、その柔軟性を最大限利用して投げていました。

 しかし、登板過多による疲労の蓄積やプレッシャーによって背骨(特に胸)が硬くなってしまったことも予測されます。胸が硬くなると、その動きは肩や肘の動きで補われます。つまり負担が増幅するのです。それらが要因となって肩に負担がかかってしまった結果、怪我につながったのだとと思われます。

 もし早期から対処できていれば、もう少し長く活躍できたかもしれないと思うと、いちファンとして残念でなりません。

胸の動きの高め方

 いずれにせよ、ピッチャーにおいて胸の動きを高めて、「胸で引っ張れるようになること」は非常に重要です。

 今回は胸の動きを高めるための運動をご紹介します。名前は「胸セパレート」。私の指導する選手たちからは「胸セパ」という愛称で呼ばれているトレーニングです。

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 胸の前で指先を軽く重ねます。このとき、肩の力を抜くために両肘はリラックスして少し落とします。

 突っ立つのではなく、股関節と膝をほんの少しだけ曲げて、くるぶしラインに体重をかけます。

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 この状態で、胸を左右交互に大きく振ります。ポイントは、へそは正面に向けたままというところです。

 へそはそのまま、胸だけが大きく振れているかをチェックしてみてください。

 胸が真横に向くぐらい大きく、かつ素早く、反動を利用するようにして繰り返し振ります。このとき、常に胸の前に手があるという関係性を維持してください。

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 もし動かしにくい場合は、手のひらを上に向けて行います。

©︎中野崇©︎中野崇

 動きに慣れてきたら、足を大きく前後に開いて、実際のピッチングと同じ足の状態で行います。

 初めはバランスを崩してもいいので、とにかく大きく速く振ることを優先して胸で腕を振る感覚をつかんでください

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