大学卒業後の選手生活に重くのしかかる「箱根駅伝」のプレッシャー

そして、2020年東京五輪を前に、大迫傑(ナイキ・オレゴン・プロジェクト)、設楽悠太(Honda)、井上大仁(MHPS)、服部勇馬(トヨタ自動車)といった25~27歳の箱根駅伝出身者がマラソンでも成功をつかみつつある。しかし、大学卒業後も競技を続けても、箱根駅伝がキャリアのピークになっている選手は少なくない。その原因はどこにあるのだろうか。箱根駅伝で3度の区間賞を獲得したあるスター選手はこう振り返る。

「実業団で次の目標が見つかればいいんですけど、私自身は箱根で活躍したことがプレッシャーになっちゃった部分がありましたね。あれだけ注目を集める大会ですから、見誤るんですよ、自分の実力を。学生ではトップかもしれないけど、実業団には自分よりも強い選手がたくさんいる。そういう選手と戦って負けるのは当たり前なんですけど、『何やってるんだ!』と野次られることもありました。私はそういうプレッシャーに負けたんだなという気がします。ただ良きチームメイトとめぐり会えて、この仲間たちと箱根で勝ちたい。そういう思いでやってきたので、悔いはありません」

青学大で活躍した出岐雄大(中国電力)も25歳という若さで現役を引退している。大学3年時に箱根駅伝2区で区間賞を獲得して、びわ湖毎日マラソンでは学生歴代3位の2時間10分02秒をマーク。いま大躍進中のアオガクから、最初に飛び出したランナーだ。「箱根駅伝以上の目標を見つけられなかった」という引退理由は、箱根駅伝とその後の現状をよく表しているのではないだろうか。

ハングリーさを維持しづらい 実業団でのキャリア

箱根駅伝で燃え尽きてしまう原因として、選手たちのモチベーションが大きく関係していると思う。筆者は箱根駅伝でヒーローとなり、大学卒業後も活躍している今井正人(トヨタ自動車九州)と佐藤悠基(日清食品グループ)から同じような言葉を聞いている。
今井は順大時代に5区で3年連続して区間記録を樹立。大学卒業後は思うような結果が出ない時期があったものの、2015年の東京マラソンで日本歴代6位(当時)となる2時間7分39秒をマークした。そんな今井は大学と実業団の違いをこう説明する。

「箱根駅伝は大学時代に4回しか走れません。明確な目標があるので、選手もそこに向かって自然とモチベーションが上がる。でもその後実業団に入ると、箱根駅伝ほどの高い目標がなくなるんです。それで、どこに目標を置いていいかわからなくなってしまう選手が多い印象です」

東海大時代に箱根駅伝で3年連続の区間新を叩き出し、現在も日本のトップランナーとして君臨する佐藤も、「学生時代は箱根駅伝というとてつもないモチベーションがあって、ほとんどの選手がそこに向かっている。実業団でも、ニューイヤー駅伝がありますが、箱根ほどのモチベーションにはなりません。かといって、『世界』を本当に意識している選手は少ないと思います。自分はどこまで行きたいのか。明確な目標がないと厳しいですね」と話す。

大学を卒業するとき、選手たちは大きな希望を抱いて実業団チームに進む。しかし、厳しい現実にぶちあたり、選手たちのモチベーションはそぎ落とされていく。「世界」(オリンピックや世界選手権)という目標は、大半の選手にとっては現実的ではないからだ。
しかも、箱根駅伝とニューイヤー駅伝(全日本実業団駅伝)の平均視聴率を比べると、25%を超える箱根駅伝に対して、前日に行われるニューイヤー駅伝は半分ほどしかない。世間の注目度がまったく違うのだ。

学生時代、箱根駅伝はもちろん、関東インカレ、出雲駅伝、全日本大学駅伝などでも有力選手にはメディアの取材が殺到する。それが、社会人になった途端に激減。学生時代ほどスポットライトが当たらないこともモチベーションの低下につながっている。
大学卒業後に成長できない原因として、実業団という日本独自の受け皿も挙げられるだろう。実業団は「選手」としてクビになったとしても、「社員」として会社に残ることができる。走れなくなったら生活できない、という心配がないからだ。反対にケニアやエチオピアなどのランナーはほとんどが「プロ」になる。結果を残せないと、お金を稼ぐことができない。危機感の欠如が競技力向上の妨げになっているのだ。

学生時代からなりたい選手像を描けているかが鍵

その一方で、大迫傑や服部勇馬らは学生時代から、箱根駅伝の“先”を見つめて、具体的なアクションを起こしてきた。マラソンで2時間5分台に突入した大迫は箱根駅伝に向けたトレーニングではなく、トラック(5000m・1万m)のタイム短縮を目指すことにプライオリティーを置いていた。大学卒業後、5000mで日本記録を樹立。そのスピードを生かしてマラソンでも快走を連発している。先日の福岡国際マラソンで14年ぶりの日本人チャンピオンに輝いた服部は大学在学中からマラソンに挑戦。3年時から「2020年東京五輪」を目標に定めて、そこから逆算するかたちで取り組んできた。だからこそ、社会人3年目でのマラソン成功があるのだ。

「山の神」と呼ばれた柏原竜二のように世間から熱視線を集めた選手が活躍できないと、「箱根経験者は大成しない」と言われてしまう。それはある意味、真実かもしれない。しかし、反対のパターンもある。近年は学生時代に輝くことができなかった箱根ランナーがマラソンで活躍している。その代表格が拓大OBの中本健太郎(安川電機)だ。2012年のロンドン五輪で6位、翌年のモスクワ世界陸上でも5位に食い込み、世界の舞台で〝連続入賞〟の快挙を果たしている。中本の箱根駅伝出場は1回(4年時)だけで、しかも7区で区間16位という成績しか残してない。

箱根駅伝で満足してしまうのか。それとも「世界」を見据えて、真摯に取り組むことができるか。その“差”が大学卒業後の人生を変えている。競技力のピークをどこに持っていくのか。学生ランナーたちは、「箱根駅伝」という媚薬に惑わされることなく、自分たちの夢に向かって突き進んでほしいと思う。


酒井政人

元箱根駅伝ランナーのスポーツライター。国内外の陸上競技・ランニングを幅広く執筆中。著書に『箱根駅伝ノート』『新・箱根駅伝 5区短縮で変わる勢力図』『東京五輪マラソンで日本がメダルを取るために必要なこと』など。