だが、年間35億稼ぎ、世界でも最も稼ぐアスリートの一人でもある錦織や、それに続く大坂が、ランキングと賞金獲得の面で、突出している状況の一方で、厳しい現実もある。

まず、日本男子では、錦織以下の世界ランカーが、西岡良仁(75位)、ダニエル太郎(78位)で、世界のトップ100には3人いる。それに続くのが、杉田祐一(146位)をはじめとした100位台の5人、200位台の2人となる。一方で、日本女子は深刻でトップ100に大坂1人しかおらず、続いて日比野菜緒(115位)をはじめとした100位台に4人、200位台に6人となっている。
1月14日にメルボルンで開幕するグランドスラム初戦・オーストラリアンオープンでは、大坂以外の日本女子選手は予選からの出場となる。ちなみに、日本女子ダブルスは、二宮真琴(ダブルス21位)を筆頭に、トップ100に5人が名を連ねている。この5人のうち3人がトップ50に入っている。

こういった手放しで喜んでいられない厳しい状況を目の当たりにする時、私が決まって思い出すのは、トーマス嶋田氏のある言葉だ。
嶋田氏は、元プロテニスプレーヤーで、元デビスカップ日本代表。1990年代後半から2000年前半にダブルススペシャリストとして、男子プロテニスATPツアーを転戦し、ツアー優勝2回を誇る名選手だった。アメリカ育ちながら、日本男子選手誰よりもプロ意識が高く、サムライ精神を持ち合わせていた。
当時嶋田氏は、日本でもプレーするようになってから、日本人選手によるダブルスプレーヤーへの目線にとまどうことが多くあった。
「外国では、ダブルススペシャリストは別に悪いことではないけど、日本人はちょっとびっくりしますよね。“何でダブルスだけなの?”、そういう目では見られました」

2000年代前半、嶋田氏がダブルススペシャリストとしてツアーを転戦していた頃、シングルスで世界のトップ100に入っている日本男子選手は誰もおらず、ツアー下部のチャレンジャーでさえ、まともに戦える選手は片手の指で足りるぐらいで、さらに下のフューチャーズで勝ったり負けたりしていた。まさに日本男子テニスは冬の時代だった。
現役時代の嶋田氏が、決定的に違和感を覚えたのは日本人選手のプロ意識だった。
「日本での生活は楽ですから。トップに行くことより生活を重視するようになるでしょう。それは悪いことではありません。でも、それは違う道だと思います。プロテニスプレーヤーではなくて、“テニスサラリーマン”という感じですね。本当のプロではないですね」

日本では、世界のトップ100に入っていない選手でも何らかの契約金を手にしたり、実業団に入り給料をもらったりして、プロテニス生活を続けられていた。それを、嶋田氏は、“テニスサラリーマン”と呼んだのだ。実に的確な表現だったので、今でもよく思い出す。
「テニスは勝つしかありません。外国選手は、勝てなければ、即生活できない。でも日本選手は、勝てなくても生活できる人が多すぎます」

本来プロ選手は、賞金稼ぎであり、成功を手にするまで安定を求めるのは難しい職業だ。多くの海外選手は、自己投資をして3年ほど世界を転戦して、ツアーに上がれなかった場合、遠征費を捻出できず転職を余儀なくされる。しかし、日本選手は、20代後半になってもチャレンジャーなどのツアー下部大会を回り続けている現状がある。

多くの賞金を稼げていない日本選手が、プレーを続けられる理由の一つが、実業団への所属だ。プロ選手は、企業から数百万円の年俸を受け取ることによって食べていけるのだ。もちろん生きるためには、大変有り難いことだが、ここに世界でも勝てなくてもいいやという甘えが生じる。日本選手が、海外選手よりハングリー精神に劣り、燃えたぎる執念のような勝負への執着心が不足する。時には甘えが垣間見えることもある。

ここで一つ例に挙げたいのが、現在共に26歳のマクラクラン勉(ATPダブルス18位)と内山靖崇(ATPシングルス163位、ATPダブルス180位)だ。
ニュージーランドと日本のハーフであるマクラクランは、2017年シーズン中盤から日本人選手としてプレーすることを決断し、同時にダブルスに専念し、いわゆるダブルススペシャリストになった。18位は現在までの自己最高ランキングだ。
内山は、ジュニア時代に、“盛田正明テニス・ファンド”からの奨学金サポートを受けて海外テニス留学を経験し、プロへ転向した。シングルスのキャリアハイは、2017年に7月31日に記録した162位。内山は、北日本物産が運営するリビックテニスチームに所属し、単複共にプレーを続けている。

マクラクランと内山は、2017年10月にジャパンオープンのダブルスで初優勝して、日本のテニスファンを喜ばせた。だが、その後1年間の活躍において、2人の明暗は分かれた。
フリーで活動しているマクラクランは、ツアーレベルを主戦場にして、ヤン レナード・シュトルフ(ドイツ)と組んで、2018年シーズンに、オーストラリアンオープン男子ダブルスで初のベスト4、ウィンブルドン男子ダブルスでは初のベスト8。そして、ジャパンオープンでダブルス2連覇を達成した。
一方、内山は、2018年ウィンブルドンの男子ダブルスで、予選から勝ち上がって本戦初出場を果たしたものの、ツアーレベルでは大きな結果を残せなかった。

もし、マクラクランと内山、どちらがプロテニスプレーヤーとして高く評価すべきかと聞かれたのなら、“テニスサラリーマン”としての色が強い内山よりも、賞金で独り立ちしているマクラクランを迷いなく高く評価したい。2018年シーズンに、内山はシングルスで6万8692ドル(USドル、以下同)、ダブルスで2万7531ドル、総獲得賞金は9万6223ドルだったのに対し、マクラクランは、ダブルスでの総獲得賞金は40万7321ドルだった。
ツアーレベルで結果を出しているマクラクランの、プロとしての確固たる覚悟を強く感じる。単なる良し悪しではなく、プロテニスプレーヤーとしての生き方と結果を踏まえた評価なのだ。
プロとしてのキャリアをどう選択をするのかは、もちろん各選手の自由意志だ。ただし、プロならば、テニスに限らずどの仕事にも評価が伴うことを肝に銘じておくべきだろう。

2019年からワールドテニスプロツアーの変革が始まり、ITF国際テニス連盟主催の最下位の賞金総額1万5000ドル大会は、「トランジション・ツアー」と位置付けられ、今までのように1試合ずつ試合を勝っても、世界ランキングに必要なATPポイント(男子)やWTAポイント(女子)は獲得できない。代わりに、ITFエントリーポイントが付与される。
この変革によって、ATP&WTAの世界ランキングがおよそ300位以下の選手は、2019年より男女共にツアーへ這い上がるのが以前より難しくなる。つまり、プロとしての選別がより厳しく行われ、“テニスサラリーマン”的な日本選手の多くが、おそらく苦境に立たされ淘汰されることになるだろう。

現役時代の嶋田氏は、こうも語っていた。
「トップ選手は、常にトップにチャレンジしたいんです」
この言葉には、プロテニスプレーヤーとしての本懐と矜持が凝縮されているように思えるのだ。これから、本当のプロテニスプレーヤーとして生き残れるのか、それとも“テニスサラリーマン”として時代の潮流にさらされるのか、多くの日本人プロテニスプレーヤーは、厳しい選択を余儀なくされるだろう。


神仁司

1969年2月15日生まれ。東京都出身。明治大学商学部卒業。キヤノン販売(現キヤノンマーケティングジャパン)勤務の後、テニス専門誌の記者を経てフリーランスに。テニスの4大メジャーであるグランドスラムをはじめ数々のテニス国際大会を取材している。錦織圭やクルム伊達公子や松岡修造ら、多数のテニス選手へのインタビュー取材も行っている。国際テニスの殿堂の審査員でもある。著書に、「錦織圭 15-0」(実業之日本社)や「STEP~森田あゆみ、トップへの階段~」がある。ITWA国際テニスライター協会のメンバー 。