高騰 ワールドカップ放送権

ワールドカップのテレビ放送権料は、日本韓国共催となった2002年大会から急激に上昇し始めた。FIFAがワールドカップのメディア価値を真剣に検討したのは1994年のアメリカ大会の終了後、IOCのオリンピック放送権交渉から遅れること10年余りだった。何大会も随契で権利を得てきたワールドコンソーシアム(欧州放送連合を中心とする大陸放送連合の共同体)に優先権を与えず、2002年と2006年ワールドカップの全世界放送権をまとめて競争入札にかけたのだ。このプロセスの裏では日本と韓国の2か国に絞られた激烈な招致合戦が同時進行していた。

最終選考に残ったのは3社。ワールドコンソーシアム、アメリカのスポーツエージェントIMGが提示した金額条件を凌駕したのはキルヒとSPORIS(スポリス)のジョイントオファーだった。キルヒはドイツの大手複合メディア会社、スポリスは1983年以来FIFAのマーケティングエージェントを務めてきたISL Marketing(ISL)の親会社だが、実態はペーパーカンパニーにすぎない。FIFAの理事会における決定は1996年7月5日に発表された。

キルヒとスポリス間には役割分担が出来ていた。キルヒがヨーロッパ各国テレビ局へのセールス、そしてスポリスがその他地域というもので、もちろん日本が含まれている。放送権交渉が始まったのは1998年ワールドカップ・フランス大会後である。スポリスの代理人としてISLの幹部が来日し、テレビ各局と面会した。開催国として日本代表が必ず出場するワールドカップは、マスメディアとしては是非とも放送したい。しかし日本円で250億円ともいわれた独占放送権に飛びつく局はいなかった。それどころかNHK が中心となって民放キー局を糾合し、個別交渉を極力避ける戦略に出た。すなわちスポリス(ISL)側が折れてくるまでの持久戦の構えだ。

そこに思わぬ伏兵が登場する。PerfecTV! とJskyB が1998年に合併して誕生したSKYPerfecTV! (スカパー)である。加入者を着々と増やしていたスカパーは「キラーコンテンツ」としてワールドカップに着目し、2000年9月全64試合を135億円(推定、以下同)で契約したのだ。これに驚いたNHK民放連合は、40試合を63億円で折り合うことになった。中身は、NHKが24試合で38億円、民放が16試合で25億円といわれた。結果としてスカパーはワールドカップ開幕前に加入者数300万を突破。日本中の熱気に押されNHK・民放も記録的な高視聴率を記録したのだった。

混乱 独占エージェントの機能停止

ISL Marketing(ISL)はアディダス創設者のアドルフ・ダスラーの長男で、事業を引き継いだホルスト・ダスラーがビジネスの領域拡大を狙ってスイスに設立したマーケティング会社であった。電通の資金力と営業力に期待して、同社とジョイントベンチャーの形式をとった。ISLのビジネスモデルは、スポンサーシップを中心にマーケティング展開で国際スポーツイベントの魅力を高め、主催者であるスポーツ連盟の収益基盤を安定させるというものだ。FIFA、欧州サッカー連盟、国際陸連、IOCと次々と独占エージェントの指名を獲得していった。ワールドカップに関しては、1986年のメキシコからイタリア、アメリカ、フランスとビジネス規模が拡大し、5回目の2002年は放送権と合わせると莫大な売り上げが見込まれた。

2001年1月、成長軌道を描いていたと思われたISLから突如「救難信号」が発せられた。
資金繰りが行き詰まり、FIFAに対する保証金を支払うことが出来なくなったという。前年からセールスに着手した男子テニスのATPツアーとアメリカのモータースポーツCARTのスポンサーパッケージが思ったように売れず、巨額の契約金で取得した権利が不良在庫化。これが経営を揺るがした。仕入れた「無形の価値」を担保として銀行から多額の融資を引き出してきたが、それも限界に達したのだ。仮に人気があったとしても、スポーツイベントに関する権利はイベント自体が終わってしまえば売ることは出来ない。契約書はただの紙切れ同然だ。債務超過は結局解消できず、3月末にISLは事実上倒産した。翌年のワールドカップ開催まで1年2か月である。大会運営の多くの部分をスポンサー活動に期待していた組織委員会(JAWOC)は大混乱に陥った。

FIFAは緊急事態を宣言し、すかさず直轄のFIFA Marketingを立ち上げてISLのスタッフの多くを吸収し、事業継承を図った。契約済みのスポンサーの権利は保全され、その後の数か月でペンディングになっていたIT分野のスポンサーとして東芝、NTTグループ、富士ゼロックスが合意に至り、事なきを得て2002年ワールドカップの開催を迎えたが、現実は綱渡り(タイトロープ)であった。

破綻 スポーツコンテンツの危機

ISLの倒産後、スポンサー活動を中心としたワールドカップのマーケティングはFIFAが責任を持つことで一件落着した。一方で放送権は、スポリスが分担していた日本を含むヨーロッパ以外の権利が宙に浮いた形になった。FIFAとの放送権契約ではキルヒ・スポリス(つまりISL)の内、もしも1社が機能不全に陥ったならば他方が事業継承の第一優先権を持つことになっていた。想定外の事態が起きてしまったが、各国との放送権販売がほぼ終了していたこともあり、キルヒは優先権の行使を決断した。

1956年にレオ・キルヒ氏が創設したキルヒ(通称)は放送権の売買、番組制作などを行うキルヒ・メディアを中核とし、有料テレビ、映画・出版などの事業会社がビジネスを補完し合う複雑なグループ経営形態をとっていた。放送権セールスが一段落した後、やらなければならないのはテレビ放送の「元」になる全試合の国際映像制作である。

ところで、多くの人はワールドカップの中継映像は日本のテレビ局が制作したと思っただろう。しかし違うのである。1994年のアメリカ大会でもアメリカのテレビ局は制作にかかわらなかった。ヨーロッパのテレビ各局が、アメリカの技量ではハイレベルなサッカー試合のカメラワーク、スィッチングは無理だと判断したためである。日本そして韓国でも同様だった。それに日韓両国の放送事業者が一体感と一貫性のあるカバレッジを実現することも難しそうだ。国際映像を手掛けたのはフランスのHBSという専門会社だ。

HBSが設立されたのは1999年。キルヒとスポリスが共同で出資した。ワールドカップ・フランス大会で国際映像制作のために創設されたTVRSで責任者を務めたフランシス・テリエがCEOの職に就いた。

ISLの経営問題はHBSの制作準備業務が本格化した前後に発覚したが、キルヒが事業を継承したため支障は生じなかった。しかしその裏で、キルヒグループ内で転売してきたスポーツの放送権が業績に直結せず、資本構成にほころびが生じていた。フォーミュラ・ワンやブンデスリーガが足かせになったとみられている。持ちこたえられなくなったグループ企業は2002年4月から順次破産手続きに入った。しかし、ワールドカップ関連だけは新会社のキルヒ・スポーツに権利資産を移して倒産を免れ、放送が実現しないという最悪の事態は回避されたのである。

5月31日、2002ワールドカップ開幕戦が無事キックオフした。6月9日の日本vsロシア戦は66.1%、6月30日のブラジルvsドイツの決勝戦は65.6%の高視聴率を記録し、それぞれ我が国の歴代テレビ視聴率ランキングの3位と4位に位置している。


〔平成最大のビックイベントの裏側・中編〕
<了>


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参考:「テレビスポーツ50年」杉山茂(角川インタラクティブメディア)
   「スポーツマーケティングの世紀」海老塚修(電通)

2002FIFAワールドカップ共催へのワインディングロード ~平成最大のビックイベントの裏側

AFCアジアカップ2019。アラブ首長国連邦(UAE)で開催されたアジアナンバーワンを決める大会で、日本代表は惜しくも準優勝に終わった。ファンはもちろんのこと、選手もたいへん悔しい思いをしただろう。

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海老塚 修

著者プロフィール 海老塚 修

桜美林大学客員教授。専門はスポーツマーケティング。1974年慶應義塾大学卒業後電通入社。ワールドカップ、世界陸上、アジア大会などを担当。2010年より慶應義塾大学健康マネジメント研究科教授。現在日本BS 放送番組審議委員、余暇ツーリズム学会副会長などを務める。著書に『マーケティング視点のスポーツ戦略』、『スポーツマーケティングの世紀』、『バリュースポーツ』。日本ランニング協会認定ランニングアドバイザー。