初めて挑んだワールドカップで湧き上がった感情

――サッカーだけではなく、ラグビーにもワールドカップがある。大野さんがそう認識したのはいつごろですか?

「大学でラグビーを始めてから最初に迎えた、1999年のウェールズ大会です。この時は試合をまるまるライブで見たわけではなく、翌日の新聞でその結果を知るという感じでした。印象に残っているのは、(大畑)大介さんのトライですね、ウェールズ戦の」

――当時の日本代表には、テストマッチ(代表戦)での世界最多トライ記録を更新する大畑大介さんがいました。大野さんも後に、代表で一緒にプレーします。その前にあったのが、2003年のオーストラリア大会です。

「あの年のジャパンは直前合宿を府中(東芝の本拠地)で行っていて、東芝とも練習試合を組んだんです。自分は東芝側で出してもらったのですが、実際にジャパンの選手と身体を当ててみて、『そう遠くはない』と感じました。自信はつきました。ただ、ここからすぐに日本代表に入れるというイメージはなかったです。東芝でもがっちりとレギュラーをつかんでいたわけではなかったですし、まさか自分がワールドカップに行けるとは思っていませんでした。

 初めて代表の試合に出た2004年5月は26歳でした。2007年のワールドカップ・フランス大会時には29歳。いま振り返れば全然、若いのですが、あのころは2007年までけがせず代表に定着できているのか、他にもいい選手がいるなか自分が29歳まで代表のレベルでプレーできるのかという不安がありました」

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――最終的には発足して間もなかったジョン・カーワン体制に加わり、フランスへ行きます。予選プール最終戦のカナダ戦では、ワールドカップでの日本代表の連敗を13で止めました。

「最後のメンバーに残ったとJK(カーワン)に言われるまでは(自身が大会に出られるのか)不安でした。直前の中標津合宿で、僕たちと共同キャプテンをしていた廣瀬(俊朗)が落選したんです。自分も、電話を何回も確認しました。当時は『落選する選手には理由を伝えるための電話がかかってくる』と言われていたので。

 当時のジャパンは2チーム制を敷いていて、自分は絶対に勝利を期待された側のチームにいました。自分が出なかったオーストラリアとの1試合目は3―91で負けて、皆、悔しそうな顔をしていました。フィジーとの第2戦は、自分にとって初めてのワールドカップの試合でありながらも『絶対に勝たなくては』と強い気持ちで臨んだ試合でした。あと少しで勝ちそうななか、専門職のスクラムハーフが2人もけがでいなくなるアクシデント……(31-35で惜敗)。自分はこの試合で6キロ痩せて、脱水症状になりました。これだけ出し切って負けたのなら仕方がないなと、点滴を受けながら思っていました。

 最後のカナダ戦では、(大西)将太郎がすごく難しい角度からのゴールキックを決めて12―12と同点で終えました。勝ちに近い引き分けで、すごくうれしかった。ただ、数日後に帰国して日本協会の建物で記者会見をしたのですが、廊下の壁に貼られた『引き分け』の新聞記事を見て『あの時、ああすれば勝てたのに』『勝ったらもっとすごいことになっていたのに』という感情が湧きました。それが『4年後もあの舞台に行きたい』という気持ちをつくってくれました」

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ラグビーが文化として根付く国で認められた『ジャポン』の選手たち

――引き続きカーワン体制で臨んだ2011年のニュージーランド大会。厳しい定位置争いを強いられながら、2大会連続出場を果たします。

「チームのリーダーにさせてもらって、日本代表を自分のチームだと強く思えました。レギュラーで出られない時期は悔しかったですが、リーダーの自分がそれをネガティブに出してはいけないと考えました。悔しさはプレーで示して、グラウンドを離れたらチームが少しでもいい雰囲気になるようにと心掛けていました。ニュージーランドはラグビーが国技。どこに行ってもお祭りのようでした。そこに一人の主役として参加していることが感慨深いというか、誇りを持てました。

 自分がワールドカップに参加したフランス、ニュージーランド、2015年のイングランドには、ラグビーが文化として根付いていました。フランス大会でのフィジー戦では、最後まで日本代表が勝ちそうななかスタンドからは『ジャポン』コール。翌日のオフに街へ出たときはビールをおごってもらえたし、観光バスに乗っても『お代はいらない』と言ってもらえた。日本のラグビー選手が認められたと実感できました」

<後編へ続く>

[PROFILE]
大野均(おおの・ひとし)
ポジション:ロック
1978年5月6日生まれ、福島県出身。現所属は東芝ブレイブルーパス(トップリーグ)。日本大学工学部でラグビーを始め、2004年に日本代表初出場。ラグビーワールドカップ3大会連続出場(2007年、11年、15年)。タフで衰えの見えない運動量と闘争心で多くのファンを魅了し続ける。日本代表キャップは歴代最多の98(2018年11月24日時点)。


VictorySportsNews編集部