「そんなに勝っていなかったのか?」

そう思った人も少なくないだろうが、それほど石川の存在感が大きいことを改めて証明したと言っていい。
2007年のマンシングウェアオープンKSBカップ。当時15歳で初めてプロツアーに出場し、史上最年少優勝という偉業を成し遂げた。プロ転向してからは2016年までに14勝を挙げてきた石川。18歳の時には世界最年少で賞金王に輝くなど、日本のゴルフ界を牽引してきた。

ただ、2013年から本格的に参戦したPGAツアーでは思うような成績を残すことはできなかった。時期を同じくしてPGAツアーでは松山英樹の活躍があったことも影響してか「石川遼は終わった」といった声も多く聞かれた。デビュー当時に巻き起こった“石川遼フィーバー”が衝撃的だっただけに、ちょっと不振に陥っただけでもそう思われてしまうのは致し方無いことかもしれない。さらに2017年の秋には5年間守り続けたPGAツアーでの出場権を失うことになる。

2018年からは日本ツアーに帰ってくることになるわけだが、そんな再起をかけてスタートする石川に日本の男子ゴルフ界は頼らざるを得ない状況があった。活況の国内女子ツアーとは対照的に国内男子ツアーは試合数が増えず、ギャラリー数も思わしくなかった。人気低迷の国内男子ツアー復活を石川遼の日本ツアー復帰に期待する雰囲気が強く漂っていた。

その年、石川は選手会長に就任し、日本ゴルフツアー機構(JGTO)の副会長も兼任することになる。ツアー会場ではオリジナルのピンフラッグを発売し、各選手にも積極的にサインを行うよう呼びかけるなど、様々な男子ツアー改革を実践。男子ツアーが特集されるテレビ番組では石川が自ら人選を決め、若手中心に露出を図るなどをしたとのこと。試合会場以外でも石川は全国で行われるイベントに足を運び、男子ツアー人気復活の足がかりをつかもうと尽力した。

しかし、2018年の成績は優勝争いこそあったものの未勝利に終わる。来年以降のシード権もおそらく頭の片隅にはちらついていただろう。
そして迎えた2019年シーズンだが国内開幕前に腰痛が再発する。初戦は4月末の中日クラウンズとなったが自身初の途中棄権をすることになる。その後3試合を欠場し、腰の状態が心配される中で復帰したのは日本ゴルフツアー選手権で結果は20位だった。体調面だけでなくショット面でも不安を抱えていた石川だが、日本ゴルフツアー選手権ではわずかながら手応えも感じていた。

そんな中で迎えた日本プロゴルフ選手権。この週は九州エリアを中心に各地で避難指示が出るほどの大雨が降り、鹿児島でも大きな災害の危険性があると伝えられていた。コースのある指宿へも高速道路が使えなくなるなど様々な規制が出され、コースでも悪天候と安全確保のため選手たちはクラブハウス待機となり練習ラウンドができない異例の状況となっていた。

各地で避難指示が出る状況でゴルフの大会実施そのものが危ぶまれる状況。選手会長としての立場からも、このまま開催に踏み切っていいものかどうか葛藤があったことは容易に想像できる。

結果、天候は回復傾向となったため大会は実施されることになった。練習ラウンド無しのぶっつけ本番だ。ファーストラウンドが予定されていた木曜日は中止となったため、土曜日までにセカンドラウンドが行われ、日曜日に36ホールが行われることになった。これも運命というべきものなのだろうか、石川がアマチュアとして史上最年少優勝を飾ったマンシングウェアオープンKSBカップも最終日に36ホールを行う形だった。ハン・ジュンゴンとのプレーオフを制した後の優勝インタビューでは思わず涙がこぼれた。その姿に12年前にハニカミ王子と呼ばれた石川の姿を思い出した人も多かっただろう。

プロである以上、結果を出してこそ価値が認められる。特にゴルフは個人スポーツだけに、試合で成績を残さなければ収入は断たれる。石川のように広告価値を認められてスポンサー契約を結ぶことも大きな収入源になるわけだが、それに関しても本業での結果というものが大きく関係していることは間違いない。

(C)Getty Images

今回の感動的な優勝は石川とスポンサー契約を結んでいる企業にとっても大きかったに違いない。石川のクラブのサポートを行っているキャロウェイゴルフの担当者は“石川遼”という選手の魅力を次のように話している。

「勝てない時期が続いてもサポートし続ける理由は、やはり“石川遼”という選手自体の存在感、影響力の大きさだと思います。もちろん優勝して活躍することがベストですが、それだけではない魅力が石川選手にはあるんです。例えばクラブに関しても、我々は選手からの言葉をフィードバックして、クラブ製作に役立てるわけですが、自身が思っていることをあれほど的確に言える選手は少ない。メーカーとしは非常に貴重なんです。勝てないからサポートをやめるといった考えは社内ではなかったように感じています。何度も言いますが、成績が残ることはベストですが、それ以上の価値が“石川遼”というプロゴルファーにはあるということ。ここまでの選手はなかなかいないと思います」。

石川は選手会長として、そしていち選手として国内男子ツアーを盛り上げようと尽力しているが、それとは別に石川は再びPGAツアーに戻ることを見据えている。その目標に向けた本当の意味の第一歩を今回の優勝でやっと踏み出したと言える。

秋には日本で初となるPGAツアー「ZOZOチャンピオンシップ」が開催される。そこへの出場はもちろんだが、その先にある東京五輪での日本代表もわずかながら可能性が見えてきた。

再び世界へ。これからますます石川遼から目が離せなくなりそうだ。


出島正登