日本ゴルフツアー機構の「ツアー勝利数ランキング」によると、15勝を挙げた選手は石川遼が17人目になる。ランキングの上位には、1位の尾崎将司94勝、2位の青木功51勝、3位の中嶋常幸48勝と、レジェンドたちの名前が並ぶ。
石川遼の勝利数は、レジェンドたちには遠く及ばないが、彼がまだ27歳であることを考えると、そのすごさが浮き彫りになる。
ランキング上位選手の27歳時点での勝利数を調べてみると、15勝は歴代1位に躍り出る。ただ、この勝利数は1973年のツアー施行以降のもので、尾崎将司はツアー施行前の1971年9月の「日本プロゴルフ選手権大会」で初優勝を挙げており、そこから驚異的な勢いで勝ち星を積み上げたので、一概には比較できない。
でも、それを除くと、石川遼は歴代の永久シード選手(男子ツアーの永久シードは25勝)をはるかに上回るペースで勝ち星を挙げており、現役選手の中で最も永久シードに近い池田勇太をも上回っているのだ。
石川遼は15歳の初優勝から12年で15勝なので、23歳の初優勝から4年半で11勝を挙げた池田勇太とは単純比較できないという声もあるかもしれない。だが、石川遼も2007年から2010年の4年間に9勝を挙げており、その後はPGAツアーに主戦場を移したことで日本ツアーへの出場機会が減少したので、決して見劣りする数字ではないはずだ。
石川遼は2009年からPGAツアーへのスポット参戦を始め、2011年の10試合で獲得した賞金総額が前年の150位の賞金額を超えたことによって得られる資格(テンポラリーメンバー)を行使して本格参戦を果たした。
だが、PGAツアーで勝利を挙げることができないまま故障に苦しんだため、10代のころは誰からも応援される存在だったが、20代になってからは「無謀な挑戦はやめたほうがいい」という批判的な意見も投げかけられるようになった。
その間、松山英樹がPGAツアーに主戦場を移し、2014年6月の「メモリアル・トーナメント」を皮切りに次々と勝利を重ねていったことで、「松山英樹はPGAツアーでも通用する。石川遼はPGAツアーでは通用しない」という見方をされることが多くなっていった。
また、2014年から2016年の3年間は日本ツアーでは勝利を挙げていたので、「日本に早く戻ってくればいいのに」という声もしきりに聞かれるようになった。
そして、2017年にPGAツアーのシード権を喪失し、日本に戻ってきてからも勝利を挙げることができなくなったため、「石川遼はもう終わった」という厳しい言葉も耳にするようになった。しかし、そんな周囲の評価を一気に覆す復活優勝を遂げた。
だが彼は、国内での次の勝利を目指しながらも、その視線の先にはPGAツアーへの再挑戦を見据えているようだ。その挑戦は、日本の大人たちからは「無謀だ」と再び非難されるかもしれない。
でも、過去にPGAツアーで勝利を挙げた日本人選手たちの年齢を見てみると、1983年2月の「ハワイアン・オープン」で勝利した青木功が40歳。2001年7月の「グレーター・ミルウォーキー・オープン」で初優勝した丸山茂樹が31歳。2008年5月の「AT&Tクラシック」で勝利した今田竜二が31歳。2014年6月の「メモリアル・トーナメント」で初優勝を挙げた松山英樹が22歳。2018年4月の「RBCヘリテージ」で勝利した小平智が28歳。これからの年齢がむしろ、彼にとって本当の挑戦になるのかもしれない。
石川遼がこのまま日本で勝ち星を積み重ね、尾崎将司の94勝という記録を塗り替える姿も見てみたい気はするが、それよりもやはり、日本人6人目のPGAツアー優勝者になる姿を見たい。
日米両ツアーで勝利を挙げたことがある選手の戦歴を並べてみると、青木功が日本51勝、米国 1勝。丸山茂樹が日本10勝、米国 3勝。松山英樹が日本8勝、米国 5勝。小平智が日本7勝、米国1勝。日本で15勝を挙げている石川遼が、これに続くことができる可能性がある日本人選手の筆頭であることは間違いない。
プロ野球の世界では、1995年に野茂英雄がロサンゼルス・ドジャースに移籍したのを皮切りに、MLB(メジャーリーグベースボール)に挑戦する選手が次々と現れ、名球会の入会資格が日本だけの成績から日米通算の成績に変更された。
プロゴルフの世界でも、今後はこのような制度変更が行われるべき時期が訪れるかもしれない。松山英樹が日米通算25勝を挙げる選手になる可能性は十分にあるし、そうなったら当然、永久シードの扱いを受けるべきだろう。日本10勝、米国10勝でも、その価値があると思う。
そして松山英樹だけでなく、小平智や石川遼もこのような記録に近づいていくことで、日本の男子ゴルフ界が新たな発展を遂げるかもしれない。彼らの世代には、これまでの日本人選手が到達できなかった快挙を次々と達成してほしい。