エディーからはコーチ業の全てにおいて勉強になった

――2007年のフランス大会直前、日本代表に選ばれながらも現役を引退。当時サントリーの監督だった清宮克幸さんの勧めもあり、在籍していた同部でコーチを始めます。

「将来的にどこかでコーチになりたいとは考えていました。この時は具体的にどんなコーチになりたいかまでは考えていなかったですけど、たまたま清宮さんに誘ってもらったのがいいタイミングだからと引き受けたんです。選手の頃から、自分の経験をもとに自分のやり方ばかり押し付けるコーチに『それはあなたのやり方であって、俺はそうじゃない』とずっと思っていました。いざコーチを始めてからは世界の優秀なコーチたちと会え、『コーチとはこうあるべき』ということに関する感覚が変わりました」

――サントリーや日本代表では、南アフリカ代表の軍師としてフランス大会で優勝したエディー・ジョーンズと共に働きます。

「エディーからはコーチ業の全てにおいて勉強になりました。ミーティングを一つとっても、準備をしっかりとしなきゃいけない。準備の仕方に正解はないんですが、『選手たちがそのミーティングに集中できて、聞いた内容を理解できた』かどうかの結果だけで(コーチの資質は)判断されます。そりゃ、大変ですよ」

(C)VICTORY

あの奇跡の勝利を挙げたワールドカップでの一幕

――2015年のイングランド大会。南アフリカ代表との初戦で決まった五郎丸歩選手のトライは、沢木さん発案のサインプレーで生まれました。当該のプレーを採用したのは、ジョーンズさんの反対を押し切ってのことだったようですね。

「あんまりね、そういう内部の話はしたくないんですよ。批判しているみたいになるから! ただ、コーチとして、チームのためにイエスマンになる必要はない。自分の意見をしっかりと言って、いいディスカッションをしただけです」

――結果、歴史的勝利を挙げます。

「現地の方たちは大会前から一生懸命サポートしてくれていましたけど、南アフリカ代表戦を境にそのサポートの熱が高まりました。『プールをこの時間だけ貸し切りで使わせてくれ』などの細かいリクエストが全部オッケーになって、スタッフはよりスムーズに準備できるようになりました」

(C)VICTORY

――そう言えば大会中、日本代表には故障離脱者が出ませんでした。

「長期間離脱するけがが起こる前に、ドクターを中心にメディカルスタッフとコーチングスタッフとコミュニケーションを取っていました。当時のリエゾンさん(現地での世話係。各チームに帯同)の素早い対応もあって、例えば筋肉系の故障がある選手には酸素カプセルのある施設を探して連れて行かせてくれた」

――お話を伺っていると、ワールドカップで成功するには開催国のリエゾンとの連携が大切になりそう。

「もちろんそうです。本当に準備しているチームは開催国に詳しいリエゾンを自分たちで連れてきますからね」

<後編へ続く>

[PROFILE]
沢木敬介(さわき・けいすけ)
1975年生まれ、秋田県出身。日本大学卒業後、サントリーサンゴリアス(トップリーグ)でプレー。選手時代はSO、CTBとして活躍。全国社会人大会優勝2回、日本選手権優勝2回に貢献。日本代表7キャップを持つ。引退後、2007年同チームのBKコーチ、2012年ヘッドコーチに就任。その後、日本代表コーチングコーディネーターとして、ワールドカップの大躍進に貢献。2016年サントリーの監督となり2連覇を果たす。


VictorySportsNews編集部