7つに分かれていた障がい者サッカーの団体をひとつにまとめた

「こういう賞をもらうことは、大きな励みになります。この受賞を通して、たくさんの人にJIFFの活動を知ってもらえればと思いますし、それが障がいのある人と健常者の間にある垣根を取っ払って、共生社会の実現につながっていけばいいなと思います」

7つに分かれていた障がい者サッカーの団体をひとつにまとめ「日本障がい者サッカー連盟」(JIFF)が設立されたのは2016年。だが、北澤豪会長はもっと以前にある思いを持っていた。

「日韓W杯が行われた2002年、知的障がい者の世界大会も日本で開催されたんです。このときにイギリスやオランダ、アルゼンチンなどの強豪国は、みんな代表チームと同じユニフォームを着ていたのに、日本はちがうユニフォームだったんです。彼らも日本代表と同じブルーのユニフォームを着られれば、もっと誇りを持って戦えるんじゃないか。だってサッカーはひとつでしょ。障がい者であろうと、日本代表は日本代表。同じユニフォームのほうがいいじゃないですか。そんな思いを持っていました」

その後、2014年5月15日に日本サッカー協会が発表した、誰もがいつでもどこでもサッカーを楽しめる環境づくりを推進する「JFAグラスルーツ宣言」をきっかけに、日本サッカー協会は切断障がい、脳性麻痺、精神障がい、知的障がい、視覚障がい、聴覚障がい、電動車椅子の7つの障がい者サッカー団体に一つになることを働きかけた。その結果、7団体で構成する連盟が設立され、日本サッカー協会の加盟団体となることで、組織の強化、認知の向上を目指した。だが、その道のりは、決して平たんではなかったという。

「それぞれのサッカーにルールがあり、歴史もある。やはり最初は抵抗もありましたよ。でもブルーのユニフォームが着られるならというところで、思いをひとつにすることができた。同じユニフォームを着るってそういう効果があるんです。着た瞬間にひとつのチーム、仲間になれる。自分自身もそうでしたけど、あのユニフォームを着ると、誇らしいと同時に責任感も生まれる。自分だけでなく、誰かのために戦おうという気持ちになれるんです」

どんな場所に生まれても、どんな身体で生まれても、スポーツを楽しむ権利がある

北澤会長は、これまでサッカーを通して難病の子どもとその家族の支援や途上国支援などの活動も行ってきた。そこには揺るぎない信念がある。

「サッカーを含め、スポーツって限られた人たちのものであってはならない。どんな場所に生まれても、どんな身体で生まれても、スポーツを楽しむ権利があると思うんです。実際、サッカーボールをはさんで障がい者の方と向き合うと、それだけでお互いの間にある壁がとっぱらわれる。車椅子だから、知的障がいがあるからと気をつかってはいられない。同じ目線でサッカーを楽しむことができるんです。しかもそうやってサッカーを楽しんでいると、彼らがどれだけ努力しているかも伝わってきて、自然に尊敬する気持ちになれる。理想としては、みんなごちゃまぜ、ひとつのサッカーになればいいなと思っているんです。オリンピックとパラリンピックだって区別しなくていい。サッカーはひとつ、スポーツはひとつ。そういう社会になっていけばいいと思いませんか?」

理想の社会の実現に向け、北澤会長はこれからも走り続ける。

「まずは、JIFFの活動を持続可能なものにしていくこと。そのうえでたくさんの人に障がい者サッカーの応援に来てもらって、有料化して、ビジネスとしても成立させたい。そのためにもブルーのユニフォームが必要なんです。日本代表のユニフォームを持っているサポーターの人はたくさんいるじゃないですか。そのユニフォームを着て、障がい者サッカーの応援に来てほしいんです。そうやって払ってくれるチケット代が世の中を変えていくための投資にもなる。いまはそのための基盤をしっかりとつくっていきたい。そのためには僕ももっといろいろ勉強していかなければならないですね」

“サッカーはひとつ”。かつて日本代表のダイナモと言われた男が、社会を変えるために走っている。そんな姿を見て応援してくなるのは、HEROsだけではないはずだ。


川上康介