それはお隣・韓国でも同じで、MLB開幕の日程が決まってからはテキサス・レンジャーズの外野手チュ・シンス、タンパベイ・レイズの内野手チェ・ジマンはもちろん、32歳のベテランながら今季からセントルイス・カージナルスの一員として念願のメジャー進出を叶えたキム・グァンヒョンの動向や今季の展望などが連日のように報じられている。キム・グァンヒョンは2008年北京五輪や2009年WBCで“日本キラー”と呼ばれ、かつては“韓国ナンバーワン左腕”ともされていただけに、韓国野球ファンたちの期待は大きい。

 ただ、もっとも大きな期待を寄せられているのはFAで今季からトロント・ブルージェイズに移籍したリュ・ヒョンジンだ。

■韓国人メジャーリーガーの系譜

 2013年からドジャースでMLB生活を始めた“怪物左腕”は昨季、14勝5敗を記録。オールスターゲームの先発投手を務めるだけではなく、防御率2.32で最高防御率のタイトルを獲得し、サイ・ヤング賞投票でも2位になった。

 韓国人メジャーリーガーのオールスター出場は3人目だが、栄えある先発投手を務めたのはリュ・ヒョンジンが初。記者投票2位で終わったためアジア初のサイ・ヤング賞には届かなかったが、韓国人投手がMLBで個人タイトルを獲得したのもリュ・ヒョンジンが初めてだった。今季から韓国人MLB史上最高額となる4年8000万ドルの大型契約でトロント・ブルージェイズの一員となったこともあって、名実ともに「韓国球界最高投手」になったと評価する声もあるほどだ。

 ただ、まだ33歳のリュ・ヒョンジンに韓国球界史上最高の称号を与えるのは早すぎるという意見もある。リュ・ヒョンジンは6年間でMLB通算54勝33敗の成績を収めているが、さらにその上を行く韓国人メジャーリーガーがいるのだ。

 パク・チャンホ。かつて“コリアン特急”の愛称でその名を轟かせた右腕のことだ。日本のメジャーリーガーのパイオニア的な存在である野茂英雄と同じ時期にロサンゼルス・ドジャースで活躍したのを皮切りに、テキサス・レンジャーズ、サンディエゴ・パドレス、ニューヨーク・メッツ、フィラデルフィア・フィリーズ、ニューヨーク・ヤンキース、ピッツバーグ・パイレーツなどを渡り歩き、MLB16年間で124勝98敗の成績を残した。

 2011年にはオリックス・バファローズにも所属し、日本では1勝5敗の成績しか残せなかったが、MLB通算124勝は韓国人だけではなく、MLBにおけるアジア人最多勝利記録で韓国ではこのパク・チャンホを「韓国球界最高投手」に挙げる者が今でも少なくない。リュ・ヒョンジンでさえも「パク・チャンホ先輩は小学生時代からの憧れ。彼にインスピレーションを受けて野球を始めた」と語るほどである。

■二人のレジェンド

 そのパク・チャンホが少年時代に憧れていた選手がふたりいる。ひとりがノーラン・ライアン。言わずと知れたMLB歴代最強の奪三振王だが、もうひとりが同じ時代に韓国プロ野球で獅子奮迅の大活躍を見せていたソン・ドンヨルだったという。元中日ドラゴンズの守護神と言えば、その名と顔を思い出すオールドファンも多いことだろう。33歳で来日した日本球界でも2年目でセーブ王に輝き、在籍4年で10勝4敗98セーブを記録したが、選手として全盛期だった韓国時代に打ち立てた記録はもっとスゴい。

 リーグMVP3回、最多勝4回、最多奪三振5回、ゴールデングラブ賞6回、最優秀防御率のタイトルに至っては8回を数える。韓国プロ野球通算成績は146勝40敗132セーブと歴代1位ではないが、所属したヘテ・タイガース(現KIAタイガース)を6度も優勝に導く原動力でもあったことから、「韓国プロ野球史上最高の投手」と評価されている。

 KBO(韓国野球委員会)は2011年に創設30周年を記念して「レジェンド・オールスター」を発表しているが、投手部門ではソン・ドンヨルがダントツだった。

 ちなみにこのソン・ドンヨルと熾烈なエース対決を繰り広げた “鉄腕”チェ・ドンウォンも、「韓国プロ野球史上最高の投手」に数えられるひとりだ。

 最多勝1回、最多奪三振2回、リーグMVP1回、ゴールデングラブ賞1回と獲得タイトルは少ないが、1984年には7戦4勝制の韓国シリーズに5試合登板して4勝すべてを勝ち取り、故郷でもある釜山ロッテ・ジャイアンツに初優勝をもたらしている。常にソン・ドンヨルと壮絶な投手戦を繰り広げ、ふたりのライバル物語が1980年代の韓国プロ野球人気を牽引したとも言われている。2011年12月にはふたりの熱闘を軸に当時の韓国プロ野球の熱狂を描いた映画が韓国で上映されたほどだ。

 ただ、チェ・ドンウォンはその映画の公開を見ていない。2011年9月、大腸がんのために死去。享年53歳の若さだった。死後、彼の背番号11は釜山ロッテ・ジャイアンツの永久欠番となり、2013年9月には地元企業や市民たちの募金によって、釜山ロッテ・ジャイアンツの本拠地に彼の銅像も建てられている。まさに“韓国球界の不滅のレジェンド”だろう。

 ちなみにチェ・ドンウォンは韓国球界で初めてMLB球団から正式オファーを受けた選手でもある。大学生だった1981年にトロント・ブルージェイズから4年20万ドルの条件を提示されたが、兵役のために断念するしかなかった。

 それから約40年の歳月が流れた今季、同じ韓国人のリュ・ヒョンジンがトロントのマウンドに立つが、リュ・ヒョンジンにとってチェ・ドンウォンはその才能を開花させてくれた恩師のひとりでもある。リュ・ヒョンジンは韓国プロ野球のハンファ・イーグルスでプロ生活をスタートさせており、プロ1年目で最多勝、最優秀防御率、奪三振の個人タイトル3冠を達成して新人王とMVPを同時受賞する快挙も成し遂げているが、当時のハンファ投手コーチがチェ・ドンウォンだったのだ。

 こうしたビハインドストーリーもリュ・ヒョンジンへの期待を膨らませる一因となっているわけだが、いずれにしても韓国球界に脈々と受け継がれてきたエースの系譜。まだ現役のリュ・ヒョンジンが韓国球界史上最高のピッチャーになる資格と可能性が十分にあることだけは、間違いなさそうだ。


慎 武宏