日本でもTBSが深夜から早朝にかけて生中継することもあり人気が高い。しかし今年は様相が違う。新型コロナウイルスの影響で延期され、史上初めて秋の開催となって11月12~15日に実施される。しかも観客はいない。コースの風景やコンディションはもちろん、テレビ放送枠などいつもの〝ゴルフの祭典〟ではなさそうだ。長い目で見れば、貴重な年として人々の記憶に深く刻まれる可能性もあり、主催するオーガスタ・ナショナルGCの周到な戦略も垣間見える。

色合い

 5番に「マグノリア(モクレン)」、13番には「アザレア(ツツジ)」など、各ホールに植物の異名が付けられているほど自然を大切にしている。花や木々の絶妙なマッチングは土地の事情に由来する。クラブの資料によると、もともと造園などを営む地主が、海外からも樹木や花を輸入するなどして栽培していた。〝球聖〟と呼ばれるB・ジョーンズは競技生活から引退後、自然の地形を生かしたコース造りを夢見ていたところ、この場所を紹介され「まるでゴルフコースになるのを待っていたみたいだ」と言うほど気に入ったという。私が初めて取材に訪れたのは2004年だったが、ギャラリー(大会を支援する意味で「パトロン」と呼ばれる)の葉巻から漂う煙のにおいとともに、昔の名残による花々の鮮明な色合いが強烈に印象に残った。

 秋に変わった今年はどうか。1932年の開場以来、350種類を超える計8万本の木花がコースに植えられた。アザレアやドッグウッド(ハナミズキ)が特に多く、アザレアだけでも30種類以上という。春に咲き誇るピンクや薄紫といったおなじみのカラーを、今年は目にすることが難しい可能性は十分にある。ただ、10月に通算で20回以上プレーしたことがあるという2008年覇者のトレバー・イメルマン(南アフリカ)は米メディアに「秋はオレンジや赤みがかった色味になる。どちらにしても息をのむような美しさだ」と証言。1990年に大会2連覇を果たしたニック・ファルド(英国)は「オーガスタ・ナショナルは11月に咲くような花を新たに植えると思うよ」と予想するなど、景観の違いは見どころの一つだ。

 松山英樹に日本男子初のメジャー制覇の期待がかかり、コンディションの相違がどこまで選手に影響するかにも注目が集まる。現地の気象情報によると、4月と比べ11月では平均気温が5度程度下がる。風向きも春先とは異なる北寄りの風が多くなるという。夏場の米南部ジョージア州はかなりの暑さに見舞われることもあり、例年5月下旬から10月上旬はコースをクローズしてメンテナンス。水を多くまくことによってフェアウエーが春より軟らかいとの声もある。昨年5度目の優勝を飾ったタイガー・ウッズ(米国)が「そんなに飛距離が出ないのではないか」と話すように、選手にとっては例年よりコースが長く感じるとの予測は多い。

重複

 ファンとの接点の面においても変化が生じた。第3ラウンドと最終ラウンドを中継する米三大ネットワークの一つ、CBSの放送予定が判明。最終ラウンドは午後3時(日本時間16日午前5時)までとなった。つまり、最終組が18番を終えて優勝者が決定する時間帯もそれだけ早まることになる。いつもは午後6時から6時半ごろが多い。日照時間が短くなることを考慮しても、早過ぎる感がある。実は、米国で絶大な人気を誇るアメリカンフットボールの影響によるものだ。CBSによると、週末の土日にマスターズの後、アメフトの中継を予定している。

 アメフトは秋から冬にかけてシーズンが展開される。通常の年ならマスターズと重複するはずはないが、コロナ禍ではやむを得ない。日本の視聴者によっては、毎年月曜日の朝7時から8時ごろに決まっていたグリーンジャケットの行方が繰り上がり、さらなる早起きが必要になりそうだ。

 また土曜日の第3ラウンドでは、「カレッジ・ゲームデー」と呼ばれる人気番組がオーガスタ・ナショナルGCから中継されることになった。これは、大学アメフトでその週末に実施される試合の戦力分析や裏話紹介など、盛り上げにつなげる番組。マスターズの予選ラウンドを放送するスポーツ専門局ESPNが午前9時から正午までオンエアする。中継場所は、敷地内にあるパー3コース付近。ゴルフコースからフットボールの番組となると、天国の〝球聖〟も不思議な気持ちで見守っているかもしれないが、ある意味で現実的な選択だ。CBSのスポーツ責任者は「NFLも大学フットボールも、マスターズから視聴者を引き込んでくれるのではないか」と期待する。オーガスタ・ナショナルGCのフレッド・リドリー会長は、「カレッジ・ゲームデー」の招致について「新たな視聴者を呼び込むことにつながるし、試合への関心をより高めることが期待される」と説明。マスターズとフットボールの〝ウィンウィンの関係〟を模索している。

不在

 初の無観客開催という点も見逃せない。パトロンの大歓声はマスターズの風物詩で、特に優勝争いが佳境に入った最終ラウンドの後半はボルテージが上がる。15番のパー5でイーグルを取ったり、池越えの16番(パー3)で、グリーン左サイドに切られたカップに向かい、傾斜を利用して球が近づいていったりすると、地鳴りのような声援が響き渡る。

 パトロン不在の大会は映像的に寂しさが否めない。放送枠の件でも無理をせず、フットボールに配慮したとの勘繰りが出てきてもおかしくはない。それでもテレビ中継の他に、インターネット上でのライブ配信やツイッターなどの会員制交流サイト(SNS)での情報提供に熱心で、大会の魅力のPRを図る。今年から、ファン各自が選択したお好みの選手の全ショットを見ることのできるプログラムを導入予定で、伝統にあぐらをかくことなく新しい試みにトライしている。

招待

 マスターズが他のメジャー大会と決定的に違うのは、米ツアーなどに組み込まれている現在においても、あくまでオーガスタ・ナショナルGCの招待試合であるということだ。他のメジャー同様、世界ランキングや過去の実績などで出場資格の諸条件がある。それでも「マスターズはプライベートな組織による完全なるインビテーション・トーナメントです。出場資格の規定はありますが、これに適合するからといって必ずマスターズ委員会が招待状を発行するということを意味しません」と明記。それゆえに、マスターズの招待状は今も、世界中のゴルファーたちにとって憧れだ。

 世界のマスター(名手)たちが腕前をいかんなく発揮できる環境づくり。その追究ぶりは他に類を見ない。例えば、コース上でのスマホやタブレットなど電子機器の使用禁止が徹底されており、過去に使っているのが見つかった日本人記者の携帯電話も没収されたことがある。観衆とプレーエリアを区別するロープの内側に、報道陣が入れないのも珍しい。また約束事に反してコース内を走っていると係員に注意を受ける。来場する関係者も招待される立場ゆえに、プレーヤー・ファーストの理念をひときわ厳守する必要がある。

ブランド

 3年前のオーガスタ・ナショナルGCの公表によると、大会スポンサーにはIBMやメルセデス・ベンツなど世界のトップ企業が名を連ねる。ただ、大会創設当初から商業色を出さない系譜は受け継がれており、これがファンの心をつかんでいる面がある。同GCはプライベートな存在のため、機密性が高い。メンバーは約300人との説もあり、ゴルフ用品メーカー大手のキャロウェイゴルフで幹部を務めたリチャード・ヘルムステッター氏は、自身の著書の中で「オーガスタのメンバーは現在もニューヨークのトップビジネスマンがほとんどである」と説明している。入場券料などの収入から選手への賞金を拠出しているとされる。優勝賞金は2010年の135万㌦(約1億4千万円)が昨年には207万㌦(約2億2千万円)と日本円にして約8千万円もアップしたことは大会の進化の象徴といえる。大会の優勝者に贈られるのはグリーンジャケット。芝生をはじめ緑は大会を象徴するカラーでもあり、紙コップにまで統一するきめ細かさもある。長年構築してきたマスターズのブランド力は別格だ。

 今年は入場料収入が見込めず、会場でのグッズ売り上げも入ってこないが、新型コロナウイルス禍に関連し、春先に早々に地元の大学などに200万㌦寄付したオーガスタ・ナショナルGC。1931年、アトランタから車で2~3時間のオーガスタにコース造成地が決まった際に購入額7万㌦だった土地は、今やプライスレス。春色の花々やパトロンの姿がないコロナ禍の大会をどうマネジメントし、将来につなげていくのか。世界一流のゴルフクラブの取り組みは日本のスポーツ界にとっても示唆に富んでいる。


高村収

1973年生まれ、山口県出身。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事