子どもたちに何かを返したいという恩返しの気持ちでやってきた
その授賞式で有村は、「このような名誉ある賞をいただいてすごくうれしい気持ちと、私がこれまで行ってきた活動は、自分がいろんな人たちにお世話になって育ててもらったからこそ、子どもたちに何かを返したいという恩返しの気持ちでやってきたことなので、とても恐縮しております」と喜びを語った。
有村が初めて社会貢献活動を行ったのは、高校時代を過ごした第二の故郷・宮城県で起きた2008年「岩手・宮城内陸地震」がきっかけだった。「(2006年のプロ入り当初から)社会貢献活動には興味があったんですけど、最初は先輩たちのお尻を追いかけていく感じでした」
その後、東北に再び悪夢が襲う。2011年3月11日に東日本大震災が発生。有村は高知県で開催されていたトーナメントに出場していたが、初日終了時点で競技不成立。開催中止となった。翌週以降の3試合も中止になり、スケジュールが空白になった有村を含む女子プロゴルファーたちは、3月20日に福岡県の博多駅前で復興支援を目的とした募金活動を行った。当時は津波による甚大な被害と福島第一原子力発電所事故などの影響で現地に入れる状況ではなかった。
現地に入れる状況になると、有村は被災地の子どもたちの笑顔を取り戻すことを目的に小学校訪問を始めた。開始当初は体育の時間を使って子どもたちとスポーツ交流を行い、スナッグゴルフを寄贈する活動を行っていたが、ここ数年は震災の記憶がない子どもたちが対象となってきたため、震災の記憶を伝えるとともに、夢や目標を見つけることの大切さを伝える授業を実施している。
アメリカツアー参戦によってたかまった社会貢献への意識
災害が起こるたびに社会貢献活動を行ってきた有村だが、2013年から米女子ツアーに参戦したことで、その意識がさらに高まったという。「(米女子ツアーでは)みんな当たり前のように必ず何かをやっていました。もちろん文化も違うとは思うんですけど、自分と同じくらいの歳の子たちが素晴らしい活動をしているのを見て、自分は今まで何も考えてこなかったと恥ずかしい気持ちになったのを覚えています。感銘を受けて、自分もそういうことをやっていきたいという気持ちになりました」
その思いを胸に、2014年に「智恵サンタ」プロジェクトを立ち上げた。「何がきっかけだったのかは覚えていないのですが、最近の子どもたちは夢を持って実現したいと思っても、どうせ願っても叶わないじゃん、みたいに感じている子が多いのかなと考えさせられる機会があって。夢を持つことの大事さを子どもたちに伝え、強く願えば叶うことを体感させてあげたいという気持ちからスタートしました」子どもたちの「智恵サンタ」への願い事は、一緒にクリスマスパーティーがしたい、水族館に行きたい、ボウリングをしたいといったささやかなものだったが、その願いをサプライズで叶え、子どもたちの目がキラキラする瞬間に触れることがシーズンオフの楽しみになり、自分自身にとってもプラスになったという。「そのときの子どもたちが試合を観に来てくれることもありましたし、ボウリングを一緒にした子どもたちの中で、当時まだ小学生くらいで緊張してほとんどしゃべれなかった子が、数年後にアマチュアの代表としてプロの試合に出ていたことがあり、一緒に時間を過ごした子と同じ試合に出るというのは、すごく感慨深い出来事でした」
2016年には熊本地震で自らが被災したことにより、率先して復興支援の社会貢献活動を実施。「LADY GO」の立ち上げもプレーヤーズ委員会の委員長の立場として真っ先に取り組んだ。「今は女子プロゴルファーの中でも年齢が上のほうなので、自分たちがやることによって後輩たちが何を学んでくれるかという立場にもなっています。率先して声を上げたり、何かきっかけを作ったりするのは大事だと思います」
他アスリートの活動を知ることによって、プロゴルファーの意識も向上する
だが、2020年は有村にとって考えさせられることが多い1年でもあった。新型コロナウイルスの猛威により、強く願っても叶わないことがあると思い知らされた。東京五輪が延期となり、女子ゴルフも37試合中23試合が中止となった。「私たちは試合がある時期も試合がない時期も、とにかくゴルフを練習し、上達するという部分は普段とやることは変わりません。でも、子どもたちは1年に1度の大切な試合がなくなってしまうことになるので、そういった子たちがこの時期を少しでも前向きな気持ちで乗り越えられるようにするにはどうしたらいいか考える機会が多かったです」
今までの社会貢献活動であれば、困っている人がいたら会いに行って励ましたり、義援金や救援物資を集めて渡したりすることもできた。「今年に関しては、会うことも集めることもできなかったので、思いを伝えることしかできませんでした。『自分たちはこういうふうに考えていますよ』ということを伝えるだけでも前向きになってくれる人たちがいるのかなと思ったので、SNSでいろんな発信をしたり、クラウドファンディングを立ち上げたりもしました」
ただ、その活動に手ごたえを感じていたわけではないという。今後どのような活動を行っていきたいか考えても、すぐには答えが思い浮かばない。「何かを企画するにしても、コロナが収束した場合と、収束していない場合の両パターンを考えながら、臨機応変にやっていかなければいけません。やっぱり私たちは、試合を通じて何か結果を残したときに思いを伝えるとか、今のところはそういったことしかできないのかなと思います」
ただ今回、「HEROs AWARD」を受賞したことで、今後の社会貢献活動に新たな広がりが出てくる可能性もあると語る。「私たちプロゴルファーは個人スポーツなので、何かしたくても自分たちだけの発想だとできないことが多い。でも「HEROs AWARD」の力を借りることで、『こういうことをやってみたいけど無理だよね』と思っていたことがコロナ禍でも実現できるかもしれないので、選択肢が大きく増えると思います。また、他のアスリートの活動を知ることによって、プロゴルファーの意識も上がっていくのかなと思います」
2021年も新型コロナウイルスと人類の戦いは続くことになりそうだが、有村にとって第二の故郷である宮城県は東日本大震災から10年という節目の年でもある。「10年という月日が長いのか短いのか、私たちには何とも言えない部分はあるんですけど、毎年のようにいろんなことが起きるので、被災地の方は新たな災害が起きると忘れられてしまうんじゃないかという不安もあると思います。そういった方々が少しでも前向きな気持ちになれるように、継続して思いを伝えることも大事です」
社会貢献活動への意識が高い有村が「HEROs AWARD」を受賞したことにより、新たな化学反応が生まれ、より多くの人々に勇気と希望を与えるプロジェクトが誕生することを期待したい。
「活動の数がどんどん増えていけば良い」日本プロ野球選手会の炭谷銀仁朗会長が語る社会貢献活動の意義
社会のためにスポーツマンシップを発揮した選手やチームを表彰し、アスリートの社会貢献活動を促進させるアワード「HEROs AWARD 2020」の表彰式が、12月21日に開催。コロナ禍を鑑み、日本財団ビルを会場とした式典の終了後、チーム・リーグ賞を受賞した日本プロ野球選手会会長の炭谷銀仁朗選手に話を聞いた。