ビジネスアスリートという選択

 本庄が独特なキャリアを歩む背景は前編で触れたが、自身のユニークな価値に気づいたのは大学を休学し、オーストラリアに渡った頃だった。奨学金が一時的にもらえなくなり、資金難に陥ったのだ。

「お金がなくてどうしようと思ったとき、私は日本人で唯一ソフトボールをしながら海外に行って、自分のホームページやSNSで活動を発信しているということは、価値があるのではとぼんやり思ったんです。価値があるということは、個人で応援してくれる人や、会社として応援してくれるスポンサーがいるのではないかって」

 Googleで「スポンサー 獲得 方法」と入力して調べると、アスリートとスポンサーをマッチングさせる会社「Find-FC」のサイトを見つけた。連絡をとると、同社がスポンサー第1号になってくれた。

 以降、25社以上にスポンサーとなってもらったことがきっかけとなり、本庄は「女性ビジネスアスリート」という立ち位置にたどり着く。

「スポンサーと契約する際、社長と必ず話しますよね。だから、25通りの社長の頭の中を見ることができました。そうしたら、苦しいことも辛いこともあるけど、それ以上に経営というビジネスがすごく魅力的なんだろうと感じました」

 スポンサーから資金を支援してもらう“対価”として、どうすれば企業の価値を自分がアピールしていけるか。そう考えていた頃、スポンサーの1社である「90English」というオンライン英会話スクールから仕事をしないかと誘われて働き始めた。そのつながりで「ワークスルー」というソフトバンクの社内ベンチャーで生まれたプロジェクトに業務委託として関わるようになり、さらに今は自身も暮らすアスリートシェアハウスのマーケティング業にも携わっている。

 今年9月に再び渡豪しようと計画している理由の一つは、「90English」の生徒に2人のソフトボール選手がいて、彼女たちを引き連れていくためだ。本庄自身がオーストラリアでプレーして人生が変わったように、これまでとは違うスポーツの価値を後進に示していきたいと考えている。

「仕事とソフトボールの優先順位は、正直、ないですね。時間のかけ方は、どれがその時期に頑張りどきかで変わります。私は自分のことを、『日本一』をうまく活用しているビジネスアスリートだと思っているんです。日本一を獲ったことがあるって、話のネタになりますから(笑)」

 高校時代にソフトボールで日本一になった経験は、ビジネストークを膨らますには最適だ。スポンサーとの付き合いが業務に発展するなど、本庄にとってソフトボールと仕事は切っても切り離せない関係にある。

 今後も海外でプレーしたいと思う一方、仕事も続けていきたい。だから両立することにした。現在働く3社はすべて成果主義だ。時間配分を自分で調整し、業務とプレーのバランスを決めることができる。現在もリモートワークをしており、オーストラリアに行っても継続可能だ。

ビジネスアスリートとして、仕事とスポーツを両立している

新たな道を切り開く「プロのアマチュアボクサー」

 こうして本庄が仕事とスポーツを両立できるのは、フリーランスの「女性ビジネスアスリート」という形をとっているからである。

 一方、東京五輪のボクシング男子ウェルター級の日本代表に内定している岡澤セオンは2月11日、チャリティーイベント「LEGEND」に出場し、今後は新しい肩書きを名乗っていくことを発表した。

「来年度から『プロのアマチュアボクサー』として活動していくことになりました。Tシャツをつくってスポンサーを集めて、活動を続けていきます」

 ボクシングにはプロとアマの2種類があり、ルールや稼ぎ方まで異なる。華やかなのは大きなファイトマネーが動く前者で、村田諒太は2012年ロンドン五輪で金メダル獲得した後にプロに転向した。

 対してアマチュアボクサーが大学卒業後に競技を続けるには、事実上、都道府県の体育協会か自衛隊体育学校に所属するしか選択肢がなかった。そこで岡澤は新たな道を切り開くべく、所属する鹿児島県体育協会を3月限りで離れてフリーとなり、スポンサーを集めて活動していくことにした。

 すでに地元・鹿児島の企業を中心に、今後の活動に支障のない程度の金額が集まっているという。所属先はひとまずフリーとし、ネーミングライツのような形で販売したい意向だ。

「プロでメイウェザーや井上尚弥さんが稼いでいるように、アマチュアでも稼げるようになれば、アマチュアボクシングをやろうという選手も増えるかもしれない。例えば大きい会社をスポンサーにつけて、1000万や2000万、1億とか稼ぐアマチュアボクサーが出てくるかもしれない。そうなればアマチュアボクシングの発展や、夢のあるスポーツになっていくと思っています」

 岡澤は以前から、「プロのアマチュアボクサー」というキャリアの築き方を頭の中で描いていた。それを実行に移すことができたのは、東京オリンピック代表に内定し、自身の価値を高めたからだ。

 メダル候補として周囲の期待を集めるなか、自国開催という最高の檜舞台で結果を残すことができれば、自身の名前を日本や世界に売り、さらなるスポンサー獲得につなげられるかもしれない。その先にあるのが、アマチュアボクシング界の発展だ。

「自分がアマチュアボクシングでお金をめちゃめちゃ欲しいというわけではなく、夢があるスポーツじゃないとダメだと思っています。自分が声を出すことによって、子供たちや高校生、大学生などが夢を持って始められるようにしたい。そのための第一歩にしていきたいです」

 東京五輪が終わった後、日本オリンピック委員会による各競技団体への助成金は減額すると予想される。企業が福利厚生の一環でスポーツチームを運営するという、昭和に生まれた日本独特のアマチュアスポーツのあり方が、いつまで続くかはわからない。

 一方で、現役引退後に起業家や会計士に転身した元プロ野球選手や元Jリーガーもいる。デュアルキャリアを選択するアスリートも現れ、サッカー元日本代表の本田圭佑や長友佑都のように現役中からビジネスを手がける選手も少なくない。

 不意に訪れたコロナ禍で、世の中のあり方がさまざまに変わっている。そんな時代に本庄や岡澤のようにニュータイプのアスリートが台頭し、既定路線と異なるキャリアを歩み始めた。彼らが新たに提示しようとしている価値は、今後日本のスポーツ界が発展していく上で、多くのヒントが詰まっている。



「フリーランス」を選択したアスリートの挑戦・後編<了>

日本代表やオリンピックは目指さない、「フリーランス」を選択したアスリートの挑戦

フリーランスのソフトボール選手という、独特のキャリアを築くアスリートがいる。本庄遥、24歳。左腕投手として高校時代に日本一に輝くなど、「日本代表のレベルにあったと思う」。それでも、レールに乗る生き方は選ばなかった。自国開催のオリンピックには目もくれず、我が道を突き進んでいる。

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中島大輔

1979年埼玉県生まれ。上智大学在学中からスポーツライター、編集者として活動。05年夏、セルティックの中村俊輔を追い掛けてスコットランドに渡り、4年間密着取材。帰国後は主に野球を取材。新著に『プロ野球 FA宣言の闇』。2013年から中南米野球の取材を行い、2017年に上梓した『中南米野球はなぜ強いのか』(ともに亜紀書房)がミズノスポーツライター賞の優秀賞。その他の著書に『野球消滅』(新潮新書)と『人を育てる名監督の教え』(双葉社)がある。