松山が後続に4打差をつけて単独首位で最終日を迎えたため、普段はゴルフトーナメントをご覧にならない方も多くの人が注目しただろう。そんな方々は第85回「マスターズ」と聞いて歴史のある大会と感じたかもしれないが、実は男子ゴルフの4大メジャー大会の中で最も歴史が浅い。テニスで言うところの「ウィンブルドン」といえば、テニス好きには通じるかもしれない。

 5月20~23日に開催される「全米プロゴルフ選手権」は第103回大会、6月17~20日に開催される「全米オープン」は第121回大会、7月15~18日に開催される「全英オープン」は第149回大会になる。それにも関わらず、4大メジャー大会の中で最も勝ちたい試合は「マスターズ」と口にする選手が多いのはなぜなのだろうか。

 その理由を説明するには、4大メジャー大会をすべて制覇することをキャリアグランドスラムと呼ぶところから始めなければならない。ゴルフの世界には古くから4大タイトルがあったが、それは「全英オープン」、「全米オープン」、「全英アマチュア選手権」、「全米アマチュア選手権」だった。この4大タイトルを同一年度にすべて制覇したのが「マスターズ」創設者のボビー・ジョーンズである。

 ボビー・ジョーンズは1902年3月17日生まれの米国ジョージア州出身のアマチュアゴルファー。当時はプロゴルファーが少なかったこともあり、アマチュアでありながらプロを上回る実力を備え、23歳で「全米オープン」初優勝、24歳で「全米アマチュア選手権」初優勝、26歳で「全英オープン」初優勝を挙げた。

 そして28歳になった1930年に史上初の偉業を達成した。4大タイトルを1年ですべて制覇したのだ。この快挙がトランプゲームの用語で完全制覇を意味するグランドスラムと称された。スポーツの世界でグランドスラムという言葉が使われたのは、このときが最初と言われている。

 グランドスラムを達成したボビー・ジョーンズは28歳で競技生活から引退。そして、世界的な有名人になった自分が誰にも追いかけられることなく、静かな環境でゴルフが楽しめるプライベートコースを造ることを決意した。

ボビー・ジョーンズの招待試合として発足。ゴルファー憧れの舞台に

 ボビー・ジョーンズの地元はジョージア州北西部のアトランタだが、冬の間にゴルフを楽しむ場所としてジョージア州南西部のオーガスタの街を好んでいた。果樹園だった場所に最適な用地があると聞き、その場所をひと目見て気に入り、コースを造ることに決めた。親友で実業家のクリフォード・ロバーツの協力を得て、ゴルフコースの建設に着手した。

 設計を依頼したのはスコットランド出身のアリスター・マッケンジー。1928年開場のサイプレスポイント・クラブ(カリフォルニア州)を訪れた際に感銘を受け、自分のコースを造るときは、このコースの設計者に頼むと決めていたという。二人の共同設計でコースを造り上げていった。

 コースが完成したのは1932年。名前はオーガスタナショナル・ゴルフクラブ。このコースに世界中から名だたるゴルファーを招待してトーナメントを開催することになった。それが現在の「マスターズ」である。

 1934年の大会設立当初、ボビー・ジョーンズは「マスターズ」(名手たち)という名称を嫌がり、「オーガスタナショナル・インビテーション・トーナメント」という名称で開催されていた。だが、次第に態度を軟化させて1939年から「マスターズ」という名称が使われるようになった。この大会が設立されたことと、プロゴルフ界が発展したことにより、「全英オープン」と「全米オープン」に「マスターズ」と「全米プロゴルフ選手権」を加え、4大メジャー大会が形成された。

 ただ、そのころにはゴルフ人口もプロゴルファーの数も増え、4大メジャー大会を同一年度にすべて制覇することは想像できないような状況になっていた。そこで生涯のうちに4大メジャー大会をすべて制覇することをキャリアグランドスラムと呼ぶようになった。

 キャリアグランドスラムを達成したプロゴルファーもこれまでに5人しかいない。ジーン・サラゼン(1935年)、ベン・ホーガン(1953年)、ゲーリー・プレーヤー(1965年)、ジャック・ニクラウス(1966年)、タイガー・ウッズ(2000年)である。

 タイガー・ウッズは2000年の「全米オープン」、「全英オープン」、「全米プロゴルフ選手権」と2001年の「マスターズ」でメジャー大会4連勝を達成し、これがグランドスラムに該当するか議論が巻き起こったが、2年にまたがる記録であるため“タイガー・スラム”と呼ばれた。

 4大メジャー大会のうち、「マスターズ」以外の3大会は開催コースが毎年変わるが、「マスターズ」はそのような設立由来により、オーガスタナショナル・ゴルフクラブで開催されることが決まっている。このゴルフコースがプロゴルファーにとってもアマチュアゴルファーにとっても憧れの舞台となっているのである。

 アメリカ人ゴルファーにとって憧れの存在であるボビー・ジョーンズの招待試合として発足したため、第1回大会から第24回大会までの優勝者はすべてアメリカ人。1961年の第25回大会でゲーリー・プレーヤー(南アフリカ)がアメリカ人以外の選手で初優勝。1980年の第44回大会でセベ・バレステロス(スペイン)がヨーロッパ人初優勝。2009年の第73回大会でアンヘル・カブレラ(アルゼンチン)が南アメリカ人初優勝。そして2021年の第85回大会で松山英樹がアジア人初優勝を手にした。

 優勝者に進呈されるグリーンジャケットはオーガスタナショナル・ゴルフクラブの会員であることを示すためのもので、優勝者は名誉会員の資格と生涯の出場権が得られる。松山がアジア人初の快挙を達成したことにより、今後はさらに多くの国々から「マスターズ」初出場、「マスターズ」初優勝を目指す若者が現れるに違いない。


保井友秀

1974年生まれ。出版社勤務、ゴルフ雑誌編集部勤務を経て、2015年にフリーランスとして活動を始める。2015年から2018年までPGAツアー日本語版サイトの原稿執筆および編集を担当。その他、ゴルフ雑誌や経済誌などで連載記事を執筆している。