「これで良いのかな」競技を本格的に始めるようになってからの葛藤

―睡眠時間はどのくらいでしたか。
橋本:5時間くらいでした。僕は目の下に隈があるのですが、小学5,6年くらいからあります。「寝不足なの?」とよく聞かれるのですが、小学生からの名残で、今はレーザーなどで消すこともできるらしいのですが、気にしていないので、やらなくて良いかなと思っています。

―プロになる人はそれくらいやっているのですね。
橋本:小学5,6年生くらいから、「これで良いのかな」とか「もっといろいろやりたいな」という悩みを持つようになって、選手という自覚から離れそうになっていました。

―詳しく教えてください。
橋本:例えば、学校の友達と遊べないし、話題にも入れないので、「楽しくないな」と思ってしまいました。スケートはやりたいと思っていましたが、反面、学校生活が楽しくなくて、放課後に遊びに誘われてもスケートを優先しなければいけないという葛藤があり、中学生になっても同じような思いを抱えていました。

―ドラマの話題についていけないですよね
橋本:そうですね。テレビを見る余裕がなくて、ドラマがやっている時間には家にいなかったので、ついていけなかったです。部活もやっていないですし、クラブもやっていなかったので、一緒にスケートをやっている友達とワチャワチャすることはありましたが、心のどこかで寂しさを感じていました。

―練習に行かずに遊んだことはありましたか。
橋本:練習は休まずに行きました。自分で「やりたい」と言って始めたスケートだったので、手を抜きたくないという気持ちもありましたし、コーチも毎回レッスンをしてくれるので、決められたことはしっかりやりたいと思っていました。

「スケートを一瞬忘れたかった」打ち当たった壁をどのように乗り越えたのか

―選手としての自覚から離れそうになったとおっしゃっていましたが、詳しく伺えますか。
橋本:スケートが嫌になったわけではありませんが、「スケートを一瞬忘れたかった」という感じですね。アスリートはONとOFFがハッキリしていますが、それが混じってしまったような感覚でした。スケートに対して緩くなってしまって、「とりあえず滑って、ジャンプして、スピンすればいいんでしょ」という態度になってしまい、後々になって反省しました。

―それを乗り越えるきっかけはありましたか。
橋本:中学2年生でコーチが変わったことが大きかったですね。今までのコーチがとても厳しい方で、基礎と自分の状況を慎重に見定めながら指導される方だったので、同じタイミングで始めた子たちと差が開いてしまいました。
例えば、2回転のジャンプを、周りがいろいろな種類を飛んでいるのに対して、僕は2回転のジャンプの1,2種類を固まるまでずっとやっていました。周りの子たちはいろいろなジャンプをやって、どんどん伸びている中、僕は器用ではないので、基礎を固めるやり方が合っていると思っていましたが、その差を実感してしまうと、駄目だなと思うようになりました。
そして、コーチを変えようと思った一番のきっかけが、国際試合に出るのを目標にするか、スケートの6級を取るかで悩んだことでした。僕は出られる選手が少なくても、日本代表になるチャンスかもしれないから国際試合に挑戦したかったのですが、コーチからは、「6級を取ってそれから国際試合に出る方が良い」と言われて、意見が割れてしまいました。僕は、コーチがそう言うならと思って、6級に挑戦したのですが、6級に落ちてしまって、そこで、思考回路が停止してしまい、悔しさも相まって、改めて自分をリセットしたいから、別のコーチに変えてもらいました。

―コーチを変えるというのは、大きなターニングポイントで変えていくのが普通ですか。
橋本:ずっと最初から同じコーチでやる人もいて、僕もそのつもりでしたが、どう見ても周りとの差が歴然としてしまい、スケートも辛くなってしまって、親にも「どうしよう」と相談しました。親からは、「せっかくここまでやってきたから、変えてみれば?」と言ってもらえて、コーチとホームリンクも変えました。新しいコーチは、前のコーチと真逆で、そのコーチと出会ったことで、今の自分がいます。

―どう変わりましたか。
橋本:純粋にスケートが楽しいと思いました。最初に始めた頃の楽しさが戻ってきた感覚でしたね。それから競技者として競っていくことも大切ですが、それだけではなくて、シンプルにスケートの楽しさを思い出しました。

―また熱中していったのですね。
橋本:そうですね。それから集中してスケートに取り組むようになりました。

―それはいつくらいですか。
橋本:中学2年生の5月1日です。

―日付まで覚えているのですね。
橋本:その瞬間が僕の中で衝撃的でした。ずっとこのホームリンクで、このコーチに習い続けると思っていたので、自分で新しいリンクの受付に行って、クラブ入部届のような申込用紙を書いた時が、今でも思い出せるくらい衝撃的でした。

―それはなぜですか。
橋本:自分の中で、素直に受け入れた瞬間だったのだと思います。口で「辞めます」と言いましたが、口で言ったものは形に残らないので、辞めた後モヤモヤしていたのですが、自分で新しいリンクに行って、申込用紙を書いた時、真っ白な紙に、思いっきりペンキを塗ったような感覚で、「ここからまた頑張ろう」と思うことができました。

「自分の成長が目に見えた」壁を乗り越えてから

―リンクとコーチが変わってからどのように変化しましたか。
橋本:滑り方が変わりました。

―スタイル変えるのは大変ですよね。
橋本:新しいコーチはいろいろなジャンルの曲を選ばせてくれて、今まではずっとクラシックでやっていたのが、映画の曲になったり、カチカチに滑っていたのが、クネクネ滑りだしたりしていましたね。

―自分のスタイルにはまったのですか。
橋本:はまったというより、それが楽しくなっていました。

―自分で決めるのが楽しかったですか。
橋本:自分で決めるのも楽しかったですし、いろいろなことができるようになってワクワクしていました。今までは昔の先生のスタイルに合わせて、練習方法や曲が制限されていましたが、それがなくなったことによって、「スケートが楽しい」と思うことができましたし、コーチとのコミュニケーションも取りやすくなりました。とても気さくなコーチで、それが僕にとって新しいものに感じて、そのコーチに教えてもらってから急加速で成長していきましたね。

―そこからどのように進化しましたか。
橋本:中学3年生の時は、特別良い成績というわけではありませんでしたが、神奈川の大会では良い成績を取っていました。でも、大会の成績よりも、ジャンプの質や、ステップの踏み方が変わっていて、自分の成長が目に見えましたね。

―自分で実感できたのですね。
橋本:そうですね。一番わかりやすかったのは、3回転ジャンプで、中学2年生から3年生になるまで、回転不足が多かったのですが、それがなくなりました。ステップも、それまではスローで長く滑っていたのが、小刻みに細かく踏めるようになって、成長の1年でした。そして、その年に、全日本ジュニアに出場したのですが、とても悔しい思いをして、それが一番挫折をした時だと思います。

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