野球一筋だった自分には何が残っているのだろう

スポーツ歴は小学生の時から、ずっと野球をやっていました。周りもみんな野球をしていたので、自然にという感じ。メンバーにも恵まれて、全日本リトルリーグ野球選手権大会で優勝も経験しました。自分は昔から背丈が大きい方ではなかったので、ホームランバッターと言うよりは小技を利かすタイプ。ポジションもキャッチャーをはじめ、いろいろやりました。高校は横浜市立横浜商業で、もちろん野球漬け。3年の時にレギュラーになれたのですが、甲子園に出る夢は叶いませんでした。
高校3年は、もちろん将来的なことを考える時期。進学や就職、色々な道を考えた時に、まずは野球に一区切りつけて違うことに挑戦しようとは思っていました。プロ野球選手になれるような選手では無かったですし、野球に区切りを付けなくてはならない。でも、今まで野球しかやって来なくて、勉強もおろそかにしていたほど。その野球を辞める。目標が無くなってしまった時、自分に一体、何が残っているのだろうと、ずっと考えていました。

進路を決めた、あの夏の日。

高校3年は夏の大会がありましたけれど、その前から就職や進学について考えていかないといけない。そういう時期だったので、まずは夏の大会に向けてしっかりと野球の練習をしていましたが、この大会で野球は最後にしようと、まず自分の中では心の整理をしました。そして、今までやってきた経験を活かせる、体を動かす職業は無いのか? そう考えるようになりました。警察官や消防士といった選択をして、公務員試験を受ける人が周りには多くいたので、体を動かす職業と言うわけではないですけど、そこにも興味はありました。でも、スポーツとして頑張りたいと考えた時、やはり、その選択肢は外れました。
そんなことを考えていた時に、一番身近にいたのが父(郡司盛夫さん)でした。パッと「競輪選手」という選択肢が出てきて、「やってみたい」という衝動にかられていきました。

勝負の世界で戦う父の背中を見て感じたこと

自分の場合、父が競輪選手でしたが、実はそこまで競輪に興味があったわけではありません。タイミングがあれば、父のレースをCS中継で見たりとか、KEIRINグランプリなど大きいレースを見たりもしていましたが、それ以外では普段から競輪を見ていませんでした。だから、競輪選手になりたいと思っても、具体的なイメージは持っておらず、「自転車で速く走れば良いんだろう」としか思っていなかった(笑)。競輪は体力自慢の集まりで「体力さえあればいけるだろうな」くらいの考えでした。
高校の時も実家から通っていたので、父とはずっと一緒にいました。でも、普段からどんな練習をしているのか全く分からないし、想像もつきません。ただ、父の姿を近くで見ていて、もちろんケガもありましたけれど、憧れや格好良さもずっと感じていました。父は1着が少ない選手ではありましたけど、レースは勝負事。勝負に対する姿勢が、サラリーマンとは違った世界に見えたので、魅力を感じていましたし、何よりも自分の体力で勝負できる!   それが自分の性分に絶対あっていると思い、父に「競輪選手になりたい」と伝えました。

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180度イメージが変わった競輪の厳しいトレーニング

自転車は身近なものですし、普段から乗っていたので、そこに不安は感じていなかったです。ですが、競輪選手になる練習を始めたら、イメージが全く違いました。もう全てが180度変わったほど。最初は技術よりも、体力をつける練習。何百キロも自転車に乗ったり、何十本もモガキの練習をしたり。インターバルを何本も何本も繰り返して、限界を超える練習ばかり。それが毎日のように続く。ずっと野球をやっていたので、体力には自信があったのに、こんなにもキツイのかと! それは、野球の比では無かったです。速くペダルを漕げれば良いというイメージしかなかったのですが、もちろんそれだけではダメ。体力があれば強くなれるわけでもなく、今まで自分が考えていたことは甘かったなと思い知らされました。練習すればするほど、タイムが縮まってくる嬉しさもありましたけど、当時はキツさが上回っていたので、競輪の面白さは感じられませんでしたね(笑)。

あの決断があったから今がある

今思えば、ということになってしまいますが、あの時に決断したからこそ今があると思っています。当時は競輪選手を目指す過程の中で、想像とあまりに違う練習のキツさから辞めようと思ったことも何度もありました。でも選手になると決めたからには、すべてを我慢して、頑張る。そうやって諦めずに頑張ってきたからこそ、今ようやく実を結んできたのかなと思っています。選手になろうと思った時は全くイメージができていなかったですけど、ようやく1人の競輪選手になれたかな、と今は実感しています。
競輪のレースは、約3分で終わってしまいます。その3分間で、自分の持っているものの全てを出し切らないといけません。だからこそ、厳しい練習を何本、何本も続ける。決して手は抜けない。もう限界を何度も超えるような話ですよね。でも、当時の自分では分からなかったことを、今は凄く感じています。「競輪って、こんなに面白いんだな」と。

次回予告→「親父」が「師匠」に変わった日

(郡司プロフィール)
郡司浩平(ぐんじ・こうへい)神奈川99期 S級S班
1990年9月4日生
2009年に日本競輪学校(現:日本競輪選手養成所)へ99回生として入学
2011年1月に川崎競輪場でデビュー(2着・1着・8着)
2013年1月にはS級に初昇級し、同年11月に京都向日町でS級初優勝を達成した。
その後も着実にステージを上げ、2016年1月に和歌山競輪場で記念初優勝、2017年にウィナーズカップ(高松)でG2初優勝。さらに昨年11月に競輪祭(小倉)で念願のG1タイトルを獲得。今年2月にもホームバンクの川崎で開催されたG1全日本選抜競輪で優勝を果たしている。
S級S班として今年は2年目を迎える。


(編集)チャリロト パーフェクタナビ編集部
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VictorySportsNews編集部