チーム作りのキーワードは「世界一のアジリティー(敏しょう性)で高さを凌駕する」と「ワクワク感」。戦術面と精神面の2つのコンセプトを軸に、前体制からチームをブラッシュアップした。アジア杯優勝後には「優勝の大きな要因は、終始エネルギーに溢れたプレーをできたこと。人は夢を心に抱き、効果的な方法を理解して、私ならできると思えた時に、ワクワクして力を発揮する。ワクワクする気持ちを大切にしてきたが、ワクワクが最強であることを選手もスタッフも感じられたと思う」と頷いた。

 日本(世界ランク8位)は東京五輪の疲労を考慮して高田真希(32=デンソー)、町田瑠唯(28=富士通)らベテラン勢の招集を見送り、26歳以下の選手でチームを編成。登録選手12人中、東京五輪銀メダルメンバーは5人しかいなかった。インド(同70位)、ニュージーランド(同36位)、韓国(同19位)と同組の1次リーグを全勝で突破すると、準決勝では格上のオーストラリア(同3位)を67-65の2点差で撃破。前回大会と同じカードとなった決勝では中国(同7位)を78-73の5点差で退けた。

 恩塚監督は3点シュート、激しい守備を軸にしたホーバス前監督のスタイルを踏襲した上で、約束事に縛られていた選手を解放。状況に応じて個々でプレーを選択する臨機応変さを求めた。速攻や守備でのカバーリングなどにおいて、日本人の武器であるアジリティーを生かすことも強調。そして何より、選手自身が考えて主体的に動くことを重視した。根底には与えられた仕事をこなす義務感よりも、裁量を与えられたことで得られるワクワク感の方が大きな力を生むという考えがある。

 主将を務めた林咲希(26=ENEOS)は「個人の判断が本当に重要になってくる。一瞬一瞬の動き、ボールを持っている人が何を考えているのかを、コートにいる一人ひとりが考えなければならない。そこを練習中から意識している」と説明。決勝の中国戦前夜には監督、スタッフらを含めた全体ミーティング後に、選手が残って自主的に話し合いを持った。指示を待つのではなく、選手が率先して行動する空気ができつつある。

悲願の五輪金メダルへ「ワクワクがあふれるバスケ界に」

 恩塚監督自身が、強い意志と行動力でキャリアを切り開いてきた。筑波大学卒業後、02年に渋谷幕張高で指導者のキャリアをスタート。06年に東京医療保健大で女子バスケ部を立ち上げて監督に就任した。同時期に女子日本代表のテクニカルスタッフとしての活動を開始し、07年には女子日本代表のアナリストに就任。16年リオデジャネイロ五輪8強入りに貢献し、17年からはアシスタントコーチを務めた。女子日本代表と並行して指導を続けた東京医療保健大では4部からスタートしたチームを13年間で2度の日本一に導いた。

 大学の女子バスケ部創部も、女子日本代表のアナリスト就任も、きっかけは自身の売り込みだった。渋谷幕張高の関連校として東京医療保健大が05年に開校したことを機に、大学にバスケ部を立ち上げることを提案。当初は保護者らの反対もあったが、何度も企画書を大学側に提出する熱意が実り、創部を実現した。さらに「バスケを指導するからには日の丸をつけて仕事がしたい」との思いから、アンダーカテゴリーの女子日本代表の関係者に「何でもやります」と直談判。熱い気持ちを伝え、テクニカルスタッフとして受け入れられた。

 長くアナリストを本職としただけに、分析力には定評がある。アジア杯の試合中のタイムアウトでもボードを手に具体的な指示を出すシーンが何度も見られた。日本バスケットボール協会の東野智弥技術委員長(51)は「選手の力を引き出す能力に長けている。ポジティブな言葉を使うコーチングや、映像・データの活用は恩塚監督ならでは。キーワードは〝金メダルを目指して更に積み上げる〟。義務感を使命感に変えられる恩塚監督に発展的強化を託したい」と起用理由を明かす。

 就任会見で恩塚監督は「目標はパリ五輪での金メダルを獲得。強化の肝は目的の設定にある。目的はバスケ界に夢を残すこと。観戦した方が夢を抱けることを意味します。代表チームは結果がすべて。それでも理想を語り挑戦し続けることができたら夢を残せると考えている。ワクワクがあふれるバスケ界に皆様と共に向かって行きたい」と所信表明した。

 打倒米国、悲願の五輪金メダルへ、アジア杯5連覇は最高のスタートとなった。3年後のパリ五輪まで、就任直後からのワクワク感を継続できるのか。今後は戦術とともに、精神面のマネジメント能力にも注目が集まる。大きな理想を掲げ、新体制が船出した。

木本新也

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