アドマイヤジャパンがCM出演
アドマイヤジャパンが乗馬として現在暮らしているのが、引退した競走馬たちをサポートする北海道沙流郡の施設「Yogibo ヴェルサイユリゾートファーム」。同施設がYogiboとネーミングライツ契約を結んでいる縁で「快適すぎて動けなくなる魔法のソファ」として話題になっているYogiboのビーズソファが提供された。すると、アドマイヤジャパンが見せたのは、まさかの人間以上にリラックスした姿。たった10秒で「ダメ」になった様子をYogiboの木村誠司代表取締役がツイッターで紹介したところ、これがバズり、今回の異例の“大型契約”に発展した。
Yogiboでは商品を愛用する著名人をCMなどに起用する『With Yogibo プロジェクト』を今年4月に発足。動画クリエイターのはじめしゃちょー、タレントの指原莉乃、格闘家の朝倉海、お笑いコンビのかまいたち、エンターテイナーのエハラマサヒロを起用しており、その一員にアドマイヤジャパンが加わる形だ。今回の新CM公開後にも木村社長のツイートが再び話題を呼んでおり、かまいたちの濱家隆一も思わず、「やばい!CM素材が溢れると俺らがやばい!笑」とTwitter上で反応。同プロジェクトメンバーに対しても、アドマイヤジャパンが刺激を与える結果となった。
アドマイヤジャパンは、皐月賞、日本ダービー、菊花賞からなるクラシック三冠を無敗で達成した名馬ディープインパクトと同世代の競走馬。皐月賞で3着、菊花賞では2着と、史上最強馬の呼び声高いディープの“ライバル”として存在感を見せた。現役引退後は種牡馬となり、18年に種牡馬を引退。21年に同馬が母の父にあたるサークルオブライフがG1・阪神ジュベナイルフィリーズを制するなど、その血統が再評価されている。
第4次競馬ブームに貢献する「ウマ娘」
アドマイヤジャパンとYogiboの“コラボ”が話題になった背景には、純粋にそのビジュアル、発想によるところが大きいが、第4次競馬ブームともいえる現在の状況も後押しとなった。そして、その競馬ブームを呼んだ一因に挙げられるのが、実在した競走馬を擬人化した女性キャラクターを育成し、レースに挑む人気ゲームアプリ「ウマ娘 プリティーダービー」(ウマ娘、Cygames)の存在だ。22年6月に1500万ダウンロードを達成するなど、爆発的な人気を誇り、ここから実際の競馬に興味を持つライト層が急増している。
農林水産大臣の監督を受け、日本国政府が出資する日本中央競馬会(JRA)が主催する、いわゆる中央競馬は、21年度の売得金として3兆911億1202万5800円を計上。3兆円突破は実に18年ぶりで、コロナ禍による“巣ごもり需要”も右肩上がりの売り上げに拍車をかけた。
そんな中、JRAの後藤正幸理事長が競馬雑誌「週刊Gallop(ギャロップ)」でウマ娘に言及。「本当にありがたいこと」とコメントするなど、競馬の“入り口”としてウマ娘が果たした役割は主催者側も認めるところとなっている。また、ゲーム内の人気キャラ、ライスシャワーやトウカイテイオーらモチーフとなった競走馬を特集した「週刊100名馬」(サンケイスポーツ刊)が復刻され、ベストセラーになるなど、ゲームの枠を超えて現実の競馬に関心を持つファンが増えているのは間違いないところだ。
ハイセイコーがけん引した第1次競馬ブーム
競馬界では、過去にも社会現象に発展するような大きなブームが起こってきた歴史がある。第1次競馬ブームといわれるのは1973年、ハイセイコーの活躍を契機に起こったもの。ハイセイコーは、週刊漫画誌や女性週刊誌の表紙にもなるほど、競馬に興味のない層にまで人気を博した国民的アイドルホースの元祖と言われる存在だ。地方競馬でデビューし、6戦6勝の成績を引っ提げて中央に移籍。11戦目となったダービーで3着に敗れるまで快進撃を続けた。
「名もなき地方出身の叩き上げが、中央のエリートを打ち負かす」というサクセスストーリーに、上京していた多くの地方出身者が共感したことなど、その人気を背景として当時の世相を挙げる向きは多く、75年に中央競馬は過去最高の年間観客動員数となる延べ約1500万人を記録。主戦騎手の増沢末夫が歌った「さらばハイセイコー」はオリコンチャート最高4位に入る流行歌となった。
第2次の中心はオグリと武豊
77年のトウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスによる3強時代を経て、続いて80年代後半から90年代前半にかけて起こったのが第2次競馬ブームだ。バブル景気に沸く中、武豊騎手とオグリキャップの活躍が競馬人気に火をつけた。史上初、史上最年少の冠がついた数々の記録を打ち立て続けた武豊騎手は、競馬メディア以外の取材や出演依頼にも積極的に応じてアイドル的人気を誇り、競馬の社会的地位向上に貢献した。さらにブームを加速させたのが、時を同じくして現れた名馬オグリキャップ。右前脚外向のハンディを抱えて生まれ、血統的にも目立ったところがない競走馬だったが、岐阜の小さな競馬場・笠松での活躍を経て中央に移籍。有馬記念、安田記念などを制した実力に、白い芦毛の馬体などルックスも相まって、高い人気を得ることとなった。スーパークリーク、トウカイテイオー、メジロマックイーンらウマ娘に登場する多くの名馬が活躍したのもこの時代だ。
オグリキャップの引退レースとなった90年12月23日の有馬記念には17万人もの観衆が集結。売上も2兆円程だった87年から90年には3兆円まで急増した。オグリキャップをはじめとした競走馬のぬいぐるみが人気となり、88年には映画「優駿 ORACION」がヒットするなど、競馬人気がコンテンツ産業に波及したのもこの時期。漫画「みどりのマキバオー」「じゃじゃ馬グルーミン★UP」やゲーム「ダービースタリオン」「ウイニングポスト」といった数々の関連コンテンツに親しんだファンも多いだろう。
第3次はディープインパクトが主役~そして第4次ブームへ
そして直近では “史上最強馬”ディープインパクトがけん引した第3次競馬ブームが挙げられる。これが、まさに先述のアドマイヤジャパンが活躍した時期。主戦の武豊騎手が「走っているというより飛んでいた」と形容した異次元の末脚を誇るヒーロー、ディープの登場にメディアはヒートアップし、呼応するように競馬への注目度も高まった。2006年に渡仏して臨んだ世界最高峰のレースの一つ、凱旋門賞はNHKで中継され、午前0時過ぎからの放送だったにも関わらず関東の平均視聴率は16.4%(関西は19.7%)、瞬間最高視聴率は22.6%(同28.5%)を記録した(レース結果は3着入線、その後に故意ではない禁止薬物の検出により失格処分)。
このように、かつての競馬ブームはスターの存在が呼び水となっており、スポーツの世界では多く見られてきた競技主体のものだった。ただ、今現在の第4次競馬ブームが異質なところは競馬が持つ“コンテンツの力”が先に立っているところだ。ウマ娘しかり、コロナ下において自宅で楽しめる娯楽としての“巣ごもり需要”しかり。最近では今村聖奈騎手や藤田菜七子騎手といった女性騎手の活躍が話題になっているが、それも競馬ブームあってのこと。ハイセイコー、オグリキャップ、ディープインパクトといったブームを牽引する存在があった第1~3次以上に、競馬場の外から生まれた今回のブームは、ロングテール化する可能性を秘めているともいえる。
「Yogibo ヴェルサイユリゾートファーム」と木村社長のSNSでの動画投稿で計400万回以上の再生があった今回のYogiboの話題も、SNSからブームが発信される昨今の情勢を象徴した出来事だ。単なるギャンブルにとどまらず、人間が長く親しんできた馬という生き物が介在する競馬には、その時々の世相が色濃く反映されている。