「誰もが喜んでもらえる活動にしたい」復興支援にかける想い

―オフの活動について教えてください。
丹羽:まず時系列でお話ししていくと、最初に岡崎選手と帰国して直ぐに一緒に山形県に行きました。目的としては1年間の身体の疲れを取るためにある施設に行って、酵素風呂に入ったり身体のリカバリーとトレーニングをしました。良い食事をしたりして積極的休養を取りました。

―トレーニング以降のオフのスケジュールを教えてください。
丹羽:そのあとは、広島県に行きました。
3年前、豪雨災害で被災された広島の幼稚園にNSP「NIWA SHIBA PROJECT 」で訪れていたのですが、今回、その幼稚園に芝生が根付いたことをお聞きして、6月9日に森﨑兄弟(森﨑和幸選手・森﨑浩司選手)と一緒に、その幼稚園でサッカー教室を開きました。さらにその日の午後にはサンフレッチェ広島ユースの練習に行って指導もしました。
そして、6月11日にルヴァンカップの解説のお仕事が入っていたため、前日(10日)の午前中にトップチームへの取材を行いました。また、その日の午後には、丹羽大輝後援会の感謝祭を開催しました。
そして、6月11日にはルヴァンカップのピッチ解説をさせていただきました。

―かなり濃いスケジュールですね。まずは、NSP「NIWA SHIBA PROJECT」についてお聞きしたいと思います。
丹羽:NSPを始めたきっかけは、2011年の東日本大震災でした。当時のグルージャ盛岡のキャプテンと知り合いだったので、震災の状況を聞いた時に、「物資はいっぱい届いていて、大人用の5号球は届くけど、子ども用の4号球が足りていない」という話を聞きました。それだったら「4号球を送ろう」ということで、復興支援の手助けになればと思い、活動を始めました。当時は、アビスパ福岡に所属していたのですが、チームが1勝するたびに10球を送るという活動でした。
それを何年か続けていたのですが、ある岩手県のスポーツショップの社長さんから「丹羽さんの活動は本当に素晴らしいと思います。ですが、これ以上ボールを送られると、岩手県全体のスポーツショップに打撃があるので今後は控えていただけると嬉しいです。」という連絡が来てしまいました。少し驚きましたが、確かに誰かにとっては良いことでも、違う視点で見た時に、誰かにとって良くないことになってしまうことがわかり、僕としては被災地の方が誰もが喜んでくれる活動をしたかったので、ボールを送る活動をやめてそこで考えたのが、土のグラウンドを芝生にする活動でした。

―活動をスムーズに切り替えられた要因は何ですか。
丹羽:自分がやりたいことは、「被災された方を元気付けたい」「被災地の為に何かしたい」ということだったので、少しでもマイナスな思いをする方がいるなら、誰もが喜んでもらえることを違う形でしようと考えました。
最初に相談させていただいたのが、J-Green堺の社長さんでした。「どうしたらできますかね?」という相談をさせていただいたのですが、その社長さんから「そんな素敵な活動なら一緒にやろうよ」と言っていただきました。さらに、他にも信頼できる方に相談させていただいたところ、全員から「一緒にやろう」と言っていただいたので、プロジェクトを開始しました。芝生を植える時期としては、5月から7月の間が一番良いと聞き、ちょうどその時期はJリーグの中断期間でもあるので、毎年1つの場所に行って、芝生を植える活動を始めました。
土のグラウンドを芝生化することによって、子どもたちが外遊びをする、外遊びをすることによって子どもたちが元気になってくれることが目的です。被災地では、両親を亡くした子ども達や、家族に不幸があった子ども達がたくさんいます。その子どもたちが元気になって、さらには子供たちが元気になることで家族全員が前向きになるきっかけになれば本当に嬉しいです。また、被災されていない方でも、スポーツを始めるきっかけやスポーツをする機会が増える事にもなるので、2つの意味で良い活動なのではないかと思って始めました。

―3年越しに広島の幼稚園を訪れて、どう感じましたか。
丹羽:まず、幼稚園に根付いた芝生を見た時に感動しましたね。幼稚園の先生や関係者の方がメンテナンスを頑張ってくれたおかげで、綺麗に根付いて、「こんなに大切に育ててくれたんだ」と、感謝の気持ちと嬉しさで一杯になりました。そして、そこで子どもたちと一緒に”でんぐり返り”をしたり、サッカーをしたりしている姿を見て、本当にこの活動をして良かったなと思いました。園長先生から、子どもたちが転げまわって遊んでいたり、芝生の上でお弁当を食べたりしていると聞き、さらに嬉しかったです。

―森﨑兄弟とはお話されましたか。
丹羽:「自分達の母校で尚且つ地元でやってくれて本当にありがとね」と言って頂きました。矢野幼稚園は被害が大きくて、幼稚園の半分くらいまで水が浸かってしまい、何ヶ月か休園してしまったくらい大変だったとお聞きしました。そして、森﨑兄弟の出身幼稚園と聞き、絶対ここでNSP「NIWA SHIBA PROJECT」をしたいと思い、実現させて頂きました。

「また新たな視点でサッカーを捉えられる」ユースの指導や、サッカー解説者を経験して

―ユースでの活動はどんなきっかけで始めましたか。
丹羽:Jリーグで18年くらいプレーさせてもらって、それからスペインに渡って1年ちょっと経って、まずプロサッカー選手として生活できる幸せを感じていました。日本でもスペインでも36歳なってくると引退する選手が多い中、この年齢までプロとしてサッカーができているのは、自分が今まで所属していたJリーグのクラブのおかげだと感じていました。その恩返しをどこかで何かしたいと思い、自分が所属したクラブを中心に育成選手の指導をすることを決めました。

―実際に、実現に向けてどのような流れで進んでいきましたか。
丹羽:昨年、アビスパ福岡ユースや街クラブ、大学生などに対してリモートで講演会を行いました。そして、今年のオフ期間は日本に帰ることが決まっていたので、直接選手たちを見て、触れ合って、自分が伝えられることを伝えようと決めました。そこからサンフレッチェ広島ユースの関係者の方に連絡して、指導の予定を合わせていきました。

―それぞれユースの選手達の反応はいかがでしたか。
丹羽:リモートで話すよりも、実際に彼らのプレーを見て、直接話すことができたのがとても良かったです。今回、コーチとして参加させてもらったので、選手として後輩に話す時とはまた違って、指導者として選手にアプローチすることはとても刺激的でした。難しさも感じましたが、そこでしか伝わらないものがあったのではないかと思います。
一番大事なことは、現役選手である僕が話すことに大きな意味があると思っています。

―何が難しかったですか?
丹羽:単純に時間が足りなかったです。少ない時間で全員の選手に指導することはとても難しかったので、もう少し時間が欲しかったのと、あとは言葉の選択とかですね。ただ、自分が直接プレーで見せながら伝えることができたので、コーチという立場よりはより選手に近い存在として、指導できたのではないかと思います。
それは、日本にサッカー文化を根付かせるということを考えた時に、今後現役プロサッカー選手がオフシーズンなどにお世話になったクラブに対して何か活動することはとても大事なことなのではないかと思いました。

―ルヴァンカップの解説や、トップチームへの取材など、また違った活動もされていますが、それはどのような意図で始めたのですか。
丹羽:今まで解説の仕事はしたことがなかったのですが、また違う視点や観点でサッカーを捉えられるのではないかと思いました。選手や監督への取材も、今までは取材される側でしたが、今回は取材する側ということで、選手の気持ちをよりリアルに聞けないかを意識しました。今まで経験したことがないことばかりで、とても勉強になりましたし、サッカーを伝えることの難しさを感じました。上からみてする解説と、ピッチ解説はまた違って、ピッチで見てる目線だったり、ピッチサイドの選手のことだったり、具体的に伝えなければいけなかったので、とても難しかったです。

次回は残りのオフシーズンの活動についてと、新シーズンに向けての抱負を語ってもらう。


VictorySportsNews編集部