二度目のツアー優勝を遂げ、結果的にキャリア最高のシーズンを終えた西岡は、ジュニア時代から右肩上がりの成長曲線を描いてきた選手でもある。
実家はテニススクールであり、16歳から米国のIMGアカデミーにテニス留学。その足跡だけ目にすれば、エリートと見なされがちだ。
ただ、ジュニア時代から結果を残していたにも関わらず、当時のIMGアカデミー内での評価は、必ずしも高かったとは言い難い。
「残念だが、ヨシは身体が小さすぎる」
アカデミーコーチがそう口にするのを、幾度か聞いたことがある。西岡が戦ってきたのは大柄な相手だけでなく、先入観や固定観念でもあっただろう。
「正直、微妙なコンプレックスもあったと思います」
自身を駆り立てるエネルギーの源泉を、西岡自身もそう認めた。

子どもの頃からプロを目指した西岡にとって、小学6年生時に全国大会で優勝した時から、テニスは「エンジョイするものではなくなった」。

「全国大会で勝って日本の同世代のなかで一番強くなり、本格的にプロを目指そうと思いました。そこからは、お金を稼いで生きていくためにテニスをするという意識だったので、イコール、勝たないとダメと考えたんです」

アメリカの大学から多くの誘いもあったが、すべて断ったのも、プロとして生きていく覚悟を既に固めていたから。
「プロは結果がすべて」と断言するのも、「どんなに魅力的なプレーをする選手も、勝てなければ、そのプレーを披露する舞台やファンに見てもらえる機会が無い」からだ。
だから彼は、若い頃から、勝つためにはどうすれば良いかを考え続けたという。
「子どもの頃、一歳年上にどうしても勝てない子がいたんです。球出しで練習する時にも、その子を想定して打っていました。今のボールだったら彼相手に決まる、今のボールだったら決められないと」。
さらには、強くなるための自己投資を惜しまないという哲学も、幼少期から培ってきた。それは、「父親の教えが大きい」と西岡は回想する。
「家は別に裕福という訳ではなかったですが、ジュニアの頃から、ガットの張り替えなども父親は厳しかった。ジュニアなんて、ガット切れるまで使うじゃないですか。でも全国大会に行ったら、お父さんは『1回使ったんだから、張り替えよう』という姿勢だった。張るのに1回1000円、2000円掛かっても、それは必要なことだから当たり前だと教わってきました」。
 
そんな父親の薫陶は、18歳の頃から、高いプロ意識として実践される。「プロになった時の契約金は、すべて強くなるためにつぎ込んだ」というほどに、まずはコーチ、そしてトレーナーを雇い自分を磨いた。
試合に勝っても負けても、コーチや家族と、「あの場面はこうしたから良かった」「あそこはもっとこうしておけば良かった」と話し合う。
その姿勢はトップ100に入った後も、そしてキャリアハイを記録した今シーズンも変わってはいない。
「だから僕は、こう来られたんだと思います」
そう言い彼は、右手を左下から右上へと動かした。つまりは、右肩上がりの成長曲線である。

日本男子テニス界への願い

その彼が唯一ランキングを落としたのが、2017年。3月に前十字靭帯断裂の大けがを負い、約10か月ツアーを離脱した時だ。
16歳で日本を離れて以来、ジュニア時代も含めてツアーを生活拠点とした西岡が、久々に長期滞在する日本。その時に彼は、国内のジュニア大会にも多く足を運んだ。
そして、思ったという。
「この子たち、マジでテニス上手いな。でも、マジで勝負弱いな」……と。
「そもそも小学生大会で、シードついてる力のある子が、ノーシードの選手にリードしていて逆転負けするとか、意味が分からない。要はポイントの取り方だけの問題なんですが、それが出来てないから、なおのことヤバいなと」。

この頃から西岡は、折りに触れて「日本の男子テニス、このままじゃまずいですよ。下の選手、育ってこないですよ」と警鐘を鳴らし続けてきた。ただその頃は恐らくは関係者も、錦織圭を筆頭に常時複数の選手が100位内に居る状況に慣れ、大きな危機感を抱いてはいなかったはずだ。
西岡の警告が現実となり始めたのは、ここ数年。西岡より年少の選手が、グランドスラム予選にすら居なくなった頃だ。

一人でも多くの子どもが、世界で戦える選手に育って欲しい――。
その切なる願いを実現するため、西岡は自ら行動を起こす。それが、昨年立ち上げた16歳以下の男子ジュニア大会、通称“Yoshi’s Cup”だ。
参戦選手は、これまでの戦績やプレーを参考に、西岡自らが選定した8名。優勝者には、活動支援金が与えられる。その額、昨年は100万円、そして今年(12月17~18日開催)は200万円。加えて優勝者は、“西岡と練習できる権利”も獲得できる。
支援金の用途は、「自分が強くなるため」としか定めない。遠征費に充てるもよし、コーチやトレーナーを雇うもよし。そこを自ら考え決める力も、プロとして欠かせぬ資質だと西岡はジュニアたちに指南する。
ちなみに昨年優勝者の松岡隼人は、獲得した支援金を使い、今年序盤に南米へと遠征した。南米はクレー(赤土)コートが主戦場で、そこには腕力とスタミナ自慢たちが集う。日本には居ないタイプの選手たちと戦い、経験とともにジュニアランキングポイントも獲得した松岡は、その後グランドスラムのジュニア部門に出場。西岡が捲いた種は、早くも芽吹きはじめている。

子どもの頃にテニスで身を立てると決意し、世界の一握りに属する高みに至った今、西岡は自らの知識や経験を、早くも次世代に伝えはじめている。
外野からは、「そんなことは引退してからやるべきだ」との声も、聞こえはする。ただ西岡は、「僕の価値が一番高いのは、今。今の僕が動くから賛同してくれる方も多いし、現役選手の言葉だからジュニアたちにも響く」と断言した。その理念の正しさは、松岡らYoshi’s Cup一期生たちの活躍が証明する。そして西岡自身も、自らキャリアハイを更新することで、煩わしい雑音を封じてみせた。

なぜ、ここまで強くなれたのか――?
それは恐らくは彼自身が、自身に問い、これからも突き詰めていく命題。そして、先入観や既成概念をも打ち破る自らの背で、彼は後進にも道を示し続けている。



Yoshi’s Cup 公式ページ

http://yoshihito-nishioka.com/yoshis-cup/

試合の模様はYoutubeおよびSpoliveで配信

https://www.youtube.com/channel/UCyGxHSHAJSukCPrhufLzITghttps://spo.live/

内田暁

6年間の編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスとして活動し始める。2008年頃からテニスを中心に取材。その他にも科学や、アニメ、漫画など幅広いジャンルで執筆する。著書に『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)、『中高生のスポーツハローワーク』(学研プラス)など。