目標は同じ

 日本では一般的な知名度は高いとは言えないが、両者とも申し分のない戦績を誇る。世界ボクシング機構(WBO)王者のクロフォードが39戦全勝(30KO)、世界ボクシング評議会(WBC)など三つのベルトを保持するスペンスは28戦全勝(22KO)。クロフォードが階級を上げたことにより2018年から2人がウエルター級を支配し、両雄とも敵なし状態だった。ファンやメディアを巻き込み、「一体どっちが強いのか」という議論が数年前から盛んに展開されてきた。

 お互いのプロモーション組織同士の関係がこれまで交渉成立を阻んできた。クロフォードは以前、トップランクと契約しており、スペンスはプレミア・ボクシング・チャンピオンズがプロモート。両団体はあまり一緒に仕事をしないといわれる。事実、昨年11月には試合成立かとうわさされたが破談となった。

 これに業を煮やしたのが、当事者の2人だった。35歳のクロフォードによると、メールでのやりとりを経て、電話やビデオ通話アプリ「フェイスタイム」を通してスペンスと話し合いを重ねた。時には30分もトーク。クロフォードはこう説明した。「エロールと自分は同じ目標を持っていた。つまり、ウエルター級で文句なしのチャンピオンになることだ。だからこそ、実現に向けて協力していくことにしたんだ」。敵味方を度外視し、最強を決める闘いを渇望。頂点を極めたいという勝負師らしさがあふれ出ている。

 以前「彼(クロフォード)以外とは闘わない」と公言していた33歳のスペンスも交渉の裏側を明かしながらやる気をみなぎらせている。「電話でしゃべっていろいろと協議し、ついに話がまとまったということだ。これはウエルター級の最強を決めるだけではなく、世界のベストファイターが誰かを証明する闘いになるよ」と息巻いた。

現代版巌流島

 こうした異例の経緯もあり、事前の記者会見は世界タイトルマッチの際によく見られる光景とひと味違う。通常、マイクを前にすると、興行を盛り上げる狙いを含めて相手を口汚くののしるトラッシュトークの応酬が繰り広げられる。しかし今回は、至近距離で対面するフェイスオフにおいてすら、言葉を交わしながらほほ笑む場面もあった。相手に一定の敬意を持っていることに加え、本当に強い選手ほど自信を内に秘めていることも影響したと推察できる。

 老舗の米専門誌「ザ・リング」による最新7月1日付のPFPランキングは、クロフォードが3位でスペンスが4位。ちなみに1位はヘビー級のオレクサンドル・ウシク(ウクライナ)、2位が井上尚弥(大橋)。井上は25日にスーパーバンタム級2団体王者のスティーブン・フルトン(米国)に挑む一戦を控えている。ただ、その4日後にTモバイル・アリーナで行われる今回のメガファイトの勝者が、PFPで1位に躍り出るのではとの予想も戦前から広がっている。クロフォードは基本的にサウスポーだが右でも構えられるスイッチタイプの万能型。ウエルター級に階級を上げて以降、2018年6月の試合を皮切りにここまで7試合全てでKO勝ちと、脂が乗り切っている。対するスペンスはサウスポー。センスあふれる動きから勝負どころでは強烈なパンチを浴びせ、連勝街道を突っ走ってきた。

 2人ともそろって、今回の極上対決を次のように評した。「an old-school fight」。意味するところは、昔ながらの闘い。あえて例えるなら〝現代版 巌流島の決闘〟とでも表現すべきだろうか。会見時の静けさが逆に、リング上でのハイレベルで白熱したファイトを期待させる。試合はケーブルチャンネルのSHOWTIMEで、視聴ごとに課金されるペイ・パー・ビューとして中継され、日本でもWOWOWで観戦できる。

リスクを取って三者三様の得

 ファンは強豪同士のせめぎ合いを目撃して喜び、プロモーターら関係者たちはばく大な収益が生み出され歓喜する。メガファイトは往々にしてさまざまな幸福を呼び込む。当の選手たちにとっては強敵に敗れてしまう危険性はもちろんあるが、それを補って余りあるような大きな価値をもたらす。というのも、強過ぎるゆえにマッチメークに苦しみ、秀逸な戦績を残しても「たいした選手と闘っていない」などと難癖をつけられる選手もいるからだ。

 例えば、ミドル級で現在41歳のゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)。昨年4月に村田諒太の最後の相手になったことでも知られるが、世界戦で17連続KO防衛の偉業を遂げた実績がある。強打を誇り、戦績は42勝(37KO)2敗1分け。この2敗1分けは年齢的に陰りが見えていた時期のもので、相手は全て、かつてのPFP1位サウル・アルバレス(メキシコ)。敗戦や引き分けの中には、実際はゴロフキンが勝っていた試合もあるとの声は根強い。ただ、KO勝ちした相手に同格の世界的スターは少ないと指摘する声もある。

 クロフォードとスペンスは拳を交えることで、そうした雑音にさらされる怖れはなくなるだろう。どちらかの無敗神話が途切れる可能性が高いだけに、ハイリスク・ハイリターンでもある。それでもスペンスは、多くのボクサーが危険を冒すことを恐れすぎていると言及し、次のように力説した。「リスクを取らないとナンバーワンになることなんかできない」。

 巌流島の闘いで佐々木小次郎を倒した剣豪、宮本武蔵は勝負の極意について、著書「五輪書」の中で次にように記している。「其くづれめにつき、敵のかほたてなほさざるやうに、慥かに追ひかくる所肝要也」。敵の崩れ目を逃さず、立ち直ることができないほどに確実に追撃することが肝心―。29日、相手の隙を突き、Tモバイル・アリーナのリングで最後に仁王立ちしているのはどちらだろうか。


高村収

1973年生まれ、山口県出身。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事