堀米さんは前週10月22日にも同イベントにスポーツクライミングの野中生萌さんと登場し、大学生を相手に”特別講義”やスケートボードの体験イベントを行っていた。

4大大会で計50回優勝、パラリンピック金メダル4個の国枝さんとの対談

 国枝さんといえば、車いすテニス界で数々の栄光を築いた名選手。その獲得タイトル数は驚異的だ。テニス4大大会のシングルス・ダブルスでは計50回の優勝、パラリンピックではシングルスで3個、ダブルスで1個の計4個の金メダルを獲得している。2023年1月に、世界ランキング1位のまま引退した。

 2人は昨年の同イベントでも共演していて、この日が2回目の共演となった。今回のイベントは、第1部に2人の対談と車いすテニスの体験会、第2部にスケートボードの体験会が行われた。会場が第1部と第2部では異なったが、それぞれ多くの参加者や見学者が集まった。

 まず、このイベントのテーマである「新しい夢の作り方とチャレンジすることの重要性」について、対談が行われた。司会者からチャレンジできる社会にするには何が必要か問われると、国枝さんは「以前に比べて日本も変わってきている」と話した。

「1990年代は、街で車いすの人になかなか出会わなかったが、海外だとショッピングモールをはじめ、至るところで見かけた。なんで日本ではこんなに(車いすの人が外に)出ないのかなと思った。ただ、2000年代に入ってから、車いすの人を街でも見かけるようになった。それはインフラとか人々のマインドが変わったからかもしれない。ポジティブな方向にいっている。やりたいことにチャレンジする権利というのは誰もが持っているので、そういうことは大切にしてほしい。そういう社会になってほしい」

堀米さんがチャレンジしていること

 また、堀米さんはオリンピックなどの競技とは別でチャレンジしていることを明かした。

「(スケートボードの)映像作品とかを表彰する、スケーターオブザイヤーという賞があるんですけど、スケーターにとってはオリンピックの金メダルと一緒の価値があるもので、大会とはまた違う。アート作品に近いというか、自分のクリエイティブによって、好きなこと、好きな場所で映像を作る。そういった作品を撮れる人も限られているし、大会に出ているスケーターで撮れた人はほとんどいなくて、(賞を)何十年もとれてない。そこを夢としてトライしているし、日本のスケートボード自体、カルチャー部分のところが知られていないので、広めていって、スケートボードの良さや楽しさも伝えていき、次の世代がもっと活躍できる場所を作っていけたらいいなと思う」

 堀米さんがスケートボードを始めたのは、仲間で楽しむことであったり、ストリートカルチャーに憧れたから。現在は競技者としての活動が主軸にはなっているが、こういった文化や歴史を大切にしていきたい、育てていきたいという思いも持ち続けている。

 参加者との質疑応答では、上手くいかない時の気持ちの切り替え方について問われた国枝さんから金言が出ていた。

「チャレンジしている時が一番楽しい。負けた時の方がモチベーションが上がるタイプ。負けると、敗因が出てくるので分析して、自分が次にこれを取り組めば良いというのがわかった時、早くテニスコートに戻りたいという気持ちがすごく強くなるタイプ。そこで新しいことにチャレンジし、失敗することも結構あるけど、また次のベクトルに向かっていく。自分を成長させるにはその繰り返ししかない。トライアンドエラーの重要性を学んだ」

 堀米さんもその考え方に同意していた。

テニス初挑戦の堀米さんを大絶賛

 対談後には、車いすテニス体験イベントを実施。参加者に国枝さんが優しく指導していた。その中で、国枝さんがコートそばで見ていた堀米さんに「少しやる?」と誘うと、恥ずかしながら堀米さんがテニスラケットを握り、国枝さんとラリーを行った。初めてとは思えない打ち返しぶりに、国枝さんは「初心者の人って(打ち返したボールが)上にいっちゃう。堀米くんはいきなりラケットを持ってちゃんと返ってくるからセンスある。コントロールもばっちりだし。金メダリストは他の競技をやらせても運動神経がちょっと違う」と絶賛すると、堀米さんは「初めてだったんですけど、(球が打ち返せたのは〉奇跡です。すごく楽しかった。次は車いすにのってやってみたい。こんなに褒めてもらうと趣味でやってみようと思う」と笑顔だった。

 第2部では場所をムラサキパーク立川立飛に移し、堀米さんによるスケートボード体験イベントが行われた。体験会参加者だけでなく、コート脇には多くの見学者が集まり、堀米さんの動きをスマホで追っていた。

 前週の上智大学での同イベントでは簡易的な特設パークだったが、今回は世界大会も可能な本格的なスケートパーク。堀米さんは参加者たちに丁寧にボードの乗り方などを指導していた。そして、短い時間ではあったがコース上でトリックを披露し、参加者や見学者から歓声が起こっていた。

 イベント途中には、国枝さんも合流。車いすで勾配のあるコースを駆け上ることに挑戦し、見事に上りきっていた。

 ムラサキパークは日本では数少ない、スケートボードやBMXなどの競技ができる本格的なパークで、以前は東京都足立区にあった。堀米さんは幼少期から足立区にあった同所で練習してきたが、今年5月に再開発に伴って閉店。7月に立川に移転オープンしている。堀米さんは日本に滞在している時は普段から練習に訪れているという。

NEC + CHALLENGE PROJECT

国枝さんからパリ五輪に向けエール

 イベント終了後、2人は報道陣に対応した。2週続けて体験会でスケートボードを教えた堀米さんは「教える機会は少ないので、こうやって初めてスケボーをトライしてくれて『楽しい』って言ってもらえて嬉しかった。これからもスケートボードは奥深いので、そこを知ってもらえたら。また伝えていけたらと思います」と感想を述べていた。

 国枝さんは、報道陣から堀米さんの初テニスの点数を聞かれて「100点です。初めてでありえない」と改めて大絶賛していた。堀米さんも「今日テニスをしている時が一番楽しかった」と笑わせ、「国枝さんと一緒にできて、自分が一番楽しめたのが何よりの思い出。今後もテニスをしたい」と話していた。

 そして、現在パリオリンピックの出場に向けて戦っている堀米さんに向けて、国枝さんがエールを送った。

「これから堀米くんもパリ五輪もあるだろし、まだまだ先に目指すものがあると思うので、スケートボードに没入していってほしい。オリンピックはわかりやすいところで、これから勝負していく。応援します。来年金メダルを取って、よりスケートボード界を盛り上げてほしい」

 堀米さんも「常にチャレンジを達成させることが僕の夢でもある。その夢をどんどんかなえていけるように、来年はオリンピックという大きいイベントがあるので、そこに挑戦したい」と意気込みを語っていた。

 堀米さんにとって、国際大会が9月からしばらくなかった中で開かれたイベントで、レジェンドアスリートとの交流や、スケートボードの体験会での交流など、良いリフレッシュになったに違いない。


大塚淳史

スポーツ報知、中国・上海移住後、日本人向け無料誌、中国メディア日本語版、繊維業界紙上海支局に勤務し、帰国後、日刊工業新聞を経てフリーに。スポーツ、芸能、経済など取材。