母親に言われて中学生でダンススタジオを経営するように
ー本日はインタビューよろしくお願いいたします。まず、はじめにダンスという存在に触れたきっかけについてお聞かせください。
chiharu:ダンスは3歳のときに始めたんですが、始めたのは姉がダンスを習い始めたのにあわせてという感じですね。正直記憶は全然ないんですが(笑)。
ーご両親がダンスと接点があって、という形なんですかね?
chiharu:ダンスを習ったりとかいう経験はなかったみたいですけど、母親はみたりするのは好きだったみたいですね。あとはディスコにいったりとかして、踊ったりするのは好きだったみたいです。
ーその後、ダンスにのめり込まれていったのはどういうきっかけがあったんですか?
chiharu:ダンスのイベントだったり、発表会で、ステージに立って踊るのがすごく好きで。そこからいろんなコンテストだったりにも毎週のように出るようになって、勝つとまたやる気にもなっていきますし、そうやってどんどんのめり込んでいった感じですね。
ー中学校に入学されたあと、いきなりダンスのスタジオを作られたとうかがったんですが。
chiharu:作ったというよりは、作らされたと言いますか(笑)。小学校のときに通っていたスタジオで、低学年の子たちに向けてダンスを教えていたのをみて、母親が「スタジオを作ればいいじゃない」といって、祖父が作っちゃったっていう感じですね(笑)。
うちの親族が自営業、特に祖父と父に関しては内装屋をやっているということもあって、スタジオを作れちゃったという部分もありますし、自営業的にやっていくっていうことにも抵抗感がなかったからなのか、、、(笑)。
ー当時の思いをお聞かせいただきたいんですが。
chiharu:まだ自分も教えたいという思いもなくて。教えられるだけのスキルもなかったですし。もっというと経営なんてまったくわかんないので(笑)。本当にずっと手探りの状態でしたね。
最初は生徒が5人くらいの状態で始まって。そこからいろんなイベントやお祭りに出て、存在を知ってもらったりとか、駅までビラを配ったりとか、学校から帰ってきていろんなお家にポスティングしたりとか。しかもスタジオも空き地にプレハブのような形で作ったので、夏は暑いわ、冬は寒いわで本当に大変でした(笑)。
スパルタ指導についていけず、30人が一斉にやめてしまった
ー中学生でそんな経験をされた方はなかなかいないですよね。
chiharu:そうやってやっと人数が集まってきたかと思うと、30人くらいが一気にやめてしまって。当時の指導の仕方がスパルタというか、「コンテストに出て勝つんなら本気でやらないと」という思いで指導していたんですけど。中学生ということもあって、至らない部分もあったのか、親御さんに「そんなに厳しくしなくていいです」と言われて、辞められてしまったりということもありましたね。
でも、そんな中でもまだ自分たちからダンスを教わりたいっていう生徒が残ってくれて、なんとか今までスタジオを続けることができています。今では当時指導していた生徒たちが先生になって、生徒に指導してくれていますね。
ーそこから高校に進学されても、引き続きスタジオで活動されてという形ですか?
chiharu:高校は代々木のダンスの専門学校に進学して。お昼までは専門学校にいって、昼から千葉のスタジオまで戻って、っていう生活でしたね。
高校を卒業した後は、いろんなシーンのダンスを経験してみたくて。アメリカにダンス留学にいったり、帰ってきた後は、スタジオもやりながら、大阪にも定期的に行くようにしてましたね。
その後、世界的なダンスチームに所属されている方と交流する機会があって。そのチームのオーディションに挑戦して、メンバーとして加入することができたので、世界のいろんな地域にいったりとか、そういう経験をすることができました。
chiharu プロフィール
幼少期の頃からヒップホップを始める。小学生からはコンテストに挑戦し数々の成績を残し、中学生でスタジオを作り、インストラクターとして指導を始める。20歳から海外へダンス留学をして、幅広いダンスジャンルを学ぶ。最近ではさまざまな有名アーティストのバックアップや、MV出演、振り付けなど幅広く活動している。dip BATTLESでは2022-23シーズン加入当初からリーダーを務める
dip BATTLES
ディップ株式会社が運営し、2021-22シーズンからD.LEAGUEに参戦しているプロダンスチーム。「新時代をつくる」をシーズンスローガンに掲げ、2022-23シーズンにMVD2回、ベストスキル賞を受賞したKENSEIがDリーグ史上最年少ディレクターとしてチームを牽引する。