カレン語と英語
その後、ミャンマー軍と軍政権はDKBAとの約束を守り、ミャインジーグー僧正が仏教徒のカレン難民を集めていた地域を特別行政区に指定し、カレン自治区ともいえる状態を公的に認めた。それでもなお、将校はKNLAに留まっていた。
「マナプロウとワンカーを失って、KNLAは致命的なダメージを受けた。指導部は『これからは、仏教徒のカレン族を尊重する』と言った。私はその言葉を信じて離脱しなかった。同じカレン族として、彼らとともに戦うつもりだったんだ。それでも何年経っても、彼らのやり方や態度は変わらなかった。
一方、ミャインジーグー僧正は〈我々の未来〉を示した。KNLAのキリスト教徒の支援者たち、欧米人たちはカレン族を〈孤立〉させようとしている。私は、僧正が特別行政区や方々の村落に学校を作り、そこで〈カレン語〉と〈ビルマ語〉を使い、教える姿を見たときに気づいたんだ」
将校はカレン語を止め、ビルマ族の協力者にビルマ語で話しかけた。
「かつては、われわれはビルマ語も使いこなすことができた。ところが、今のわれわれの子供たち、あるいは長きにわたって国境沿いの難民キャンプで育った若者たちは〈カレン語〉と〈英語〉しか話せない。これは異常なことだ。分かるだろ? 言葉は文化や信仰と繋がっている。私たちの子孫が〈ビルマ語〉から切り離されたら、ビルマ族との共存の可能性はますます遠ざかる。分離独立の可能性も、高度な自治権を確立する可能も、もうほとんどないのに、このままビルマ族よりも欧米人とべったりしていたら、ミャンマーでわれわれの地位を得るという選択の余地さえ失ってしまうんだ」
国家は税金を徴収する
マナプロウの陥落から数年後、彼は自ら率いる部隊の有志を連れてKNLAを離脱し、DKBAに合流した。その間、ミャインジーグー僧正は仏教を通じて、ビルマ族コミュニティとカレン族コミュティを近接させ、それだけにとどまらず、タイでも仏塔を建立するなど、カリスマ的な人気を博したが、同時に、軍事政権側から国内統合の方便として利用される場面も目立つようになっていた。
そしてDKBA(カレン仏教徒軍)もまた、ミャンマー軍との〈合同作戦〉という名目でKNLAへの攻撃に積極的に参加し、ときには奪還したKNLA支配地域において、キリスト教徒のカレン族民間人から略奪行為をおこなうなど、不祥事が続発――。
「タイとの国境沿いの流通を支配していた時期のKNLAには、金があった。チーク材をはじめとした密売を管理(違法に通行料を徴収)し、多くの支配地域の村々からは食料など様々な物資が供給されていた。つまり、KNLAは勝手に〈租税徴収〉を行っていたわけだ。意味は分かるよな。おい、ノートとペンを持ってきてくれ!」
将校は、わざわざ若者兵士に筆記用具を持って来させたが、予想はついた。KNLAや彼らに好意的なジャーナリスト、あるいは欧米諸国の人道支援団体は、ミャンマー軍から資金供与を受けて〈合同作戦〉を行っていたDKBAをしばしば批判していたからだ。机の上に白い紙がきた。最高幹部は大きな円を描き、その中に小さな円を幾つか描いた。
「国家は、税金を徴収する。そしてまた、国家の傘の下に置かれた地方自治体も税金を徴収する。だが、税金を徴収していいのは、このふたつの存在だけだ。国家と地方自治体――KNLAは国家でも地方自治体でもない」
最高度の自治
取材班は尋ねた。できるだけ柔らかい口調で、機嫌を見て話すよう、通訳に念を押してから言った。
「仰る意味は分かりますが、ミャンマーに限らず、国家と敵対するゲリラがお金を得るためには〈国家〉のように振る舞うしかないという事情も否定できないのでは? もちろん、KNLAを擁護するわけではありませんが……かつて、あなた自身も属していたKNLA(KNU)は、自らを国家に見立てて、疑似政府まで作っていたので……」
すると気を悪くするでもなく、将校は答えた。
「結局、何事も金が左右するのは事実だろう。人の暮らしを支えるのは金だし、闘争するためにも金が必要だ。同じように、平穏のためにも金がいる。現在、KNLAはその主張を後退させているが、彼らのそもそもの要求は〈ミャンマーからの分離独立〉だ。
今、彼らは分離独立とは言わず、〈最高度の自治権〉を要求しているが、この〈最高度の自治権〉には、カレン民族の自治政府による〈租税権〉も含まれている。分裂時のDKBA(カレン仏教徒軍)は〈最高度の自治権〉を求めなかった。DKBAが求めるのは〈分離独立〉でもなく〈最高度の自治権〉でもない。我々はミャンマーの一員となり、完全な形での〈租税を保証された自治区〉も求めない。
我々が求めるのは、ミャンマーを構成する一員としての〈制限された一定の自治権〉だけだ……租税権を放棄する代わりに、政府が我々に金を払うのは当然だろ。我々は〈軍〉だ。軍の仕事はビジネスじゃない」
これが、DKBA(カレン仏教徒軍)が資金供与を受けてKNLAと戦ったことに対する彼なりの釈明だった。