半分の身体
「普通の奴は、3本足で一人前だろ。おれには足が1本しかないから、それで3本分。自由自在さ」
3本足、右足、左足、男なら持っている股間の足。ビレイ牧師は下ネタが好きだが、もちろん相手は選ぶ。タイ国外から「人道的巡礼」に訪れる教団の信徒たちの前では、そんな冗談は口にしない。
「おれは、身体が半分だからな」
これも口にしない。
東南アジアやアフリカで、牧師に似た人には幾度も会ったことがある。ポリオのせいで両脚が麻痺した者だ。ある者はスケートボードの上に座り、両手で地面を漕いでいた。また別の者は手作りの木製車輪に乗っており、車椅子や電動車椅子を使う人もいた。ビレイ牧師は、その誰とも違う。24時間365日、両手にサンダルをはめ、両膝に軍用のニーパッドをつけて、虎のように四つ足で歩くのだ。
「施設の子供たちを連れて、動物園に行ったら、ライオンが怯えて後退りしたんだ。驚いたよ」
様子を見にきたタコラン村の住民のひとりが教えてくれたが、たしかに、ビレイ牧師の姿には崇高さが漂っている。だが、その崇高さを支えているのは、神の威光やゆるぎない信仰心ではないだろう。ビレイ牧師は取材班の半分以下の速度と高さで、両手と両膝を使って前に進む。彼の所作には一寸の隙もなく、力強い。異常に発達した僧帽筋と肩、それに二の腕を使って身体を浮かせてベンチに座り、両腕だけで柱を登って屋根を修理し、畑を耕す。牧師と呼ばれるずっと前から、彼はそうやって生きてきたのだった。
取材班は、ペペよりも牧師の話を聞きたくなった。本間と山本に事情を話すと、ペペの付き添いをしてくれるというので、ふたりを連れて、クロエが待つ農道の車に向かった。念のため、事前に確認すると、本間も山本もその教団の信者ではないと言う。
どうやって調べたのかは伏せるが、取材班はふたりの言葉が嘘ではないことをその場で確認し、その旨を〈イギリス人の組織〉の者らに伝えた。その結果、双方の大人が立ち会いのもと、クロエとペペは旧交を温められることになったのだった。
金儲け以外は何でもできる
「父も母も兄弟のことも覚えているが、うちには〈家族構成一覧表〉がなかった。ジャングルだからな。誕生日を祝う習慣もなかったから、自分がいつ生まれて、何歳なのかは、正確には分からない。ただ、小さな頃から一緒に育ち、一緒にタイまで逃げてきた友達が今年45歳だから、おれも同じぐらいだろう」
ビレイ牧師が生まれ育った村は、ミャンマー・タニンダーリ地方域の山中、KNLAの支配地にあったという。友人の年齢から逆算すると、タイ側へ逃げたのは牧師が29歳の頃だ。当時は、まだ牧師ではないので、ここからはビレイと書く。
「2004年、ミャンマー軍とDKBA(カレン仏教徒軍)、KNLAの戦闘が激しくなって、おれの住んでいた村も戦闘に巻き込まれるようになった。焼き打ちされる日も目に見えてきたから、皆でタイ側へ逃げることになった」
ある夜、父と母、3人の姉妹弟、友人らと共にビレイは出発した。彼には両足がないので象に乗っていたが、中途で戦闘に巻き込まれ、父親は被弾。「即死だったかどうかは分からないが、撃たれて倒れたので、それ以上は見ていない。遅かれ早かれ死んだだろう」。ビレイも象から転げ落ち、付き添う友人と四つ足で逃げた。その場で、家族は散り散りになった。
ビレイは数日間、友人とジャングルをさまよい、偶然行き会ったカレン族の象使いの親切もあって、ようやくタイへの越境に成功したのだという。
「難民キャンプがどこにあるのかも分からなかったから、いろいろな人に聞き回ったら『あなたは可哀そうな人だから、教会へ行けば、なんとかしてくれるんじゃないか』と言われたのさ」
ビレイと友人は教会にたどり着いた。それは教団のコミューンだった。両腕で歩くビレイの姿を見た牧師たちは驚き、彼はただちに受け入れられた。
「ジャングルに住んでいたから、金儲け以外は何でもできる。自分で家も建てられるし、屋根も葺き替えるし、鍬だって」
今と同じように、ビレイは熱心に働いた。求められるまま教団にも入信したが、プロテスタント主流派の信者だった友人は馴染めず、UNキャンプのタムヒンに移ってしまった。
「しばらくして、巡回でやってきた同じカレン族の牧師と仲良くなってね。『ここは息苦しいだろ? おれは、牧師を養成する資格を持っている。おれの教会へ来て牧師の資格をとれば、ここを出られるぞ』。そう言われて、牧師になることにした」