新たな教区

 牧師を養成する資格を持つというこの男は、教団の中でも変わり者として知られていた。ミャンマー軍とKNLAがまだ激しく戦っていた頃、比較的安全なタイ側で暮らすのではなく、ミャンマー側のKNLA支配地から、タイ側へ若者や子供らを運んで宗旨替えさせる役割を担っていたため、その奔放な振舞いに眉を顰める教団上層部の者はいても、表立っては彼を問い質せなかったそうだ。

 ビレイは喜んで彼に付き従い、牧師になるための講義を受けた。タイとミャンマーの国境を行き来しながら、各所の教会や村を巡るうちに、彼を慕ってくれる者も増えたそうだ。数年後、ビレイは牧師になって、自分を拾ってくれたコミューンへ戻った。すると、周囲の者の態度が違う。以前とは打って変わって、随分よそよそしい。

 落ち着く間もなく、彼は教区の責任者に呼ばれ、牧師として新たな教区を開拓するよう命じられたのだった。「信徒たちが牧師の着任を待っている村へ行ってほしい」と指示され、ビレイ牧師は小さな村へ向かった。それが、現在のタコラン村だ。

「教団が出してくれた車で村に着くと、ひとつの灯もない、真っ暗な森の中。そこに、懐中電灯を持って3人の信徒が現れた。タコラン村の信徒はそれで全員だった」

 ビレイ牧師と助手のアンリ(仮名)を降ろすと、車はすぐに走り去った。ふたりは信徒の小屋に泊めてもらい、翌朝から作業を始めた。

自ら努力する者

 雨水が溜まらず、やや平坦な場所を探して芝焼きする。信徒に連れられ、近所の住民に挨拶回りをすると、ビレイ牧師の姿に驚いた村人たちが材木と竹を寄進し、小屋作りを手伝ってくれた。材木と竹で骨組みを作った後は、竹を編んで壁を作る。
「カレン族の家(簡素な高床式住居)は2週間もあれば建てられるが、ほとんどひとりでやったから、ずいぶん時間がかかったよ」

 こうして、新しい暮らしが始まった。小屋の隣の土地を耕し、自家菜園も始めた。

ビレイ牧師は獣肉を食べない。これは教団に入る前からだ。ジャングルに住んでいたときから、蛋白源は魚やコオロギ、蛙に鼠だった。自家菜園に植えたのは、収穫まで手早いミントの類だったので、野菜は信徒から寄進してもらった。

教団のルールに従って、安息日には、3人とアンリを前に説法した。今でも使う、お気に入りの節回し。

「篤実な信仰心を誇りにする者がいる……私は誰よりも神を信じている! そう言う奴はいるよな? 私の信仰心は他の誰より篤い! 私は日がな一日、祈りを捧げているのだ! だから、私は他の奴よりも神に近く、他の奴よりも神に愛される……そりゃ、嘘だ! 祈るだけでは世界は変わらない。君の状況も変わらない。神は祈るだけの奴を助けたりしない。ただ神を信じているだけの奴を救いもしない。神が助けるのは、自ら努力する者だ」

 その言葉通り、自ら努力を続けたビレイ牧師の前に変わり者の日本人――あるいは、合気道界の異端児――本間学が現れたのは2011年7月1日のことだった。このときビレイ牧師は、竹で作った高床式の平屋に、ミャンマーから逃げてきた7人の孤児とともに暮らしていた。

ヤマモト

 さて、ではなぜ本間は、タイの山中の誰も知らない場所で暮らしていたビレイ牧師を知り、そして会いにきたのだろうか。
「ちょうどその頃は、各国の支援先を回って、現地スタッフから報告を受けていた時期だったんだね。バングラデシュやミンダナオ(フィリピン)の孤児院、ミャンマーの僧院とか。ミャンマーからタイへ逃げて、両足が動かないのにたったひとりで小屋を建て、孤児たちと暮らしている若者がいるという話は、デンバーで世話をしたカレン族から聞いた」

 本間は飄々と話したが、これだけではよく分からない。「各国の支援先」というのも「デンバーで世話をした」というのも――と、ヤマモトと名乗ったもうひとりの謎の日本人が言葉を足した。

「2005年からしばらくデンバーの日本総領事館にいた時、本間先生の知遇を得ましてね。08年に、UAEの大使館で勤めを終えた後は、折に触れて、先生のお供をさせてもらっているんです」

 取材班のひとりがこっそり、しかし素早く検索すると、ヤマモトは本当に在UAE日本大使館の元一等書記官だった。

「本間先生はね、あの植芝盛平の最後の内弟子ですよ」

 あの、植芝盛平――若き日は大東流の達人・武田惣角に師事し、後には合気道の開祖として日本武道史にひときわ輝く最強の男。

「塩田剛三(植芝の高弟/『刃牙』に登場する渋川剛気のモデル)とか……」

 多少、武道に心得のある取材班のひとりがこぼすと、山本が笑った。

「いつか本間先生の評伝を書くのが、私の夢でね。これまでにかなり調べたので、今度ゆっくり話しましょう」
 あれから約5年、その機会がようやく訪れた。

Vol.15に続く

Project Logic+山本春樹

(Project Logic)全国紙記者、フリージャーナリスト、公益法人に携わる者らで構成された特別取材班。(山本春樹)新潟県生。外務省職員として在ソビエト連邦日本大使館、在レニングラード(現サンプトペテルブルク)日本総領事館、在ボストン日本総領事館、在カザフスタン日本大使館、在イエメン日本大使館、在デンバー日本総領事館、在アラブ首長国連邦日本大使館に勤務。現在は、房総半島の里山で暮らす。