相棒との仕事
佐藤は自分の過去をあまり語りたがらなかったが、学生運動組織の幹部であったらしく、何らかの事件を起こして刑務所に入っていたのだと本間は推測した。親方はその佐藤を信頼して、山中の隔離小屋にあるダイナマイトの管理を彼に任せるようになった。
発破作業をする日の朝、佐藤と本間は現場に行く前にそこに立ち寄り、羊羹(ダイナマイトのことを羊羹と呼んでいた)50本入りの箱を持ち出した。本間がそれを背負い、佐藤が雷管の箱を持った。50本入りの羊羹は重く、背負う肩にロープが食い込んだ。
発破を仕掛ける現場では、本間がまず20キロの削岩機を抱えて断崖絶壁をロープで降りて行く。そして「ガッガッガッガ!!」と削岩機で岩壁にいくつか穴を空けた後、長いロープを振り子のように振って移動し穴に羊羹を埋める。
その作業が終わって本間が崖の上に戻ると、今度は佐藤が同様に長いロープを降りて行って、振り子になって岩壁を移動し、穴に雷管を差し込む。ダイナマイトの威力を増すために、彼は腰に付けた袋から砂を取り出して穴の隙間を塞いだ。本間と佐藤は、そんな危険な連携作業を毎日のようにやっていたのだ。
飯場生活
度胸があり、そして万事そつなく働く本間は、親方に気に入られ可愛がられるようになった。元ヤクザなどの跳ねっ返りで生意気な新入りの男が島にやって来ると、親方の指示で本間が制裁を加える役回りとなった。
制裁を加える主な方法は、コンクリートミキサーの中に男を叩き込む事であった。叩き込まれてコンクリートまみれになった男は、慌てて浜に行き海水で身体を洗うが、出来たての生コンクリートは海水と反応して異常に熱くなるため、コンクリートまみれの哀れな男は、益々焦ってもがき溺れることになる。かなり手荒な洗礼であるが、それ程の制裁を加えなければ、その島の飯場の秩序は保つことができなかったのだ。
そんな青ヶ島にも、盆と正月は来る。孤島で働く男達も盆の2日間だけは休むことが出来た(普段は天気が良ければ土曜も日曜も関係なく労働日となる)。
お盆休みには本間達は狭い岩場に造られたコンクリートの桟橋まで降りて行って魚釣りをした。釣れるのはカワハギくらいのものであった。しかしこのカワハギをナイフで引き裂き、辛い青唐辛子を刻んだ醤油ダレにつけて食べると、とても美味しかった。あるいは岩に沢山へばりついているトコブシ(貝)なども採って食べた。
それらの貴重な海の幸に舌鼓を打ち、そして焼酎を飲んで男達は騒いだ。この時ばかりは無礼講である。親方も小頭も人足も、みんな一緒に酒を飲み交わし騒いだ。
酒が回ると島の村人達は「島踊り」を踊った。この島踊りは空手の型の演舞のような踊りであった。両手を握り拳にし、足を踏ん張って勇壮に踊った。両手のしなやかで力強いその動きはまるで空気を切るようであった。
本間がその島での半年間の仕事を終えて秋田に帰る時、親方、小頭はじめ飯場の仲間が波止場で見送ってくれた。その中にあの佐藤もいた。
本間は佐藤に近づき「有難うございました」とその両手を握ると、
「こちらこそ有難う。本間君は良いな。アメリカへ行けて」
と言い、本間を眩しそうに見つめた。そして、本間の乗る小舟が波止場から離れ、その姿が見えなくなるまで、佐藤はそこにじっと立ち続けていた。
その後の彼の消息は定かではない。