空白の4年を経てドラフト候補へ。悲願の指名へかける想いとは

 和歌山ウェイブス(元和歌山ファイティングバーズ)においては過去にドラフト指名を受けた選手がいないため、叶えばこちらも球団史上初の快挙だ。和歌山県田辺市に拠点を置く和歌山ウェイブス。田辺市出身の小川が、NPB入りを果たし、地元を盛り上げるには十分すぎる話題であろう。そんな地元の期待がかかる小川だが、過去には一度野球を辞めていた期間が存在する。2018年、第100回のメモリアル大会となった全国高校野球選手権記念大会。石見智翠館高等学校に通っていた小川は高校三年生の夏、島根県の代表の座をかけ地区予選の決勝に挑むも、益田東高等学校相手に6-0で無念の敗退。甲子園出場を目指して野球と向き合ってきた小川は、当時同校に所属していた水谷瞬(現北海道日本ハムファイターズ)や、のちにNPB入りを果たす久保修(現広島東洋カープ)らが上のステージへと進む中、一度野球界から退くこととなった。

ブランクを感じさせないプレースタイル

 高校卒業後は地元の企業に就職した小川。そこから4年間はグランドから足が遠のいていた。現役時代のポテンシャルを見込んで周りから野球界復帰への誘いも多くあり、付き合いで草野球を嗜んではいたものの、奮い立つほどには到底及ばなかった。しかし、そんな小川が一念発起したのは2022年の秋。再び野球に対する火が灯り、その後のドラフト会議では同級生の久保が指名されたことが拍車をかけることになる。

「プロ(NPB)に行かないと正解じゃない」

 その言葉通り、小川のNPBに対する姿勢は誰よりも強い。無名の自分がスカウトの目に留まるよう、第一に心掛けたのは盗塁数と出塁率。いわゆる目に映る数字を追いかけた昨シーズンとなった。言葉通り、内野安打や逆方向へのシュアなバッティングと出塁を量産。塁に出ては二盗・三盗と勢いよく走り出す。そんな姿勢を貫いた昨シーズン、残した盗塁数は58(試合数50)。当時、さわかみ関西独立リーグのリーグ記録を更新し、盗塁王も獲得した。「野球をするためだけに入ったわけじゃなく、今年どうやってプロに行くかばっかり考えてました」と小川は言う。狙い通りスカウトも球場へと足を運び出し、しきりに気に掛けてもらうことも増えてきた頃、シーズン終了と同時に調査書が手元に届いた。晴れて指名待ちとなった去年のドラフト会議。家族やチームメイトたちが見守る中、設けられた会場では待てど暮らせど指名は受けず。そのまま“小川佐和”の名前が呼ばれることは叶わなかった。

浮き彫りとなった自身の課題

「ドラフト会議が終わった瞬間はめちゃくちゃ悔しかったです。けど、来年頑張ろうって思いました。逆に火がつきましたね。」明確な課題は力強さ。脚の速さを目立たせたいがために、盗塁数に焦点を置いていたプレーのみではどこか物足りない印象を与えたのだろう。年に数試合行われるNPBとの交流戦でも、レベルの上がった投手の前では力負けする場面も見受けられた。そんな小川が、今年と同じではダメだと危機を感じ、新たに取り入れたのがウエイトトレーニング。高校通算20本以上の本塁打を記録していたパワーを呼び起こし、持ち前の高い身体能力で現場内の目立つ術を鍛え上げた。体重も順調に増量し、それに伴い着実に成長を実感し始めている。

「現場でどう目立つか」

 今季より新たに監督へ就任した西村憲(元阪神タイガース)監督の助言もあり、数字にとらわれないスタイルへと一転した。残した成績こそ昨年より劣るところもあるものの、存在感はより一層膨れ上がっていたに違いない。それでも終わってみると盗塁数は65と、昨季の自分を悠に超えた。NPBとの交流戦においても手応えを感じるほど、いつだってその行動には自信と根拠が漲っている。そんな威勢の良いプレーは今年もより一層磨きがかかり、幾度となく観ている人を魅了してきた。しかもそれだけにとどまらない。小川の周りにはいつだって支えてくれるファンがいる。地元で夢を追いかけているだけのことはあり、見ず知らずの人からも期待の声をかけられることもあるという。「人のことを応援するって、しかも自分が諦めたことって多分悔しくてなかなか応援できないんですよ。だからこれだけ応援してくれている人がいたら、まじでNPBに行かないと申し訳ないなって思います」

 自分の道を正解にするのは自分の行動のみ。ブレない軸と行動力はどんな道でも正解へと変貌する。神のみぞ知る運命のドラフト会議は10月24日(木)だ。地元の期待を一身に背負って運命の時を待ち望む。


VictorySportsNews編集部