クラブの公式サイトによると、就任当初から同監督は「私は、バルサがクライフやグアルディオラ(クラブのアイデンティティーを確立させた2人の指揮官)の下で成功したプレーのアイデアから遠く離れてはいない。私の考えは、ピッチで常にアクティブなチームをつくることだ。フォーメーションは関係なく、チームが良いプレーをし、全力を尽くしていることをみんなに見てもらいたいんだ」と抱負を口にしている。一つの生き物のように、11人の選手が連動して相手の守備を崩していくバルサの攻撃的なサッカーと、ドイツ的な質実剛健なスタイルは一見、似て非なるもののようにも見えるが、能動的に相手を揺さぶっていくという点においては共通する部分もあるといえる。

 指導者としては、ドイツ代表で長期政権を築いたヨアヒム・レーフ(日本ではレーウ、レーヴと表記されることが多いが、ドイツ語の発音にならうと、レーフが正しい)監督の右腕としてコーチを長く務め、2014年ワールドカップ(W杯)では母国の世界一を支えた実績がある。その後、バイエルン・ミュンヘンでコーチを務めた。すると、当時のニコ・コバチ監督の解任によって2019年11月に暫定監督となり、後に正式にトップチームを率いることになった。苦しんでいたバイエルン・ミュンヘンを立て直し、そのシーズンに欧州チャンピオンズリーグ(CL)、ブンデスリーガ、ポカール(ドイツ・カップ)の3冠を成し遂げた。当時のバイエルン・ミュンヘンは技術・戦術の洗練さというより、走力、局面での競り合い(ドイツ語でZweipampf=ツヴァイカンプフ)の強さに支えられた隙のないチームに仕上がっていた。

 とりわけ、フリック監督の名が日本でも広く浸透したのはドイツ代表監督となってからだろう。2021年の欧州選手権をもってレーフ監督が退任し、そのバトンを受け取った。2022年ワールドカップ(W杯)欧州予選は安定した戦いで悠々と本大会に駒を進めたが、カタールの地では日本、スペイン、コスタリカと同組で1勝1分け1敗の勝ち点4でスペインと並び、得失点差で3位となって1次リーグ敗退に甘んじた。日本戦は圧倒的に攻め込みながらシュートが決まらず、少ない好機を生かした日本に1―2で苦杯をなめた。

 「Hansi Flick, was ist das?(ハンジ・フリック? 何それ?)」―。本大会直前に、当時ボーフムに所属していた日本代表の浅野拓磨がインタビューで「フリック監督についてどう思うか?」と聞かれた際に、こう答えたことが一部で話題となったが、まさにその浅野がW杯の舞台で決勝ゴールを挙げたことで、図らずも浅野の発言が「日本にとってドイツなど恐るるに足らず」という趣旨で回収された形となったのは皮肉だった。

 日本との因縁はこれだけにとどまらない。翌年9月にウォルフスブルクでの国際親善試合で両国は再戦。なんと、ここでも日本が4―1とドイツを粉砕した。この衝撃的な黒星を経て、フリックは代表監督の座を追われることになった。現在まで100年もの長きにわたる歴史を持つドイツ代表の中で、監督解任の唯一の例となっている。

 実はドイツの不安定さは前任のレーフ監督時代から続いていた。そして、そこにはバルセロナで一時代を築いたグアルディオラ監督も少なからず関係している。バイエルン・ミュンヘンを2013年から3シーズン率いたグアルディオラ監督の影響で、その主力選手が多くプレーするドイツ代表でもパスを繫いで押し込むスタイルが根付いていた。いつしか、ゴールを奪うことよりも、ボールを支配し続けることに重きが置かれるようなサッカーが顔をのぞかせるようになり、人数と時間をかけて相手陣内まで押し込んでは、手痛いカウンター攻撃を浴びて失点するという悪癖が垣間見えた。2018年のワールドカップ(W杯)ロシア大会でのメキシコ戦の黒星や、22年のW杯での日本戦の敗戦などは、まさにその典型例だった。

 ドイツ代表とバルセロナにはそんな因縁があり、そのフリック監督がスペインの地へと降り立ったのは、これまた奇妙な巡り合わせといえる。同監督の下でのバルセロナは、今季国内リーグで開幕7連勝を飾るなど、9勝1敗で、レアル・マドリードを抑えて首位に立っている。

 バルセロナは試金石となるカードを控える。欧州チャンピオンズリーグ(CL)のグループ・フェーズ(1次リーグ)で、23日(日本時間24日)に古巣のバイエルン・ミュンヘンと激突する。2020~21年シーズンには同じく1次リーグで対戦し、2戦2敗。もちろん、監督もメンバーも互いに変わってはいるが、復権を目指すバルセロナにとっては欧州の頂点を狙う新たな一歩といえる戦いとなるだろう。

バイエルンでの監督経験のあるフリック、所属経験のあるレバンドフスキが好調のバルセロナを牽引している(バルセロナ公式HPより)

VictorySportsNews編集部