今も答えは見つかっていない。永遠の問いに対しても羽生は愚直に歩みを進めている。

 2011年3月11日。東北地方を中心に甚大な被害をもたらした東日本大震災は、当たり前だった日常を一変させた。宮城・東北高1年だった羽生は、練習拠点のアイスリンク仙台で被災。スケート靴を履いたまま建物の外へ逃げた。仙台市の自宅は全壊判定を受け、家族4人で避難所生活を送った過去を持つ。

 東日本大震災では12都道県で1万5900人が亡くなり、今も約2500人以上が行方不明になったままだ。多くの人が悲しみを抱える中で、演技を通して思い出させていいのかと葛藤を抱いたこともある。それでも、羽生は自身の演技を通じて〝物語〟を届ける決意を固めた。

 23年2月26日。数々のアイドル、歌手などが伝説をつくった東京ドームを舞台に、1人のスケーターが約3万5000人の観衆を歓喜の渦に巻き込んだ。「独りになった時に帰れる場所を提供できたら」との思いから「GIFT」とタイトルを名付けた。

 迫力満点の「火の鳥」を皮切りに、約3時間で「序奏とロンド・カプリチオーソ」「SEIMEI」など全12曲を披露。東京ドームは最後まで熱気に包まれていた。しかし、羽生は「正直、この会場に入って思ったことは『自分ってなんてちっぽけな人間なんだろう』ということでした」。普段の会場とは異なる規模でのアイスショー。東日本大震災時と似た感覚を抱いたという。

「1人だったらきっと、何もできなかったなという記憶とちょっと似ていた」

 「GIFT」はプロジェクションマッピングや、東京フィルハーモニー交響楽団によるオーケストラの生演奏など、さまざまな演出で羽生の演技に彩りを添えた。

「3万5000人の方々、この空間全体を使った演出をしてくださったみなさんの力を借りたからこそ、ちっぽけな人間であったとしても、いろんな力がみなさんに届いたんじゃないかな」

 全員が1つになって初めて伝えられるモノがある。少しでもいいから心の傷を癒すきっかけになったら。孤独と戦ってきた羽生だからこその思いだった。

 23年11月から24年4月に全国4か所で実施された「Yuzuru Hanyu ICE STORY 2nd 〝RE_PRAY〟 TOUR」では、ゲームの世界からの倫理観や価値観も入った構成を披露。「GIFT」に続いて前例のない挑戦だったが、決して後退することはなかった。

「自分が表現したいことに多くの方々を巻き込んで作り上げるということに怖さを感じることもあるけど、アスリートとして限界に挑みながらも、いい演技ができるように」

 誰もが固唾を飲んで見守った初回の埼玉公演。「ファイナルファンタジー10」の楽曲「いつか終わる夢」でゲームと自身の半生が重ね合ったストーリーが幕を開けた。試合さながらの6分間練習後に演じた新プログラム「破滅への使者」では4回転サルコーとトーループを着氷。現役時代と変わらないキレ味抜群の演技だった。モニターに「CLEAR」の文字が映し出されると、羽生はガッツポーズ。いくら羽生でも100%はない。アスリートとしてのプライドを胸に演じたからこその感情だった。

 約1万4千人を前に3つの新プログラムを含む12演目を熱演。新たな演目にも挑戦するのは、走り続けるという決意の表れだ。

「これまでやってきたアイスショーとは全然違う。1つのプログラムだけでなく、1つの作品の中にいろいろなプログラムが入っている。今までのプログラムもあるけど、それが物語に入ったときに全く違う見え方になる。プログラム自体が〝ラスボス〟というイメージでやっていて、最後クリアが出るけど、戦いきってやっと倒せたという感じ」

 ゲームとフィギュアスケートをどう組み合わせるのか――。きっと何度も頭を悩ませたことだろう。そんな状況でも羽生は決して折れなかった。常に完璧を追い求める中で得たものがある。

「毎回毎回レベルアップできるように、それこそ、自分のストーリーの中でもあるけど、経験を積んで、より一層技術的にも高い自分を見せていけるように、なんか頑張れるんじゃないかなという希望を持てた」

 2月の横浜公演後、手応えを口にした羽生の表情はいつも以上に晴れやかな気がした。もちろん正解が見つかったわけではない。ただ、羽生の信念はスケートを通じてひしひしと伝わっている。

 直近では9月に実施された「能登半島復興支援チャリティー演技会」に出演した。1月の能登半島地震で大きな被害を受けた石川県内で「春よ、来い」を披露。フィナーレは共演者の鈴木明子氏、宮原知子氏、無良崇人氏を含めたMrs.GREEN APPLEの「ケセラセラ」を演じた。

 「能登のために何かできることはないか」と考えていた羽生の思いが、地元局・テレビ金沢に届いたことで演技会が実現。「つらい方も今元気だよという方も、本当にさまざまな立場の方々がいらっしゃると思う。そんな方々の中で少しでも笑顔の輪が広がってくれたら」と滑りに願いを込めた。

 演技会の配信、チャリティーTシャツの販売による収益は石川県に寄付。少しでも多くのお金を届けるために、特殊照明の使用を避けるなど、数々の工夫を施した。

「(五輪で)2連覇したところから、被災地への支援、思いやりみたいなものをスタートしたい気持ちがあった。どうかみなさんがちょっとでも温かい気持ちになりますように」

 今の自分にやれることはなんだろう。羽生結弦だからできることってなんだろう。自問自答を繰り返しながら、前に進む姿が自然とイメージできた。

 ICE STORY第3弾「ICE STORY 3rd―Echoes of Life―TOUR」の初回公演は運命なのか、偶然なのか、羽生が30歳の誕生日を迎える12月7日に実施される。新しい姿を通じてメッセージを届けてきた羽生がどんな姿を見せてくれるのか――。次なる物語の便りを静かに待ちたい。


中西崇太

1996年8月19日生まれ。愛知県出身。2019年に東京スポーツ新聞社へ入社し、同年7月より編集局運動二部に配属。五輪・パラリンピック担当として、夏季、冬季問わず各種目を幅広く担当。2021年東京五輪、2024年パリ五輪など、数々の国内、国際大会を取材。