文=池田敏明

“危険な技”がもてはやされる日本マット界の現状

 2009年6月13日、プロレスリング・ノアの三沢光晴が試合中にバックドロップを受けて意識不明、心肺停止状態に陥り、頚椎離断で亡くなった。あれから間もなく8年が経とうとしているが、日本のマット界ではその教訓が全く生かされていないかのように、リング上での危険な技の応酬に伴う事故が相次いでいる。

 今年3月には新日本プロレスの本間朋晃がDDTを受けて中心性頚椎損傷となり、4月9日には柴田勝頼が40分近いファイトの後で倒れ、硬膜下血腫に。いずれも長期離脱となり、復帰のめどは立っていない。新日とDDTの2団体所属選手として話題を呼んだ飯伏幸太は15年10月から16年3月まで長期欠場したが、その理由は頚椎椎間板ヘルニアだった。

 共通するのは、いずれも頭部や首をケガしている点。つまり、その部分へのダメージが原因となって長期離脱に追い込まれているのだ。

 この状況について、かつて新日に所属し、現在はアメリカ最大のプロレス団体であるWWEのトップスターとして活躍する中邑真輔が警鐘を鳴らした。

新日本で3月に本間朋晃が中心性頸椎損傷、今月9日には柴田勝頼が硬膜下血腫と、元同僚が相次いで重傷を負ったことで、日本プロレス界の現状を心配。「日本のプロレスのスタイルというか、トレンドが危険な技の応酬になったところで、本間さんしかり、柴田さんしかり、重傷者が出てきているので、考えたり、変えていくことが必要な時期なんじゃないかと思う。 (中略) 各レスラーも危険な技だったりとか、リスクを顧みない試合についてもう一度考える時期だと思う」との考えを示した。
WWE・中邑、元同僚・柴田の重傷に「危険な技の応酬を変える時期」/ファイト/デイリースポーツ online

 日本では「プロレスは危険な技を見せてナンボ」という風潮がある。頭部を狙った技をかけ合い、両者ともにグロッキーになりながら長丁場を戦う。危険な技が決まれば盛り上がり、“いい試合”として評価される。一方、アメリカでは技がキレイに決まれば盛り上がり、うまくいかなければブーイングが飛ぶ。過度なダメージを与える技や不完全な技は好まれず、見た目が派手な技が完璧に決まることが求められるのだ。

観客を沸かせる技を“安全に”かけることは可能

©共同通信

 そのアメリカ、特にWWEでは、頭部や首へのダメージに対して慎重になっている。頭部へのイス攻撃は高額罰金の対象となり、脳震盪と診断されたレスラーは完治するまでリングに上がることはできない。元王者のダニエル・ブライアンは脳震盪で長期欠場し、完治の見込みがないため引退することになった。

 頭部を狙った技も禁止されている。例えば、相手を逆さまに抱え、脳天からマットに叩きつけるツームストーン・パイルドライバーという技がある。ジ・アンダーテイカーの代名詞だったが、危険すぎるため基本的には禁じ手となっている。ビッグマッチでは使用することもあるが、しっかり受け身を取れる相手と戦う時のみに限定され、しかも相手の頭部が直接、マットに接地しないよう工夫している。

 また、アンダーテイカーはツームストーンに替わる新たなフィニッシュムーブとして「ラストライド」を編み出した。これは相手を頭上に抱え上げてから叩きつける超高角度のパワーボムで、見た目は非常に派手なのだが、パワーボムは相手を背中から落とす技なので、受け身さえ取れればそれほど大きな危険はない。

 三沢が命を落としたバックドロップも、受ける側の頭部に全体重が乗ってしまう危険な技だが、日本では“殺人バックドロップ”などと称してもてはやされている。三沢以外にも、90年6月には前文部科学大臣の馳浩氏がバックドロップを食らい、試合後に昏倒して一時心肺停止状態に陥っている。

 日本では相手の腰に両手を回し、ブリッジしながら投げるため、かけられるほうは後頭部から落下することになるが、WWEではかける側が左手で相手の左足をひざ裏から抱えて持ち上げ、ブリッジせずに自分も倒れながら相手を背中から叩きつけるスタイルが主流だ。

 この投げ方だと相手を高く抱え上げられるうえ、背中から落とすために受け身が取りやすく、ブリッジしないので腰への負担も少なくて済む。それでいてマットに叩きつけた時の衝撃音が大きいので、破壊力の高い技に見える。さらに言ってしまうと、受ける側が受け身を取った後、後頭部を抱える仕草を見せれば、頭部にダメージを受けたように見せることもできるのだ。

 意外な人選に思えるかもしれないが、個人的には07年に亡くなったクリス・ベノワがこの技の最高の使い手だと思っている。新日時代はジュニアヘビー級で戦っていたぐらいなので小柄な選手なのだが、相手を抱え上げた後にピタリと一瞬止まり、一気に倒れ込みながら叩きつける彼のバックドロップは、落差が大きくスピーディーなため、非常にダイナミックに見えるし、決まれば観客も大いに盛り上がる。ベノワのバックドロップを見て、頭部から落とす必要などないと改めて思い知らされたものだ。

 中邑はアメリカに渡り、WWEに所属して“危険な技”に対する認識の違いを体感したからこそ、日本のプロレス界に異議を唱えたのだろう。WWEのように安全対策を採っていても、リング上での事故は起こり得る。ならばその確率を低くするための努力をする必要があるのではないだろうか。

 今の日本の風潮が変わるには、戦う当人たちだけではなく、見る側の人間の意識も変わる必要がある。ニーズがあるから、レスラーたちは危険な技に挑まなければならなくなる。そんなものを求めずとも楽しめるようになれば、頭部を狙う技は自然と減っていくはずだ。

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池田敏明

大学院でインカ帝国史を専攻していたが、”師匠” の敷いたレールに果てしない魅力を感じ転身。専門誌で編集を務めた後にフリーランスとなり、ライター、エディター、スベイ ン語の通訳&翻訳家、カメラマンと幅広くこなす。