文=菊地高弘

高校の壁にぶつかり自分を見つめ直す

 高校に入学して初めての練習試合。にもかかわらず、チームメートはもちろん、観客席で見つめるファンもその1年生のことを知っていた。

「誰よりも注目されることはわかっていました。でも、自分の名前だけがどんどん高い位置に行ってしまっている感じでした」

 その1年生、藤平尚真は中学時代から有名人だった。千葉市リトルシニアのエースとして最速144キロをマーク。U-15日本代表で活躍しただけでなく、陸上・走り高跳びで全中2位、ジュニアオリンピック優勝。しかも、全中は学校の備品のスパイクを履いて2位となり、ジュニアオリンピックでは不憫に思った学校の先生がスパイクを提供したところ優勝してしまうという、伝説的なエピソードも残っている。まさに「スーパー中学生」だった。

 将来を嘱望されて名門・横浜高に進んだ藤平だったが、高校ではそのレベルの違いに苦しんだ。

「MAX144キロといっても、毎回1球1球出せるかというと無理でしたから。常時は132~135キロくらい。まだ中学生の体でボールのキレもありませんでした」

 チャンスは与えられるが、結果が出ない日々。藤平は「高校2年生まで野球が楽しいと思ったことは1回もない」と述懐する。そして、横浜高校にさえ入れば甲子園に行けるとたかをくくっていた自分の甘さを知ったのだった。

「2学年上の淺間さん(大基/現・日本ハム)や高濱さん(祐仁/現・日本ハム)クラスでも、うまくなりたいという気持ちを前面に出して、実力に関係なくガムシャラに練習していました。ここまでやらないと甲子園に行けないんだ……と」

 1年の冬、藤平は誰よりも厳しい猛練習を課された。かつて松坂大輔(ソフトバンク)、成瀬善久(ヤクルト)、涌井秀章(ロッテ)といった名投手を育成してきた名伯楽・小倉清一郎コーチによる、心身を極限まで追い込まれる指導にも耐えた。すると、2年生に進級する頃には「これだけつらい練習をすれば大丈夫だろう」という精神的な支えが生まれ、徐々に結果が出るようになっていった。

 2年時の2015年夏は神奈川大会準優勝。そのチームは下級生主体のチームであり、藤平が最上級生となる2年秋は翌春のセンバツ出場が期待された。順調に秋の神奈川を制すると、関東大会に出場する。だが、その初戦の常総学院高戦に落とし穴が待っていた。

悪夢の常総学院戦から歓喜の夏の甲子園へ

©共同通信

 先発マウンドに上がった藤平は序盤から常総学院打線を0に封じ、ゲームを作る。そして4回裏に横浜が1点を先制した直後の5回表、2死一塁からだった。打席には常総学院の1年生スラッガー・宮里豊汰。捕手の福永奨が「外に1球外そうと思った」と構えたミットよりも内側、つまり真ん中に吸い寄せられるように藤平のストレートが入ってきた。その甘いボールを宮里が一閃すると、打球は一気にレフトスタンドへ。一瞬、場内が静まり返るほどの完璧な逆転ホームランだった。

 この直後、藤平は安打を許してライトに入っていた石川達也とスイッチ。再びマウンドに立つことはなく、試合も1対3で敗れた。試合終了の瞬間、有力視されたセンバツ出場も泡と消えた。

 試合が終わると、藤平はひとりでは立ち上がれないほどに泣き崩れた。多くの報道陣が藤平の声を聞こうとダッグアウト裏に集まっていたが、取材に応じられる精神状態ではなかった。藤平は当時をこのように振り返る。

「エースとして取材を待ってくれている人、そして応援してくれた人に言葉を届ける、そういう姿を見せるのは必要なことなので、申し訳ないと思います。でも、何回振り返っても、あの悔しさは忘れることはありません。試合後、『打てなかったから負けた』と言われることもあったのですが、誰のせいでもありません。僕の実力がなかった。実力がないから甘く入ってしまって、打たれてしまった」

 この試合は藤平の課題を浮き彫りにした試合でもあった。ストレートは速く、キレもあるが、変化球の精度が低い。スライダー、フォークといった球種はうまくはまれば超高校級の変化を見せるものの、コントロールができていなかった。投手不利のボールカウントではストレートに頼るしかない。藤平は「バッターが『待ってました』という感じのストレートを投げ込んでいた」と振り返る。

 高校2度目の冬。前年に厳しく指導してくれた小倉コーチはすでにチームを勇退していたが、平田徹監督の方針もあって藤平は肉体強化に乗り出した。その結果、身長185センチ、体重83キロと厚みを増した肉体を手に入れ、ストレートの最速は152キロを計測するほどになっていた。当然、変化球の精度アップにも取り組み、夏の大会までには「ストレートと同じくらいスライダーに自信があった」と胸を張るほどに、変化球を扱えるようになった。

 そして勝負の夏、横浜は圧倒的な力で神奈川を3年ぶりに制覇する。夏の甲子園では2回戦で優勝候補同士の履正社高と激突。ここで藤平は新球・シンカーを披露する。

「この試合のために神様からもらったボールなんじゃないかと思いました」

 藤平がそう語る変化球は、左打者の外に逃げていくように落ちた。試合は先発した石川が打たれたこともあって敗れたが、藤平は6回1/3を投げて4安打7奪三振0失点と好結果を残した。挫折から始まった高校生活だったが、最後は「仲間と野球を楽しみながら勝つ」という喜びに目覚めることができた。

 2016年秋のドラフト会議では、楽天から単独1位指名を受けて入団。背番号は19に決まった。幼少期から大の中田翔(日本ハム)のファンだが、対戦するとなれば話は別だ。

「すごい選手になればなるほどインコースに投げなければ抑えられないと思います。当ててもいいから投げきる。一流になるためには通らないといけない道だと思っています」

 ドラフト直後のインタビューでそう語った藤平尚真。その瞳には、すでにプロで戦うための強い意志がこもっていた。


BBCrix編集部