文=大島和人

能代工高時代の伝説の9冠

©共同通信

 田臥勇太は日本のバスケット界で今もっとも”お客を呼べる”選手だ。決して人気先行ではなく、36歳を迎えた今も実力に陰りは感じられない。5月27日のBリーグチャンピオンシップ決勝では主将として、リンク栃木ブレックスを優勝に導いている。

 一方で波乱に富む経歴、プレーの特徴は意外に知られていない。ブレックスファンや、長くバスケを見続けてきたファンにとっては”今さらの話”になるかもしれないが……。今回はあくまでも初心者目線で「田臥はどういう選手か」を紹介してみたい。

 彼は173㎝・76㎏の一般人体型。B1の平均身長は190センチ前後だから、バスケ選手としてはかなり小柄な部類に入る。ポジションは司令塔(ポイントガード)だ。

 田臥は1980年10月5日生まれ。彼が全国区の人気者になった大きなきっかけは秋田県立能代工業高時代の9冠だろう。横浜市立大道中時代から大きな注目を受けていた彼は、高校でもすぐレギュラーとなった。能代工は夏の高校総体、秋の国体、冬のウィンターカップとその年のタイトルを独占。そのまま3年間に渡ってすべての全国タイトルを他校に一度も譲らなかった。

 当時の田臥はアクロバチック、トリッキーな個人技が際立つ点取り屋タイプだった。大柄な選手の間を巧みなドリブルですり抜け、ゴール下からシュートを沈める動きは”素人にも伝わる”魅力を持っていた。また彼の高校在学は1996年度から98年度。ちょうど『SLAM DUNK』の連載、放送が終わった直後で、バスケの人気が高まっていた。そこに田臥の魅力も加わり、冬の全国大会になれば満員札止めが当たり前という高校バスケの黄金期だった。

高校卒業後、NBA入りを目指して渡米

©Getty Images

 ただし彼はそこから、日本バスケと同様に険しい道を歩むことになる。田臥は日本の実業団、大学でなくプリガムヤング大ハワイ校(NCAA二部)を進路に選んだ。近年は八村塁選手(ゴンザガ大1年)のようにストレートでNCAA一部に進む選手も出ている。しかし当時はそういったルートも整備されておらず、田臥もお手本や十分なサポートが無かった。そして彼は苦しい留学生活を強いられた

 彼は単位の取得問題や怪我により、2年間も公式戦でプレーできなかった。3年の半ばに大学を中退し、2002年にトヨタ自動車へ加入する。チームの準優勝に貢献し、新人王にも輝く活躍は見せた。

 しかし彼の目標はあくまでも最高峰たるNBA。彼は03年にアメリカへ戻り、NBAのサマーリーグ、プレシーズンマッチなどに出場した。しかし契約を勝ち取ることができず、その年は独立リーグでプレーする。

 04年秋にはNBAフェニックス・サンズと契約し、開幕戦を含む4試合に出場した。同年12月18日に解雇されてしまったのだが、この4試合が日本で義務教育を終えたバスケ選手の中では唯一のNBA経験。Bリーグ全体を見ても、NBA選手は10名ほどしかない。「4試合だけ」ではあるが、日本人選手が”壁”に跳ね返されたその後の例を見ると、これがいかに偉業だったか分かる。

華やかなプレーヤーから、勝たせるプレーヤーへ

©Getty Images

 田臥はその後もNBA傘下の下部リーグ、独立リーグなどでプレーを続けたが、08年秋に日本へ復帰する。契約したのはリンク栃木ブレックス。彼はそこから今季まで連続9シーズンに渡って栃木でプレーしている。08-09シーズンはタイトルを獲得できなかったが、09-10シーズンに栃木はJBL(当時のトップリーグ)のプレーオフを制し、彼は初の日本一に輝いた。

 そこから栃木はタイトルから遠ざかり、昨季もライアン・ロシターの負傷という不運がありプレーオフ準決勝で川崎に敗れている。しかし今季の栃木はB1の東地区を首位で突破し、チャンピオンシップも千葉ジェッツ、シーホース三河、川崎を倒す堂々たる勝ち上がり。7年ぶりの日本一に輝いた。

 今の田臥は高校時代の彼のような華やかなプレーをあまり見せていない。レギュラーシーズンのアシスト数も田臥はB1の8番目。また1試合平均のプレータイムは20.8分と試合の半分強にとどまっている。

 ただ田臥が凄味を見せているのは勝敗を分けるような場面のプレー。彼は例えば勝負どころで守備のビッグプレーがよく出る。相手の攻撃の狙いを誰よりも読めている彼は、マークを捨ててボールを奪いに行く”ギャンブル”をよく決める。例えば1月28日のサンロッカーズ渋谷戦では「残り10秒、1点リード」の場面でスティールを決め、栃木の勝利を決定づけた。

 また「アシストとターンオーバーの比率」を見ると田臥がB1最高。田臥はパスミスが少ないため、悪い奪われ方で相手に得点をプレゼントするという自滅がない。

栃木に勝者の哲学を植え付けるリーダー

©Getty Images

 チャンピオンシップ終了後に川崎の篠山竜青は、同じポイントガードの大先輩についてこう評していた。「勝負所で僕はパスミスをしてしまったけれど、ああいう場面で田臥さんは点数につながるプレーを選択して、アシストもしていた。そういうところが田臥さんのすごいところ」

 今季の栃木はリードをされた状況でもチームプレーが崩れず、準々決勝第2戦では22点ビハインドの状況から千葉ジェッツを追い上げ、逆転勝利を挙げている。

 千葉の司令塔を務めていた富樫勇樹は、現役日本代表で田臥の後継者と目される存在。23歳と若く、長い距離のシュートという田臥にはない武器を持っている。単純に得点とアシストといった数字で今季は田臥を上回っていた。ただ彼は田臥から学ぶポイントを問われてこう述べていた。

「バスケットボール以外のところで学ぶことが多い。今日の試合を見ても、(栃木が)気持ちの折れないところは田臥さんが作り上げているところだと思う」

 栃木のチームメイトであるロシターも田臥をこう称える。「田臥選手は毎試合毎練習しっかり準備をして、必ず戦う気持ちを持って臨んでいる。彼のようなリーダーを見て、下の選手がそれに従ってやっていく。トップの選手が見本を見せることで、下まで素晴らしいメンタリティ、姿勢が浸透している」

 どんな悪い展開でも諦めず戦い抜く。一発狙いのプレーに逃げず、チーム一体となった攻守でじりじり追い上げ、気付くと相手が自滅している――。それが栃木というチームの特徴だ。

 ポイントガードはチームの司令塔にしてリーダー。その価値を証明する方法はチームの勝利しかない。田臥はただの上手い選手から、チャンピオンチームのカルチャーを創り出すリーダーへと進化している。そんな真価を証明した、栃木のB1制覇だった。

田臥勇太にかかる大きな期待。主力流出の初代王者・栃木ブレックスを救えるか

Bリーグ初代王者に輝いた栃木ブレックスだが、2シーズン目は厳しい戦いが予想されている。そんなチームの中で、期待を一身に集めるのがベテランの田臥勇太だ。日本バスケットボール界の顔である男の変わらない姿は、何よりもチームに自信を与える。

VICTORY ALL SPORTS NEWS

大河チェアマンが語るBリーグの未来 必要なのは「居酒屋の飲み会をアリーナでやってもらう」という発想

2016年、長きにわたり待ち望まれていた新プロリーグ「B.LEAGUE(Bリーグ)」が華々しく開幕した。開幕戦では全面LEDコートの演出を実施し、試合情報の入手からチケット購入までをスマホで手軽に利用できる仕組みを導入するなど、1年目のシーズンから“攻めの姿勢”を見せてきたBリーグ。「2020年に入場者数300万人」という目標に向け、歩みを止めない彼らが次に打つ手、それが経営人材の公募だ。 前編では、Bリーグ・大河正明チェアマンと、公募を実施する株式会社ビズリーチ代表取締役社長・南壮一郎氏に、今回公募する人材に対する期待や、この取り組みの背景にある壮大な夢を語ってもらった。後編となる今回は、バスケットボールという競技の持つ可能性と、Bリーグの未来について語り尽くした。そこには、スポーツビジネスの神髄ともいうべき数々の金言があった――。(インタビュー・構成=野口学 写真=荒川祐史)

VICTORY ALL SPORTS NEWS

[ユニ論]ユニフォーム・サプライヤーの最新勢力状況(Bリーグ2017-18編)

2シーズン目を迎えたBリーグ。B1とB2の計36チームのうち、8チームがユニフォームサプライヤーを変更した。他競技のブランド進出も目立っている。(文=池田敏明)

VICTORY ALL SPORTS NEWS

「世界観」の演出で観客を惹き付ける 千葉ジェッツが示すBリーグの可能性

2年目を迎えたBリーグの中で一際輝きを放っているのが千葉県船橋市を本拠にする千葉ジェッツふなばし。昨季は富樫勇樹を擁し天皇杯で優勝を飾るなど飛躍のシーズンとなったが、その実力とともに話題を呼んでいるのが、アリーナに足を運ぶだけで楽しめる「世界観」の演出だ。昨季はリーグトップだった観客動員数も好調で、Bリーグの成功例と言われる千葉ジェッツの魅力に迫る。(取材・文 大島和人)

VICTORY ALL SPORTS NEWS

旧NBLチームによるリーグ支配を認めない琉球、優勝を目指す「大勝負」に

bjリーグで4度の優勝を誇る琉球ゴールデンキングスは、大企業のサポートを受ける旧NBL勢とも十分に戦える、B.LEAGUEでも優勝を狙えると意気込んでいた。しかし、初年度は勝率5割を切る屈辱の結果に。旧NBLと旧bjリーグの間には歴然たる実力差があった。これを黙認して、安定中位のクラブに甘んじることも可能だったが、琉球は1年目のオフに「大勝負」に出る。日本代表のレギュラー2名を始めとする大型補強を実施。「沖縄色」というクラブのアイデンティティを曲げてでも、日本バスケ界の頂点に立つ強烈な意欲を見せている。B.LEAGUE2年目、琉球の戦いに注目だ。

VICTORY ALL SPORTS NEWS

大島和人

1976年に神奈川県で出生。育ちは埼玉で、東京都町田市在住。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れた。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経たものの、2010年から再びスポーツの世界に戻ってライター活動を開始。バスケットボールやサッカー、野球、ラグビーなどの現場に足を運び、取材は年300試合を超える。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることが一生の夢で、球技ライターを自称している。