名前加藤健(カトウケン)
生年月日1981年3月23日
日本
出身新潟県北蒲原郡聖篭町
プロフィール小学3年から軟式野球を始め、中学、高校で4番・捕手を務める。1998年には春夏甲子園出場の原動力となる。

1999年ドラフト3位で巨人に入団。2000年初めて一軍昇格するも、同年オフに阿部慎之助の入団が決まり、その後は長らくの間控え捕手となる。2006年、4年ぶりに一軍出場を果たしプロ初安打。2007年プロ初本塁打を記録。

その後も、小林誠司などライバル捕手の入団が続き、2番手、3番手捕手の地位を抜け出せない。2015年の35試合出場がキャリアハイとなり、2016年限りで戦力外通告。2017年からBCリーグ新潟の球団社長補佐に就任。

通算成績は185試合、273打数59安打、3本塁打、24打点、0盗塁、打率.216。新潟県立新発田農業高等学校卒、右投右打、186センチ、93キロ。

新発田農高時代、春夏連続で甲子園出場するもいずれも初戦敗退

加藤健は新潟県北蒲原郡に生まれ、幼少期から野球を始めます。中学時代に参加した野球教室で当時のプロ選手に肩を褒められると、そこから真剣にプロ野球選手を目指すようになりました。県下の名門・新発田農業高校に進学すると1年夏からチームの正捕手となります。エース富樫和大とのバッテリーは、全国でも屈指となり、2年秋の北信越大会決勝で敦賀気比に敗れたものの、文句なしで初のセンバツ出場を決めました。

3年春に甲子園の土を初めて踏み、豊田西と対戦しましたが、小刻みに得点を許します。チームも7安打放ちましたが無得点に抑えられ0-5と初戦敗退となりました。その悔しさを胸に夏の県大会も勝ち抜き、春夏連続で甲子園出場を決めます。しかし、初戦で和田毅率いる浜田高校と対戦し、2-5と再びの初戦敗退を味わいました。

ドラフト3位指名で巨人入団し、正捕手・村田真一の後継者争いに参戦

甲子園では結果を残せなかったものの、加藤健は強肩捕手としてスカウトの注目を集め、1998年ドラフト会議で、巨人から3位指名されて入団します。ともにバッテリーを組んだ富樫和大は卒業後、川崎製鉄千葉へ進み、2001年のドラフトで日本ハムに入団しました(一軍登板はなく2004年に戦力外通告)。

同年の巨人ドラフトは、1位上原浩治、2位二岡智宏と指名し、その二人に続く指名は、将来の正捕手候補として期待の現われでした。当時の巨人捕手事情は、正捕手の村田真一がすでに35歳、さらに控えの村田善則、吉原孝介、杉山直樹にも決め手がないという状況でした。

1年目の1999年はファーム(二軍)で経験を積みましたが、同年、吉原に代わって光山英和がトレードで加入します。しかしベテランだけに、逆にチャンスが増えて、翌2000年終盤には初めて一軍に昇格するなど、着実にプロとしての階段を上っていました。同年で杉山、光山が退団したこともあって、さらなるチャンスが舞い込んでくるものと思われました。

スーパールーキー阿部慎之介の入団で、第2・第3捕手の存在へ降格

勝負のプロ3年目を迎える前に、加藤健のプロ野球人生を大きく左右する出来事が起きます。2000年ドラフト会議において、大学屈指の捕手だった阿部慎之助が逆指名ドラフト1位で巨人へ入団したのでした。2001年、阿部はルーキーながら開幕スタメンマスクを任されると、持ち前の打撃力も披露し127試合に出場します。同年限りで、村田真一も現役引退したため名実ともに巨人正捕手となりました。

その後、阿部は打者としても大きく覚醒し巨人打線に不可欠な存在となります。一軍の捕手登録は多くても3名であり、毎年残り最大2枠を村田善則、小田幸平らと争う構図が長年続くことになりました。その2番手の座も村田が射止めることが多く、加藤は、2002年から2005年の3年間は一軍出場なしに終わります。

正捕手の故障・不在時に、目立たずとも確実なプレーでチームを救う

2006年、加藤健は4年ぶりに一軍出場を果たし、8年目にしてプロ初安打を放ちます。小田幸平が2005年限りで中日へ移籍し、村田善則と第2捕手を争うようになっていました。そして2007年には、開幕一軍入りを果たすなど、徐々に頭角を現すようになります。シーズン終盤ながら先発出場する機会も得て、プロ初本塁打となった3ランなど打撃でも非凡なところを見せました。

2008年は、シーズン中に北京五輪が開催されることもあって、ベテラン捕手・鶴岡一成が加入しライバルが増えます。リーグ優勝決定した試合で阿部慎之助が右肩を負傷すると、日本シリーズにおいては、鶴岡と加藤の二人で捕手を務め、自身も5試合に出場しました。

その後も、正捕手になることはありませんが、「困ったときのカトケン」と呼ばれるように突如の場面に登場しても確実に仕事をこなします。出番がない間、二軍で出場を繰り返しリード面、キャッチングの正確さなど捕手として素晴らしい能力を身につけていました。2009年には、最後の捕手として延長戦を戦っていると頭部死球を受けて退場し、その後木村拓也が10年ぶりに捕手を務めるという事態もありました。

相川亮二の骨折で、2015年はキャリアハイの35試合出場

2013年のドラフト1位で正捕手候補の小林誠司が入団し、2番手捕手の地位を揺るがされます。同年は12試合、翌年は6試合と一軍出場はほとんどありませんでした。しかし2014年オフ、長年チームを支えた阿部慎之助が、翌シーズンからの一塁手転向が決定します。同タイミングでベテラン捕手・相川亮二がFAで加入していたため、若い小林に次ぐ3番手捕手という扱いは変わらないかと思われました。

しかし2015年、その相川が骨折離脱し、プロ17年目のベテラン加藤はキャリアハイの35試合に出場します。あばら骨にひびをいれながらもチームの力になり、同じくキャリアハイの18安打を放ちました。

プロ生活18年を控え捕手として過ごし、FA権を取得することなく引退

2016年、小林誠司が正捕手に定着したこともあって、一軍試合出場は2試合に終わります。プロ18年目の加藤健は、鈴木尚広に次ぐ在籍年数でしたが、鈴木と違って一軍登録期間は圧倒的に少なく、プロ18年目ながらFA権未取得でした。同年限りで戦力外通告を受けると、現役続行を目指してトライアウトに臨みます。しかし獲得球団は無く、プロで正捕手の座を掴むことなく現役引退となりました。二軍の最終戦で、引退試合が企画されると、長男とのバッテリー始球式が実現し最後のマスクをかぶりました。

現役引退後は、故郷新潟に恩返しを望み、2017年1月にBCリーグ新潟アルビレックス・ベースボールクラブの球団社長補佐に就任しました。ジュニアの後進育成に務める傍ら、チームの支援に務めています。

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