白井健三について
名前 | 白井健三 |
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生年月日 | 1996年8月24日 |
国 | 日本 |
出身 | 神奈川県横浜市 |
プロフィール | 2人の兄の影響を受け、3歳から体操を始める。両親が設立した鶴見ジュニアクラブに小学3生の時に入り、本格的に体操競技に取り組むと、中学3年生の時に全日本体操個人種目別選手権大会で床運動2位に入る。
12年に開催されたアジア体操競技選手権に16歳で日本代表入りすると、男子種目別床運動で優勝。数々の大技を決めることで技名に自身の名が入ることもあり、「シライ」「シライ2」などが命名された。14年には男子史上最年少となる17歳1か月で世界選手権の金メダルを獲得。 16年のリオデジャネイロオリンピックでは跳馬で銅メダル、団体総合で金メダルを獲得した。163センチ、54キロ。 |
兄の影響で体操の世界へ
白井健三が体操を始めたのは3歳の頃でした。2人の兄が体操をしていたため、自身も一緒に練習をするようになりました。兄以上に優れた才能を持っていた清水の姿を見た両親はさらなる成長を促すため、思い切った行動に出ます。
それは体操クラブの設立でした。実は白井の両親は2人とも元体操選手です。そのため、自身で教えることができるというメリットがありました。自分たちも体操選手として活躍していただけに、白井の才能にいち早く気付いて才能を開花させるべく、私財を投げうって鶴見体操クラブを設立しました。白井もそこに小学3年生の年から入り、本格的に体操競技に取り組み始めます。
父子親子鷹ではなく、家族ぐるみで体操に賭けた白井の実力はメキメキと伸びていきました。
中学3年生から頭角を現し、16歳で代表入り
白井健三にとって、最初のターニングポイントとなったのは2011年、中学3年生の時に出場した全日本体操競技個人種目別選手権大会でした。この大会で白井は床運動に出場し、いきなり個人2位という好成績を残したことで周囲の注目を集めます。
白井の活躍は高校生になってからも続きます。12年に県立の岸根高校に入学すると、間もなく中国・福建省で開催された第5回アジア体操競技選手権に出場、白井はこの大会、弱冠16歳という若さで日本代表入りを果たします。
そしてこの大会でも白井は男子種目別床運動で15.225という好記録を残して、優勝を飾ります。白井の活躍は日本のメディアが大々的に報じ、これを機に白井の知名度は急上昇しました。
翌13年、白井は第67回全日本体操競技団体・種目別選手権大会男子種目別の床運動で優勝を飾ります。この時の白井はF難度の後方宙返り4回ひねりを決めたのをはじめ、合計で22.5回もひねりを入れた校正を演じるというハイレベルなものでした。それでいてスコアは15.900点(Dスコア7.3点)というスコアで圧倒的な差でした。
この時、日本体操界の床競技のエースである内村航平や加藤凌平はこの大会を欠場、主役不在で盛り上がらないと思われていた中で白井が大活躍したことで、白井の存在は年上の代表選手達からも意識されるようになっていきました。
史上最年少での世界選手権金メダリスト
さらに10月の世界体操選手権の種目別予選で白井健三は「後方伸身宙返り4回ひねり」「前方伸長宙返り3回ひねり」を床で「伸長ユルチェンコ3回ひねり」を跳馬で行いそれぞれ成功という離れ業をみせます。これらの技は国際体操連盟によってそれぞれ「シライ」(当時。後のシライ/グエン)「シライ2」「シライ/キムヒフン」という名称を付けられました。
これらの活躍がもとで白井は国内で「ひねり王子」という愛称で親しまれるようになり、海外でも「ミスターツイスト」と称賛されるようになりました。
もちろん、この大会で白井は床運動で16.000点をマークして見事に優勝しました。17歳1ヵ月での金メダリストは日本体操史上最年少記録。さらには床運動で決めた「後方伸身宙返り4回ひねり」は史上初ということで、ギネス世界新記録にまで選ばれるという快挙までなし遂げました。
高校を卒業した15年春、白井は日本体育大学へ進学しました。早速白井は世界体操競技選手権で37年ぶりの団体優勝に貢献し、種目別のゆか協議で金メダルを獲得というこれまでと変わらぬ活躍を見せました。さらに12月に行われたトヨタ国際体操競技大会においては最高難易度Hとされる大技「後方伸身2回宙返り4回ひねり」を成功させて、「シライ3」と命名されました。
リオ五輪で団体金メダル。まだまだ活躍は続く
これまでの実績を見ても断トツの成績を残している白井健三。16年に行われるリオデジャネイロオリンピックではメダル獲得の期待がかけられていました。
自身初のオリンピックとなったリオオリンピックの舞台、白井は団体競技と種目別個人に出場し、団体総合の決勝では跳馬と床運動で演技して、見事に金メダル獲得に貢献しました。さらに個人種目でも白井は床運動と跳馬の決勝に進出します。
これまでの実績から金メダル当確とまで言われた床ですが、着地の失敗や細かなミスを連発したことで得点を下げ、まさかの4位に終わりメダルを逃してしまいます。しかし、跳馬で白井は見事なまでのリベンジを果たします。
このオリンピックに賭けていた白井は跳馬のために大技シライ2を温存、決勝戦で華麗に披露したことで得点につなげ、銅メダルを獲得します。
なお、白井が跳馬で得たメダルは84年のロサンゼルスオリンピックの銀メダリスト、森末慎二と具志堅幸司以来の32年ぶりの快挙となりました。なお、この年の11月に白井は20歳の若さで紫綬褒章を受章しています。