ハードが大きいスポーツ選手に どんなソフトを入れていくか 長友佑都×池田純<前編>

聞き手=河合拓

すり寄っていくことで見に来てくれる人は増える

©荒川祐史

長友 池田さんがベイスターズに最初に入られたときって、どういう風に改善していったというか、変えていかれたのですか? もちろん、いろいろなことがあったと思うんですけど。

池田 まずはビジョンですよね。僕が社長になった当初、横浜スタジアムのスタンドはガラガラだったんです。お客さんがいないから選手はミスをしてもあまり気にならない空気があった。自分たちは弱いチームだと思い込んで、劣等感の塊みたいになっていました。だから、試合に負けても『仕方がないよね』という雰囲気があった。一方で、お客さんがいないから経営も成り立っていない。でも、選手のプレーのレベルを上げるのはすぐにできることではありません。僕が一番得意なのは、経営です。強くするのはまずは経営でした。ベイスターズでは、リーダーでトップで社長だったので、「絶対に満員にするから」「満員のところでプレーできるようにするから」って選手たちに約束したのが最初です。最初は「絶対にできないよ」って言われたんですが、僕は「必ず満員にしてあげるから」と言い続けてさまざまな改革をしていったら、年々ものすごく観客数が増えていきました。そうすると、選手たちも意識が変わって来ますよね。

長友 それはどうやって変えていったんですか? 満員にするために何をしたんですか?

池田 基本的には楽しくすることです。あとはヨーロッパのサッカークラブでもよくある地域密着ですね。Jリーグも地域密着を掲げていますが、本当に地域の駅を降りた瞬間に「あのチームの駅だ」と感じるところは、まだまだ少ない。ヨーロッパだと駅を降りたら、その町がそのチームの町になっています。でも、日本はまだそうなっている街は、ほとんどありません。ベイスターズも関内駅の目の前にスタジアムはあるけれど、ベイスターズ感を感じられるものは、それだけだったんです。関内には中華街などいろいろあるのですが、野球を見たい人はコンクリートの閉ざされた世界の中に、お金を払って入っていかないといけませんでした。まず、そこを変えなければいけませんでした。最初は試合結果だけでもいいから、なんでもいいからベイスターズに触れてもらう。そのために、私たちベイスターズ自らどんどん街中に出ていったんです。2000万円かけて大型ビジョンを買ってビアガーデンつくって無料で野球を見てもらったり、駅のホームに前日の試合結果を掲示してもらったり、ベイスターズのロゴが入ったマンホールを何千万円もかけて買い、市に寄贈して、すべてのマンホールを変えたりと、ベイスターズのある街づくりをやったんです。そうしたら、街全体がベイスターズの町になっていったんです。

長友 変わるんですね。

池田 変わります。

長友 それで人々の意識が変わるということですか?

池田 やっぱり「ファンになれ!」と押し付けて言ってもなってくれないじゃないですか。自分からすりよっていかないとなってくれません。多分、長友さんはファンに対する意識が高いと思うんですよ。放っておいて「すげープレーするから、あとはみんなファンになってくれ」と、凄いプレーでファンが増えることもありますが、やっぱりある程度はファンに対して、優しさや姿勢が必要です。よく選手に言っていたのは、「サインを断るんであれば、断ってもいい。でも、サインを書くのであれば、一瞬でいいから目をみてニコってしてあげなさい」ということです。プロスポーツも、ちょっとずつお客さんにすりよっていかないといけません。偉そうにしていると思われると、ファンは本質的には増えないんです。
 これは大学スポーツも同じだと思うんです。今年、明治大のサッカー部の開幕戦を見に行ったのですが、スタンドは空席が目立ちました。多少、動員はあったと思うのですが、例えばリバティータワーのホールで壮行会をやるとか、みんなにサインを書いてあげるとか、ちょっとすり寄っていけば、ファンは確実に増えていくんです。

――長友選手が大学生のときは、そういう壮行会とか、一般の学生と関わりをもつことはありましたか?

長友 壮行会は、僕らのときもなかったですね。ほとんど一般の学生と触れ合うことはなかったです。

――でも、実際に大学の看板を背負ってプレーしているわけじゃないですか。大学サッカーをやっていた頃を振り返って、もっとこうだったらよかったなと思うことはありませんか。

長友 やっぱり、もっと人がいっぱいいるところでサッカーをやりたいというのは、ずっと思っていました。言ったらもう対戦相手の応援団とサッカー部の応援団、明治だったら明治のサッカー部の応援団しかいなかった。あとはチラホラいるくらいで、寂しいなっていうのは正直ありましたよね。

池田 見られると、圧倒的に意識が変わるじゃないですか?

長友 はい。それは間違いないですね。一回、ビラ配りみたいなことをしたんです。集中応援みたいなのがあって、ビラ配りを頑張ってやりました。そのとき、やっぱりお客さんが結構増えたんです。学生も見に来てくれたので、モチベーションが上がりましたよね。モチベーションが上がったら勝率も上がってきますし……。そのときのことは覚えていますね。人が入っていたし、楽しかったっていう。

八幡山は明大のスポーツ施設がある街というイメージも作れるはず

©荒川祐史

――たまたま今日、サッカーの早慶戦のチラシを新宿の駅で慶應ソッカー部の選手たちが配っていたんです。

長友 (チラシを見ながら)あ、これサッカーの早慶戦のチラシなんですね。

――はい。こういうのも一緒ですよね、ベイスターズがお客さんを集めるためにやっていたというのと。

池田 一緒です。それも学生が作って、すごく頑張っているじゃないですか。でも、プロがもっとチラシの作り方や広告の作り方を教えてあげるともっと学生の将来につながると思うんです。もっと本物を知ることができる。残念ながら、プロ目線でしっかり評価してあげるとなると、それだと、何の宣伝かわからなくないですか?

長友 そうですね、わからないですよね。僕、このチラシを見た直後に、サッカーかどうか聞いたくらいですから。最初、野球かなと思ったんです。

池田 仮に早明戦のサッカーの試合があるときに、将来スポーツビジネスに関わりたい体育会の生徒でもいいし、一般の学生でもいいので、彼らに来てもらって、「サッカーの早明戦を題材に、みんなでポスターを作って提出してください」と伝えるとします。それを僕が採点してあげたら、もっと良いポスターになるはずです。プロの目線というのは、絶対に必要ですから。

――それも生徒たちにとって大きな経験になりますし、就職活動や社会人になってからも使える武器の一つになりますよね。

池田 なります。「このポスター僕らが作ったんだ」と言えますし、実績にもなります。しかも今の大学サッカーって、一般人は知らないことも多いですが、かなりレベルが高いじゃないですか。

長友 いや、めちゃくちゃ高いですよ。同じ学校から5、6人、普通にJリーグに行きますからね。ありえないですよ、普通に考えて。

池田 昨年、鹿島アントラーズとレアル・マドリードのクラブW杯決勝の試合を子どもたちと横浜国際スタジアムに観に行ったとき、多くの子どもたちが一目で「すごい!」って言っていたんですよ。それくらいわかりやすいじゃないですか、サッカーのプレーの質として。僕も『こんなプレーが日本でも見られるんだ』と思っていたんです。でも、それを見た後にJリーグの試合をいくつか見に行ったんですけど、子供たちの反応はそこまで良くはないように感じてしまいました。

長友 それ、寂しいなぁ。

池田 その後、明治大学の開幕戦に行って、応援団と一緒にネット裏で見ていたんです。そうしたら、子どもたちが「すごい!」って言うんです。あの距離で見るとレベルが高いし、僕も『このレベルを見せてくれるのに、これだけしかお客さんがいないんだ』と、初めて大学サッカーを見たのですが、ちょっと驚きましたね。

長友 試合に行けば、大学サッカーも楽しめるレベルになったと思うんです。でも、一般の人は知らない。まず試合をいつ、どこでやっているのかということさえ知らない。それは、だいぶもったいないですよね。

池田 もったいないですよ。あそこで、ほぼ無料で見られる選手たちが、その翌年には5000円とか払わないと見られないJリーグの選手になっていくんですよ。

長友 そうですよ。11人のうちの半分というか、毎年5、6人、プロになる人が出るとなると、もうほとんどのレギュラーの選手たちはプロに行くわけですよ。

池田 そういう選手たちと一緒にチラシやポスターを作る授業をみんなで受けたら、絶対みんな試合も応援しに行きますよ。だからサッカー部がすりよっていくことも必要ですし、そもそもせっかく大学なんだから、教育、スポーツのことも一緒に学べるようになればいいですね。例えば長友さんに、「イタリアのサッカーのある街って今どうなっているんですか? 街中でサッカーな広告とかどんな感じなんですか?申し訳ありませんが、スマートフォンで写真を何枚か撮ってきてもらって、今度日本に来たときに10分でいいから、学生の前で喋ってください」と、お願いしたら、みんな聞きたいはずです。それでスポーツのある街づくりを、学生みんなに考えてもらえばいい。
 ここ八幡山だって、せっかく明大の合宿所とかあるのに、この練習場を出たら何もない。八幡山は明大のスポーツ施設がある街というイメージづくりだってできるわけですよ。

長友 これだけの施設がありますからね。いろいろな部活が使っていて、立派なグラウンドも、施設もあって……。もっとできますよね。

――長友さん自身、明治大学での経験というのはプロになる上で大事だったと思いますが、明治大学で学んだことというのは何があげられますか?

長友 それはたくさんあるんですけどね。でも、やっぱりまずは、サッカー部で結構、上下関係も厳しい中で、先輩にしごかれながら部活をやってきたので、人間性を磨かれましたね。あとは精神力がめちゃくちゃ強くなった。

――精神力ですか。

長友 精神力です。そこはもうめちゃくちゃ身につきましたね。もう本当に根性だけで、このプロ生活をやっている感じですから。でも、もっと勉強とか経営学の部分でも、勉強しておけばよかったなと思いますね。僕も今いろいろとビジネスに興味を持って始めていますけど、あまりにも物事を知らなさ過ぎて、今もすごく勉強することが多過ぎて、大変です。

――学生時代にもっとやっておけばよかったなと思うことは、勉強なんですね。

長友 はい。もっとベースがあったら、全然違っていたなと思うんです。もしかしたら、もっと早くビジネスをやっていたかもしれません。

――今、会社も始められたじゃないですか? それはどういう意図で始めたんですか。

長友 まずビジネスもそうですし、経営にも興味があったんです。あとはやっぱり現役が終わったときに、サッカーが終わって何も残っていないのは、あまりにも寂しすぎるなと思って。むしろサッカーの現役中よりも終わったあとの方が人生は長いわけですから。もっと、その価値を高められるのはその後だと思うんですよ。だから今のうちにいろんなベースを作って、僕も本当に楽しんでいます。もちろん結果を残せなければ叩く人もいるだろうけど、それはもう自分の人生なんで、全く関係ありません。好きなことをやって、サッカーで手を抜いているわけではないですし、サッカーを精一杯100%やって、ただ本当に趣味程度の意識なんですけど、楽しんでいる範囲で、ビジネスもやったりしている。そうですね、ちょっと趣味程度ですね。

池田 日本では、「サッカーをやっているんだからサッカーのことだけを考えて、勉強なんかいい」とか、「プロになっても現役なんだから、引退後のことを考えるな」とか言いますよね。僕はそういうのが、残念だと思うんですよ。

長友 僕もそう思います。おかしい。おかしすぎますよね。

池田 おかしい。アメリカでは、例えばジェイ・Z(アメリカのラッパー)はブルックリン・ネッツのオーナーになっていて、グッズを開発したりもしているんです。彼が開発したグッズは、飛ぶように売れるんですよ。ミュージシャンがスポーツやったり、ビジネスやったりしていますし、他にも現役のスポーツ選手が引退したら、みんなすぐにビジネスをやるわけです。ジーターなんて、球団を買おうとするわけですよ。もっと視野を広げないといけません。

――最後に明治大学に関わられている池田さんと、卒業された長友選手に、明治大学を含めて大学生に、どう学生生活を過ごしてほしいか。アドバイスを一言ずつください。
池田 学生にですか? 僕は、学生のとき正直何にも考えていなかったからなぁ(笑)。ただ、一生懸命、楽しんだほうがいいですよね。楽しんで一生付き合える好きなことを見つけてもらいたい。今、自分がやっていること、触れていることを、将来もずっと続けられるように。学生時代の僕は、楽しんで、遊んで、海外にもたくさん行きました。経営者になりたいとずっと思っていて、経営者になるためには最低限英語を話せないといけないと思ったから、1年休学もしたんです。当時からサーフィンもやっていたので、オーストラリアに本気でサーフィンをやりに行きました。でも、サーフィンはプロにはなれなかったし、職業にはできなかった。そこから経営者の道を本気で目指すようになりました。学生時代に、経営者になりたいという目標が明確になった。何か一個でいいから、楽しむ中で、将来ずっと付き合っていけるものを見つけてほしいですね。

――長友さんは?

長友 池田さんと全く同じです(笑)。いや、もうそれしかないかなぁと思いますね。あとは、色々な出会いがあると思います。僕も高校時代を過ごした福岡から東京に出て来て、すごくいろいろな人と出会いました。今でもそういう人たちとビジネスで繋がったり、サッカーで繋がったりして、人脈形成とかは特に意識してやっておいたほうがいいんじゃないですかね。結局、人対人なので。楽しみながら、そこで仲良くなった友達でもいい。人脈形成はやっておいた方がいいんじゃないかなと思います。

――本気で楽しむことと、出会いを大切にすることですね。本日は、ありがとうございました。

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河合拓

2002年からフットサル専門誌での仕事を始め、2006年のドイツワールドカップを前にサッカー専門誌に転職。その後、『ゲキサカ』編集部を経て、フリーランスとして活動を開始する。現在はサッカーとフットサルの取材を精力的に続ける。