白熱・拮抗した試合の流れを断ち切るタイブレーク

来春のセンバツから、タイブレーク方式の採用が決まった。

現代のスポーツは、定められたルールの下で勝負を競う。野球は大きなルール改正が少ない競技だから、タイブレークのように本来の野球の流れとまったく異質、強引な場面設定で勝負の決着を図る改正には、多くの選手、指導者、ファンが抵抗を感じるのは無理もない。

他の競技に目を移せば、この程度のルール改正は珍しくない。
バレーボールはテレビ放映に適合させるためラリーポイント制に移行し、ブロックを「3回の攻撃のうちの1回に数えない」といった劇的な改正を重ねている。それに比べたら、タイブレークはあくまで延長12回までやって勝負がつかない場合の措置。スポーツ界全体の傾向に従えば、この程度のルール変更は柔軟に受け入れ、対応する覚悟が野球人にも必要かもしれない。

ただ、すでに以前から採用されている少年野球や中学野球で実際に経験した立場から言えば、
「タイブレークはあまりに唐突で、それまでの白熱・拮抗した試合の流れとまったく違う、大味な展開に激変する」
それまでの緊迫感は「何だったのだろう」という、空虚さがつきまとう。

たったひとりの走者も許さない意識、出してしまった走者は2塁に進めない努力を懸命に重ねて接戦を演じてきた。投手は牽制球を投げ、駆け引きした上にクイックモーションで打者に投じ、捕手は盗塁を阻止し、内野手は犠牲バントを許すまいと守備陣形を工夫し投球に合わせてダッシュする、外野手は万一の悪送球に備えてカバーに走る、といった細心の努力と鍛えてきた技量を発揮して演じてきた接戦の充実感が、一瞬にして損なわれる。

タイブレークで負けたときの敗北感には、前向きな悔しさや明日につながる負けじ魂が宿りにくい。唐突すぎて、空虚さや荒んだ気持ちが優先する。

決着がつかなかったら、試合に出場していた9人が全員でじゃんけんして次に進むチームを決める少年野球大会もある。その方がよほど後味がいい。じゃんけんなら、それまでの「野球」自体を否定しないからだ。

長いイニングを戦い、両チーム同点で迎えた延長戦には、どちらかが盛んに走者を出して攻め、どちらかがよくしのぎ、あるいは双方がそれぞれ持ち味を出して出塁し進塁させ、点を取り合った味わいがある。タイブレークはそうした繊細さ、互いの緊張感を一瞬にして破壊する。
これって野球? そんな空虚さ、嫌な後味がどうしても拭えない。

野球チームにはそれぞれ持ち味がある。勝利への方程式はひとつではないし、チームによって戦略も違う。
常識的に言えば、「走者を出さない」「先頭打者は絶対に抑える」という勝利への鉄則があり、それをきっちり実行しているチームは強い。試合でそれを実践するため、日々の練習で日頃からその実力、チーム力を磨いている。
一塁の前にしっかり鍵をかけ、塁上に立つことを許さなかったのに、タイブレークになった瞬間、その鍵が勝手に開けられ、ズカズカと土足で塁上に立ち入られる。
タイブレーク方式は、日々の努力、それまでの試合の達成感を嘲笑う。

真の国際化を目指すならリーグ戦導入など根本的な改革が必要

高野連は採用に踏み切った理由を主に三つ挙げている。
1)国際化への対応
2)円滑な大会運営
3)選手(とくに投手)の過剰な疲労を回避する
すでにWBCをはじめ各種野球の国際大会でサドンデス制が採用されているから、「国際化に対応する」という理由は「その通り」と納得せざるをえない。だが、少し観点を変えると、採用のためにつけ加えた根拠ではないかと感じる。

そもそも『春夏の甲子園』のような大騒ぎになる高校野球大会はアメリカをはじめ海外には例がない。約4000校の参加校が巨大なやぐらを組んで“一発勝負”のトーナメントを戦う特異な高校野球の方式は、国際基準とは遠い日本独自の文化だ。

大枠が「日本的」な高校野球の、一部分だけ「国際化」「国際基準に従う」と言われると、ちょっとむずがゆい。「国際化への対応」を掲げるなら、タイブレークの採用以前に、改善すべきことはたくさんある。

4000校もの参加があるのに、その半分は初戦で敗退し1試合しかプレーできないトーナメント制を100年も続けている姿勢は国際的だろうか。

国際大会のほとんどが、一次予選ではリーグ戦形式が採用している。タイブレークに慣れるより、リーグ戦形式に慣れる方が急務で、根本的ではないだろうか。だが、高校野球にリーグ戦を採用しようという動きはほとんどない。

試合数が増えて大変、運営費用がかさむ、といった反対理由が想定されるが、高校生たちは青春のほとんどすべてを注いで入学から高3の夏まで野球に傾倒する(その集中し過ぎもどうかと思っているが)。それなのに、春夏秋、年間たった3試合か4試合しかできない高校球児がたくさんいる。この哀しい現実を放置していいのだろうか。頂点を争う球児たちだけでなく、大会序盤で敗退する球児たちの日頃の努力に報いるため、試合数増加に伴う会場費、審判代の捻出くらい実現するのが、高校野球に携わる大人たちの務めではないだろうか。

予選がリーグ戦形式なら、例えば延長12回で勝負がつかなければ「引き分け」でいい。大会運営に支障はない。

9月上旬に行われたU-18ワールドカップで日本は3位にとどまり、「今年の“侍ジュニア”は弱かった」みたいな印象を与えたが、あの大会は国際的には「高校生の大会」ではない。U-18、つまり18歳以下の大会だから、大学1年生あるいはプロ1年目の選手も誕生月によって出場が可能だ。他の国々は当然、大学生もメンバー入りしていた。いわば、ひとつ年上の選手たちと戦ったという事実をどれほどの人が認識しているだろう? 日本のアマチュア野球界は、高校生、大学生、社会人といったカテゴリーで運営している。だから国際大会が違うカテゴリーで実施されても、「日本は枠組みを崩さない」姿勢も国際化とはまったく融合していない。

脱・甲子園? 過密日程の最大の難敵「雨」にはドーム球場という手段も

タイブレーク制の採用は、いわば“野球の憲法”を改正するような変更だ。
野球ルールにはすでに、『サスペンデッド・ゲーム』という素晴らしい知恵が規定されている。決着がつかない場合、日を改めて試合の続きをやる方式だ。9回裏で終えたなら、後日10回表から続ける。再試合のように必ず9回やる必要がないから、1回で(つまり延長10回で)勝負がつく可能性もある。日本ではこのサスペンデッド・ゲームを採用する慣習が薄いが、本来なら、野球の憲法を改正(改悪?)する前に、すでにあるサスペンデッド・ゲームを試すのも一案ではなかっただろうか。

「円滑な大会運営」という理由はどうだろう?
今春のセンバツでは、延長再試合が2試合もあった。大会日程に影響があるのは事実だ。しかし、前述のとおり、サスペンデッド・ゲームなら、例えば翌日予定の全試合終了後に行えば、大会日程の変更は必要ない。
さらに言えば、センバツにおける大会運営の最大の難敵は「雨」だ。
センバツは天候が不安定な年も多い3月下旬に行われるため、雨が続いたり、試合の途中でかなり雨にたたられる場合が少なくない。一方で、夏より短い春休み。入学式を控え、3月末までには大会を終わらせたい事情がある。そのため、泥沼のような甲子園球場で試合が強行される風景も記憶の中にある。解決すべきはこちらの方だ。

「甲子園至上主義」の野球ファンには反対されるだろうが、私は、春のセンバツはドーム球場を利用したらどうかと以前から提案している。
いつまでも、甲子園だけが高校野球の聖地である必要はない。

野球少年の数が減っている、野球人気衰退という深刻な現実がある。これを根本的に打開する取り組みが野球界の急務だ。そのためにも、春は甲子園から飛び出し、一次リーグを全国各地のドーム球場で開催するのも、ひとつの改革ではないか。

大阪にも、名古屋にも、東京にも、福岡にも、札幌にもドーム球場はある。これを活用すれば、高校野球の全国大会が日本列島の各地で見られる。

私はテレビの企画で甲子園のマウンドに立たせてもらった経験がある。そのときまず驚いたのは、四方八方を取り囲む『広告の山』だった。マウンドから、内外野のフェンスに所狭しと企業広告が張り巡らされている。高校野球の聖地と言われる甲子園球場が、実は商業主義のチャンピオンのような風景なのだ。大相撲中継でも、懸賞の垂れ幕が土俵に上がるとカメラが引いて広告が目立たなくなる。それと同じで、NHKの甲子園中継ではさほど目立たないが、高校野球の聖地と言われるイメージと現実の差。甲子園を神格化し続けるセンチメンタリズムからもそろそろ卒業してよいだろう。

選手を守るために本当に必要なものは何なのか?

三番目の「選手の健康」「投手の投げすぎ予防」という理由は最も説得力があるように感じられるが、ここにも「落とし穴」があると私は感じる。球数制限が投手の肩や肘を守る絶対的な方法ではない。メジャーリーグのある有望新人投手が肘を痛めて手術を受けたとき、監督が語った言葉がそれを端的に表している。
「私は彼を守るため、球数も制限し、投球回数の投球間隔にも配慮してきた。それでも彼は肘を痛めた。これから一体、どうすればいいのか」

本質的には、理に叶った投げ方、無理のない身体の使い方こそが最も重要なテーマだ。ところが、その正しい投法をほとんどの監督、コーチが、明言できない。そのため、対処療法的というのか、裁判で言い訳にできそうな「球数」「投球回数」「投球間隔」に答えを求める。本当はそこに答えはない。

そして、「投げすぎはよくない」「投手は肩を壊しやすい」といった前提は、「野球は身体に悪い」と言っているようなもの。そのことにほとんどの野球関係者、メディア関係者でさえ、気づいていない。ケガがつきもの、といったイメージは、野球の人気はもとより、新たに野球をやろうとする人間を減らすことはあっても、増やす力にはならない。高野連は、「ちょっとやり過ぎると、野球は身体に悪い」と認めているのだ。

本来は、「身体に悪い」ことを前提にするのでなく、「心身にいい」と強調できる方向に野球運営を導くべきではないか。

タイブレーク制の採用は、要するに「世界がやっているから」という安易な選択であって、高野連、そして日本の野球界が新たな智恵を絞り出す努力をしていない、選手を本気で思い、野球を思い、未来を思い、最善の策を捻り出す姿勢を持っていない表れではないかとも感じる。

タイブレークは野球の根本を変える。それ以上に、真摯に練習に取り組んできた高校生たちの日常を嘲笑う。日々鍛え抜いてきた「一貫性」が裏切られ、心にポッカリ穴が空くような結末。タイブレークが生み出すそうした「負のエネルギー」が果たして、高校野球を発展させるのか。その場の便宜を優先する分野が、未来に向けて勢いよく成長・発展する例は少ない。

高校野球までしか使えない金属バットに、意味はあるのか?なぜ「2人だけ」甲子園に行けない? 誰も指摘しないベンチ入り制限の怪高校野球を蝕む過激な「食トレ」は、なぜなくならないのか?高校野球の投球過多問題はルール改正すれば良いわけではない

清宮、プロ志望表明。歴代のドラフト指名競合選手を振り返る。

早稲田実高(東京)の清宮幸太郎(3年)が22日、東京・国分寺市の同校で記者会見を開き、プロ志望届を提出することを公表した。これにより、“高校通算111本塁打”を誇る世代随一の才能の進路は、10月26日に行われるプロ野球ドラフト会議(新人選手選択会議)で決することになった。

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小林信也

1956年生まれ。作家・スポーツライター。人間の物語を中心に、新しいスポーツの未来を提唱し創造し続ける。雑誌ポパイ、ナンバーのスタッフを経て独立。選手やトレーナーのサポート、イベント・プロデュース、スポーツ用具の開発等を行い、実践的にスポーツ改革に一石を投じ続ける。テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍。主な著書に『野球の真髄 なぜこのゲームに魅せられるのか』『長島茂雄語録』『越後の雪だるま ヨネックス創業者・米山稔物語』『YOSHIKI 蒼い血の微笑』『カツラ-の秘密》など多数。