変わりつつある高校サッカーの風土

高校サッカーの魅力は「伝統と革新」が共存する多様性だ。2017年度の全国高校サッカー選手権を見れば、72歳の小嶺忠敏監督(長崎総合科学大学附属)や66歳の大滝雅良監督(清水桜が丘)のような「昭和の名将」が健在だ。一方で岡山哲也監督(中京大中京)のような「元Jリーガー監督」も4名いる。

またプレーヤーとして「J」の経験がなくても城福敬監督(仙台育英/弟の浩氏はサンフレッチェ広島監督)はコンサドーレ札幌の強化部長も務めていた大物だし、安部一雄監督(山梨学院)は川崎フロンターレU-18の元監督。大卒の「元J」は教員免許を持っている例が多く、元日本代表DFの箕輪義信氏のように30代半ばから神奈川県の公立校教員に採用された人物もいる。野球でも「プロアマの壁」は崩れつつあるが、そもそもサッカーはJリーグ開幕後も部活とクラブを指導者が自由に行き来していた。

日本経済が弱くなったことで外国人留学生、コーチは減ったが、羽黒高校は長くブラジル人のコーチを置いている。イングランドにコーチ留学し、シンガポールで指揮を執った経験を持つ大塚一朗監督(富山第一)のような国際派もいる。高校サッカーは多彩な人材の受け皿だ。

Jクラブは原則として単年契約。人の入れ替わりが激しく、減点評価の度合いが大きい。だからコーチはどうしても「組織の上と内側を見てそつなく仕事をこなす」姿勢になってしまう。学校組織は被雇用者に優しい環境で、主張の強い異端や、枠にとらわれない自由人タイプを引き受ける土壌がある。

どの競技を見ても育成年代の指導者は良くも悪くも「人間的」なタイプが多い。原理原則を重んじる役人タイプはアンダーカテゴリーの指導に向いていない。

選手目線で高校サッカーの現状を見たとき、特に素晴らしいと思うのは「チームの主力」「11人」以外にも実戦の場が用意されていることだ。今大会の出場校は48校だが、東福岡の330名を筆頭に100名以上の部員がいるチームが23校ある。過剰な部員数にも思えるが、トップチームに絡めない選手の扱いが21世紀に入って劇的に良くなった。

サッカーファンにとっては常識だが、今は選手権や全国高等学校総合体育大会(高校総体/インターハイ)のようなカップ戦と別に、通年のリーグ戦が組まれている。全国9地域の「プリンスリーグ」が開始されたのは2003年で、全国を東西に分けた「プレミアリーグ」が誕生したのは2011年。今はプレミア、プリンスの下には都道府県リーグが入るピラミッド構造が整備された。例えば青森山田ならAチームがプレミアイースト、Bがプリンス東北、Cが青森県1部、Dが青森県2部といった具合にそれぞれのカテゴリーを戦っている。

練習環境、遠征に帯同するスタッフといったリソースは高校にとって負担だが、今は1年生でもBチーム以下で試合経験を積みやすい。かつては「公式戦に一度も絡めず引退」という選手が決して少なくなかった。厳しい下積みに耐え、部内競争に生き残って試合に出るプロセスを是とする発想も根強かった。しかし少なくともサッカー界についてはそういう風土が消えた。

「クラブ経営」についても、学校法人は寮や人工芝グラウンドなどを自前で確保していて例が多く、Jクラブよりよほど投資意欲がある。選手権はユニフォーム広告が禁止となるものの、東福岡、京都橘などは「胸スポンサー」を入れて日々のリーグ戦を戦っている。学校教育と「商業主義」が問題なく共存している。

クラブユースから高校への移籍、転校 環境を変えることの意義とリスク

人材の行き来に話を戻すが、動いているのは指導者だけでない。今大会の注目選手でもある中村駿太(青森山田)はU-12から柏レイソルのアカデミーでプレーしていて、高3へ上がる前に日体柏から転校した。一昨年度の選手権では、東京ヴェルディから青森山田に移った神谷優太(現・愛媛FC)が活躍している。「U-15からU-18へ上がるタイミングの高体連(全国高等学校体育連盟)移籍」は中村俊輔、本田圭佑の名を挙げるまでもなく無数にいる。それに加えて転校という方法もある。

「一所懸命」が重んじられるこの国では転校、移籍が多少ネガティブに受け取られる。確かに校内のトラブルなど、後ろ向きの理由で学校を替える例もあるのだろう。しかし環境を変えることで飛躍する選手は間違いなくいる。一貫教育の良さも間違いなくあるのだが、それまでと対照的な環境に移ることで「化学変化」が起こることも少なくない。

他にもガンバ大阪のGK東口順昭は福井工業大から新潟経営大に転入している。サッカー部の体制が大きく変わった、師事している指導者が移った場合にも、転校は活用可能な選択肢だろう。プロと同じで、出場機会を求めてチームを替えるというキャリアチェンジがあってもいい。アメリカのNCAAを見れば転校、短大から四大へのステップアップは一般的だが、日本もそういう進路選択は増えていい。

日本は「6・3・3・4制」という小中高大の区切りにスポーツ界が連動している。言ったら高校サッカーの選手は「3年契約」と近い状態にある。しかしプロの感覚で見れば3年は長いし、より若い高校生にとってこの年月はなおさら重い。

しかし高体連は転校した選手について、6カ月の出場停止期間を設けている(※一家転住の場合は特例がある)。高校野球の「出場停止1年間」に比べれば軽いし、登録の変更に一定の制約が必要なことも間違いない。「予選で負けた選手が、別の高校で本大会に出場する」というような話があったら、カテゴリー全体が無秩序状態に陥ってしまう。

だとしても選手に必要以上の不利益を負わせる必要はない。高体連でなく日本サッカー連盟(JFA)が主催する「高円宮杯プレミアリーグ」「プリンスリーグ」なら、春に転校した選手が直後から出場できる。高校総体、選手権も同じ取り扱いでいい。

もちろん転校にはコストがかかるし、環境変化によるリスクもある。そういう得失はJリーガーの海外進出に近いかもしれない。だから「どんどん転校すればいい」という甘い話をするつもりはない。また高校総体や選手権が高体連の大会である以上、サッカー界の都合だけで変えられない。それを前提とした上で、日本のスポーツを強化するため、「転校規制の大きな緩和」「撤廃」を文部科学省やスポーツ庁といったより高い段階で議論していいのではないだろうか。

「それは強化であって教育でない」という反論があるだろう。この国には高校野球文化や昭和のアマチュアリズムの影響で、「プロvs教育」という対立軸を立ててしまう人が多い。しかし実際のところサッカー選手を育てることと、魅力的な人間を育てることは同じ方向の話だ。「若者の可能性を広げる」「未来を拓く」ことを教育と定義した上で、もう少し踏み込んだ話をしたい。

一昨年度の選手権で活躍した青森山田の神谷優太(現・愛媛FC)/(C)Getty Images

論議を巻き起こした桐蔭学園・李国秀監督の指導

今年度の選手権には神奈川県の代表校として桐蔭学園が出場する。1987年から96年にプロ指導者として同校を指導し、その後は東京ヴェルディの指揮も執った李国秀氏が、2015年から復帰していた。しかし選手権に出てくるのは県総体敗退後に引退を要求されつつ踏み止まり、李氏の指導から離れた3年生チーム。本大会も蓮見理志氏が指揮を執るようだ。1、2年生は李監督の指揮の下、神奈川県1部リーグを戦っており、「二頭体制」になっていた。

筆者は桐蔭学園のサッカー部を2014年に取材したが、当時の部員は168名。コーチやスタッフは合計12名おり、5つのリーグ戦を戦う大所帯だった。これでもセレクションにより絞ってはいたが、限界近くまで選手を受け入れていた。トレーニングも複数のグループに分け、効率化を図っていた。限られた施設を共有する分、全体練習は1日90分に抑えられていたが、その副産物として文武両道のカルチャーもあった。高校サッカーという枠の中で、一つの素晴らしいモデルケースだったと思う。

李国秀氏は1990年前後にも桐蔭学園サッカー部の指揮を執っていたが、当時は「少数精鋭方式」だった。ただ私立校ならば少子化の中でも志望者、生徒を維持するという経営的な命題がある。桐蔭学園も李氏の退任後に部員増へ舵を切っていた。

李国秀監督の復帰により摩擦は必然的に起こるだろうと思っていたが、やはり批判的な発信を多く目にした。「控え部員も含めてチーム一体で戦う」ことは部活文化の柱で、そこから逸脱した有りようを気持ち悪く思う人は多い。まして桐蔭は中高一貫校だから「6年後」を見据えて中学のサッカー部に入部してきた子もいた。また「監督から見捨てられ、追い込まれたチームが勝ちあがった」ストーリーは爽快で、選手たちは本当によくやったと思う。

ただし、李国秀氏は間違いなく「教育者」だ。逆に言うと高校生の大会で好成績を挙げ、学校の宣伝に寄与するようなタイプではない。李氏が指揮した時代の選手権出場は3回で、最高成績はベスト8。2002年の4強入りや、2011年の高校総体制覇といった桐蔭学園サッカー部の好成績には関わっていない。

一方で彼の教え子たちは「その先」のステージで花開き、林健太郎氏、森岡隆三氏、戸田和幸氏といった日本代表選手も出た。また渡邉晋監督(ベガルタ仙台)、長谷部茂利監督(水戸ホーリーホック)、栗原圭介監督(元福島ユナイテッド)といった指導者も多く輩出している。「試合に勝つ」「技術と体力を伸ばす」という部分だけで、その成果を評価するべきではない。

李氏の門下生のサッカー人は総じてスマートで、「サッカーを言葉にする」能力に長けた人が多い。サッカーに興味がある方なら戸田氏の解説は目にした、耳にしたことがあるだろう。その影響を受け、高校時代に大人との「対話」を積み重ねたからこそ獲得されたものだろう。

一方で彼は主張の強い人物だし、部活文化や日本の教育機関の価値観からはみ出した発想や行動があったのかもしれない。例えば上級生を冷遇するやり方を、本人や父兄がすんなり受け入れるはずもない。

それぞれの立場を批判するつもりは一切ない。ただ一般論として「相手と1対1で向き合う」ことは教育の理想。1対何百の一方通行では、どうしても指導の密度が薄くなる。

桐蔭学園で李国秀監督の指導を受けた戸田和幸氏/(C)Getty Images

高校サッカーにはさらに良くなるポテンシャルがある

そもそも教育、指導の方法論は正解を一つに絞れない。少数精鋭の環境を全員に用意できるわけではないし、大人が関わらなくても自力で伸びていく子はいる。200人、300人の競争から這い上がってきた人間にはタフだし、その活気や厳しさが成長に寄与する場合もあるだろう。

ただしヨーロッパのスポーツクラブを見ても、アメリカの学校スポーツを見ても、「数を絞る」ことは常識であり前提だ。NBA史上最高の選手に挙げられるマイケル・ジョーダンさえ、高1のセレクションに落ち、部ではプレーできなかった。100人以上の子を受け入れてチャンスを与える日本のやり方は素晴らしいし、そういうチームがあるから選手たちも夢を見られる。しかしそういう環境は双方向の教育が困難で、一方通行の指導に陥ってしまいやすい。

同じ神奈川の桐光学園のサッカー部は少数精鋭方式だが、FC川崎栗の木という系列のクラブチームを運営している。「そんなの面白くない」という突っ込みは来るだろうが、選手権の予選もJFAのリーグ戦や天皇杯のように「Bチーム」「Cチーム」が参加していい。そもそも都道府県の人口やレベルに関係なく「東京以外は1校ずつ」というフォーマットは絶対的なものでない。極言すると青森山田のAチーム、Bチームが全国大会に揃い踏みしていいし、高校とクラブの枠組みは取り払っていい。

サッカー界はこの25年で「部活モデル」を大きくリフォームした。それでもまだ制度と先入観の「壁」は残っている。もちろん学校法人が無限に人とお金をサッカーに投じられるわけでなく、制度を変えるためには高体連や文部科学省と言った「上部組織」との折衝も必要だ。ただ高校サッカーにはまだグローバルスタンダードの入る余地があるし、なお良くなるポテンシャルが残っている。

<了>

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大島和人

1976年に神奈川県で出生。育ちは埼玉で、東京都町田市在住。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れた。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経たものの、2010年から再びスポーツの世界に戻ってライター活動を開始。バスケットボールやサッカー、野球、ラグビーなどの現場に足を運び、取材は年300試合を超える。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることが一生の夢で、球技ライターを自称している。