伸びしろを残して23歳でプロに転向

山中は中学3年のときに辰吉丈一郎(大阪帝拳)がWBC世界バンタム級王座に返り咲いた試合(シリモンコン・ナコントンパークビューに7回TKO勝ち)をテレビ観戦し、それを機にボクシングを始めた。「WBCのベルトが輝いてみえた」と、その当時を振り返っている。卒業文集にも「世界チャンピオンになる」と書き、南京都高校(現京都廣学館高校)に進んでアマチュアでリングに上がるようになった。利き腕は左だが、中学まで続けた野球では右投げ右打ちだった。そのころから「肩の強さには自信があった」と山中は話している。

高校3年のときにインターハイで準優勝、国体では優勝するなど目立った成績を残し、専修大学に進学。しかし、大学4年間は「全国大会にエントリーすらしていない」(山中)という状態で、無冠のまま終わった。高校、大学を通じてのアマチュア戦績は47戦34勝(10KO)13敗だった。「大学のときはけっこう負けました。なんとなくやっている感じだったので、負けても一日寝れば悔しさが消えていたほど。気持ちがなかったんでしょう」と自己分析している。

ただ、<これでボクシングをやめたら絶対に後悔する>という思いもあり、プロで勝負することを決めた。その際には「真剣にやれば勝てる、という変な自信があった」という。肉体面でも精神面でも十分な伸びしろを残してプロに転向したといえよう。

06年1月に6回判定勝ちでデビューしたが、2戦目は引き分け、4連勝後に再び引き分けと、必ずしも目立つ存在ではなかった。7戦した時点での戦績は5勝(2KO)2分だった。そんな山中が側から見ても分かるほど闘志をむき出しにして戦ったのが、12戦目の上谷雄太(井岡)戦だった。この試合、山中は左ストレートで1回TKO勝ちを収めている。世界王者になってから取材した際、「あのあたりから何かを掴んだ感じ」と山中は話していたが、「でも、何を掴んだのかが分からない」と自分でも首を捻っていたものだ。

その上谷戦を含め山中は09年から11年にかけて9連続KO勝ちをマークした。この間、日本王座獲得と防衛、そして世界王座獲得を果たしている。

人差し指の付け根を当てるように打つ左ストレート

©Kyodo News/Getty Images

山中は世界王者になってから5年9カ月の間に12度の防衛を果たしたが、のべ7人が元世界王者という中身の濃さを誇る。しかも戴冠試合とネリ戦を含む世界戦14試合で合計30度のダウンを奪っているのだ。そのほとんどが左ストレートである。

また、世界戦で山中に屈した実人数12人の誰ひとりとして山中戦後は世界王座についていない点も興味深いデータといえる。V4戦で1回KO負けを喫したホセ・ニエベス(プエルトリコ)のように2度とリングに上がらなかった選手もいれば、ディエゴ・サンティリャン(アルゼンチン)のように2年以上の休養後に2連敗という選手もいる。昨年3月のV12戦で5度のダウンを喫して敗れたカルロス・カールソン(メキシコ)も再起戦で敗れている。2度目の対戦で4度のダウンを食らってキャリア初のTKO負けを喫したアンセルモ・モレノ(パナマ)は、その試合で魂が抜けてしまったのか再起戦で惨敗、引退した。「神の左」を浴びた彼らが心身ともに甚大なダメージを被っていたことが伺い知れる。

なぜ、それほどまでに山中は破壊力のある左ストレートを打てるのだろうか――。このシンプルな質問を5年9カ月の間に何度か直接、山中にぶつけたことがある。そのたびに「自分でも分からないんですよ」「なぜなんですかね?」といった返事が決まって返ってきた。それでも粘ると、「説明になっているかどうかは分からないけれど」と前置きしたうえで「人差し指と中指の付け根のあたり、特に人差し指を当てるように意識しています。そのため内側に捻るようにして打つと遠くまで届くんですよ」と“企業秘密”を明かしてくれたものだ。

ただし、これはあくまでも左ストレートに関する打ち方の説明にすぎない。それ以上に山中が重要視していることがある。「ボクシングの大部分を占めるのは足だと思うんです。パンチは上半身で打つのではなく、下半身で打つものだから足腰が大事なんです」というのである。そして「重要なのは距離感で、それが防御にもなるし攻撃にもなる。その距離感が自分の持ち味だと思っている」と加える。

これだけではない。スパーリングで何度も手合わせしたことがあるジムメートが「山中さんの左ストレートは顔面に来るのかボディに来るのか分からないので対応できない」と話していることにも注目したい。現にV6戦のシュテファーヌ・ジャモエ(ベルギー)戦のように左ボディ・ストレートでダウンを奪った試合もある。パンチを打ち出すタイミングや軌道にも山中特有のものがあるということなのだろう。

また、山中と陣営が、減量を含め常に試合に向けて良好な心身のコンディションをつくる術に長けていることも忘れてはならない。高度で安定した強さを発揮するためには欠かせない条件といえる。

ネリとの再戦でもベストの状態でリングに上がるものと思われるが、特にリベンジに向けた決意、覚悟に注目したい。

3月1日のネリとの再戦は山中にとってキャリアで最重要の試合と位置づけていいだろう。「再起は自分の意志。勝てると思うからもう一度戦うわけで、ネリに借りを返すことしか考えていない」と山中は言う。もちろん狙うのは左ストレートによるKO勝ちだ。

回転の速い連打で迫るネリ、一撃必倒の「神の左」を打ち抜く山中――試合開始のゴングから一瞬たりとも目の離せない試合になりそうだ。

ボクシング山中慎介×ネリ、セコンドの判断は間違っていない。

世界王座連続防衛の日本記録に並ぶはずの一戦で、山中慎介はキャリア初の黒星を喫した。本人がダウンしたわけではなく、セコンドの判断で試合が終わったことで大きな物議を醸している。格闘技ライターの高崎計三は、その判断は正当だったと主張する。その理由とは――。

VICTORY ALL SPORTS NEWS

村田諒太の“判定問題”の背景。足並み揃わぬボクシング4団体の弊害か

5月20日のWBAミドル級王座決定戦における村田諒太の“疑惑の判定”を巡る議論は未だ収束せずにいる。議論の中で、ジャッジのミスや不正ではなく、団体間の採点ルールの違いを指摘する意見を目にした人もいるのではないか。問題の背景には、世界のボクシング界に4団体が“乱立”することの弊害も垣間見える。

VICTORY ALL SPORTS NEWS

なぜ日本人選手は謝るのか? 社会学者の論考にみる『選手はもはや「個人」ではない』責任と呪縛

熱戦が繰り広げられている平昌オリンピック。メダルの期待がかかる日本人選手が続々と登場してくるなか、気に掛かるのは、その期待通りの結果を出せなかったときだ。これまでオリンピックなどのビッグイベントではしばしば、日本人選手がテレビの向こうにいるファンに向けて、涙ながらに謝る姿を目にしてきた。なぜ日本人選手は“謝る”のだろうか? スポーツの勝敗は誰のものなのだろうか? 平昌オリンピックが開催中で、東京オリンピックを2年後に控えている今だからこそ、あらためて考えてみたい。(文=谷口輝世子)

VICTORY ALL SPORTS NEWS

井上尚弥は、なぜ圧倒的に強いのか? 大橋秀行会長に訊く(前編)

さる5月21日、WBO世界スーパーフライ級2位のリカルド・ロドリゲス(アメリカ)にTKO勝ち。WBO世界スーパーフライ級王座の、5度目の防衛に成功した井上尚弥。その衝撃的な強さの秘密はどこにあるのか? 井上を育てた大橋ジム・大橋秀行会長に伺った。

VICTORY ALL SPORTS NEWS

中国のボクシング市場開拓に、日本はどう向き合うべきか?

今やボクシング界で、日本人世界王者は男子10人、女子4人。かつての常識では考えられぬ数まで増えたことで「王者の希少価値」を見直し、日本は一定の独自規制もかけ続けている。対象的に国際社会では新王座の乱立がとどまるところを知らず、現在は中国の本格的なボクシング市場開拓が、それに最も拍車をかけている。ボクシングで、日本は中国とどう向き合おうとしているのか。(文:善理俊哉)

VICTORY ALL SPORTS NEWS

原功

1959年4月7日、埼玉県深谷市生まれ。82年にベースボール・マガジン社に入社し、『ボクシング・マガジン』の編集に携わる。88年から99年まで同誌編集長を務め、2001年にフリーのライターに。 以来、WOWOW『エキサイトマッチ』の構成を現在まで16年間担当。著書に『名勝負の真実・日本編』『名勝負の真実・世界編』『タツキ』など。現在は専門サイト『ボクシングモバイル』の編集長を務める。