過去にも多くの負傷を抱えながらトップへ駆け上がる

「それも、苦しみながら楽しんでできたと思う」

そんな印象的な言葉を錦織圭が残したのは、復帰の目処がおぼろげながら見え始めた、昨年末のことだった。彼がここで言う「それ」とは、かつて居た場所へと戻っていくプロセス。昨年8月に、右手首の腱の脱臼というアクシデントに見舞われて戦線離脱した間に、ランキングは22位まで落ちていた。不安は当然、あっただろう。だが少なくとも年末頃の錦織に、悲壮や懐疑の影はさほど無かった。トップ10に返り咲く手応えについても「ぼんやりとはありますね。いつかはできるだろうと思っています」と、穏やかに口にする。再び挑戦者として山を登っていくことを、彼はどこか楽しみにしているようだった。

錦織がトッププレーヤーへの階段を猛スピードで駆け上がった時というと、8カ月の間にランキングを21位から5位まで急上昇させた、2014年が思い出される。

この年の錦織は複数のケガやアクシデントに見舞われるも、その苦境が闘争心を掻き立てたかのように、あるいは「負けても仕方ない」という開き直りが重圧を取り払ったかのように、逆境に立たされるほどに結果を残して周囲を驚かせた。股関節痛からの復帰戦のバルセロナ・オープンを制したことも、その一つ。さらに続くマドリード・マスターズでは、地元スペインのクレー巧者が列を成し対戦を待つタフドローを勝ち上がり、決勝では世界1位のラファエル・ナダルがうなだれるほどの猛攻を見せた。結果的には試合途中の棄権により優勝はならなかったが、この準優勝で手にした自信とキャリア初のトップ10の地位が、4カ月後の全米オープン準優勝へとつながっていく。なお、この時の全米オープンでも、錦織は大会開幕の3週間前に足裏ののう胞除去の処置を施したため、本人は直前まで出場を渋っていた。

ノーシードから果たしたファイナル進出

それから4年。モンテカルロ・マスターズに挑む28歳の錦織が置かれた状況は、24歳の頃よりさらに厳しいものだった。2月末に重度の風邪の症状に苦しめられ、まともに練習できない日が続く。体力や心肺機能も低下し、3月中は僅か2試合しかこなすことができなかった。ランキングも36位にまで落ちたため、モンテカルロではシードもつかない。結果、初戦で世界18位のトマシュ・ベルディヒと当たるタフな戦いを強いられた。

もっとも不幸中の幸いだったのは、ベルディヒは錦織が過去の対戦で4勝1敗とリードする、比較的得手な相手であることだ。初戦での対戦に嫌な感覚を覚えたのは、むしろベルディヒの方だっただろう。第1セットを落とすも、第2セット以降は緩急自在のプレーで長身の相手を振り回した錦織が、自身に勢いを与える勝利をつかみとった。

2回戦以降の道のりは、まだ万全ではない手首の状態や、久々の厳しい実戦の連戦で覚える心身の疲労との戦いでもあっただろう。その苦しい状況にありながら、精悍な表情でどんなボールも諦めずに追う姿や、遊び心に溢れたドロップショットなどを決めて浮かべる少年のような笑顔は、夢を追って己の殻を打ち破り、トップ10……そしてトップ5へと駆け上がった4年前のそれと重なる。決勝で敗れた相手が、やはりこの4年間に幾つものケガを乗り越え、再び世界1位の座に帰還したナダルというのも、偶然では片付けられない符号を感じさせる巡り合わせだ。

試合後の表彰式で、錦織はナダルに「ちょっと強すぎだよ」と茶目っ気混じりに不服を申し立てるも、「長い間ケガで試合が出来なかったので、とても素晴らしい一週間になった。いつも僕を信じて支えてくれたチームのみんなのお陰。ありがとう」と笑顔を見せた。

険しいスケジュールと、新旧トップ選手による群雄割拠が続く現在のテニス界では、この先に錦織が歩む道のりが、すべて順調という訳にも行かないだろう。それでも、そんなことは重々承知の上で再び高き山に挑む彼の姿を見られることは、ファンや関係者にとっても、極上の楽しみだ。

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内田暁

6年間の編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスとして活動し始める。2008年頃からテニスを中心に取材。その他にも科学や、アニメ、漫画など幅広いジャンルで執筆する。著書に『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)、『中高生のスポーツハローワーク』(学研プラス)など。