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絶対王者フェデラーの感動の優勝も、くすぶる問題

フルセットにもつれ込んだ熱闘は、マリン・チリッチ(クロアチア)のチャレンジが失敗に終わると同時に決した。“史上最高のオールラウンダー”ロジャー・フェデラー(スイス)が2年連続で全豪オープンを制した瞬間だった。
 
この勝利でフェデラーは全豪オープン6度目の優勝。ノバク・ジョコビッチ(セルビア)の最多優勝記録に並ぶとともに、自身の持つグランドスラム最多優勝記録を20に伸ばした。会場となった超満員のロッド・レーバー・アリーナ(オーストラリア・メルボルン)は総立ちで絶対王者を祝福し、2018シーズン最初のグランドスラムは最高のフィナーレを迎えた。
 
36歳になったとは言え、王者に相応しいテニスで連覇を果たしたフェデラー、21歳のチョン・ヒョン(韓国)ら次世代のスター選手の台頭と、2018年のテニス界も引き続き見どころ満載の好スタートを切ったように見えるが、実は深刻な問題を抱えている。深刻な問題とは、言うまでもなくツアー全体のケガ人、休養選手の多さだ。
 
「ツアーの運営者は、いま起こっていることをもう少し考えるべきだ。ケガをする選手が多すぎる。選手の健康に気を使っているのだろうか?」
 
フェデラーと並ぶもう1人の“生けるレジェンド・プレイヤー”、ラファエル・ナダルはこんな警鐘を鳴らしている。今大会の準々決勝の第5セット途中で右足を痛め、負傷棄権したナダルの発言は、自身の負傷だけでなく、昨夏のウィンブルドン終了後、右肘治療に専念していたノバク・ジョコビッチ、左臀部負傷で長期休養中のアンディ・マリー(イギリス)、スタン・ワウリンカ(スイス)、ミロシュ・ラオニッチ(カナダ)そして、右手首のケガから復帰を果たして調整中の錦織圭らトップ選手の相次ぐ離脱も念頭にあってのものだ。
 
「こうした硬いサーフェスの上でプレーを続けたら、私たちの将来はどうなってしまうのだろうか」
 
その後、ナダルは全豪のコートサーフェスの硬さに言及したが「私たちの将来」という言葉が暗示するのは、ATPツアーの将来そのものだ。

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錦織だけじゃない! 過酷なスケジュールで満身創痍の選手たち

幸いにしてナダルの離脱は3週間ほどで済むと言うが、男子ツアーにおけるトップ選手の不在、またはコンディション不良は昨シーズンから深刻さを増している。
 
原因の一つになっているのが、ATPツアーの過酷なスケジュール。グランドスラムの管轄は国際テニス連盟(ITF)になるが、ツアー全体を取り仕切るATPのカレンダーとルールが選手を苦しめている。
 
錦織選手の活躍で、世界各地で行われるテニスツアーの結果が報道されるようになると「テニスって一体いつがオフシーズンなの?」という質問をよく受けるようになった。
ツアーのカレンダーに目をやると、1月から11月上旬のATPツアーファイナルズまでほぼ休みなく大会が組まれている。国別対抗のデビスカップ決勝を戦う選手がシーズンを終えるのは11月の終盤で、実質のオフは次シーズンへの調整期間も兼ねる12月しかないことになる。選手たちは異なるサーフェス、異なる環境に身を置きながら、世界各地を転戦し、年間平均で一人当たり20~25大会に出場する。
 
日本のファンには「錦織選手はケガがち」という印象があるかもしれないが、ATPツアーを戦う選手たちは、「痛いところがない選手はいない」のが常態化している。
「ケガなら無理せず休んで、グランドスラムに照準を合わせればいいのに」
もっともな意見なのだが、ATPツアーにはそれを許さない事情がある。それがランキング上位30名の“コミットメント・プレイヤー”に課せられる出場義務だ。
 
簡単に説明すると、ATPではランキング上位30名に全豪、全仏、全英、全米のグランドスラム4大会、マスターズ1000の8大会、ATP500の13大会のうち4大会(しかもそのうち1大会は、シーズン最後のグランドスラム、全米オープン終了後である必要がある)への出場が義務づけている。細かいルールは省くが、この施策はスター選手が世界中のツアー大会にまんべんなく顔を出し、大会のクオリティを保ち、ツアーを盛り上げるためのルールという側面もある。
 
休めない選手には過酷だが、観に来たファンにとっては「お目当ての選手が欠場する」「有名選手が出場しない」というリスクを避けられるわけだ。

カレンダーと出場義務が大会の価値を高めるジレンマ

実際にATPツアーのこうした施策は、いまのところ商業的には成功している。というのも、賞金総額No.1の全米オープンで選手に支払われる賞金額は5,040万ドル(約56億6300万円)と毎年過去最高を記録。閉幕したばかりの全豪オープンの賞金総額も昨年比10%増額の史上最高額、5,500万豪ドル(約48億5,300万円)と上昇を続けている。
 
アメリカの経済誌フォーブスが発表した『最もブランド価値のあるアスリート』では、レブロン・ジェームズ(NBA)を抑えてフェデラーが1位、同誌の『最も高収入なアスリート』でも、フェデラーは4位にランクインしている。
 
現在のテニス人気を“錦織フィーバー”として受け止めている日本のファンは多いかもしれないが、世界的に見てもプロテニスの価値は確実に高まっているのだ。
 
「観客の見たい物を見せる」という戦略は、見事にATPツアーの価値を高める結果になった。しかし同時に、ツアーの魅力を生み出す最大の“資源”である選手たちがこのルールによって苦しめられているのは皮肉なことだ。
 
こうした事態にATPは近年、一定の条件を満たしたベテラン選手に配慮した減免措置を敷いたが、これも一部のベテラン選手しか恩恵を受けられないルール。フェデラー時代が長く続くのは、紛れもなく彼自身の実力だが、免除権を得ているフェデラーが他の選手よりも休養期間を長く取ってリフレッシュできているという事実はある。錦織選手はその条件をクリアしていないため、休みたくても休めない状況の中で負傷による長期離脱というブランクを背負うことになってしまった。
 
過密日程、過酷な出場義務による弊害は、もはや「世界の至るところでトッププレイヤーのプレーが観戦できる」というATPツアーの魅力とトレードオフというところまで来ている。
昨シーズンから始まったNext Gen ATPファイナルズの初代王者であり、数年前から活躍が期待されていた新星チョン・ヒョンは、全豪でも4回戦で同大会6度制覇のジョコビッチベストを破り4に入る快進撃を見せたが、そのジョコビッチがケガ明けでベストパフォーマンスではなく、ランキングトップ10経験者が複数不在の大会と注釈をつけられてはたまらない。自身もフェデラーとの準決勝で足を痛めて負傷棄権という終幕だったが、紛れもなく次代を担うスター選手の活躍をすっきり喜べない現状は、テニスファンにとってもストレスフルだろう。
 
大いなる矛盾を抱えたまま、おそらく2018年も商業的な記録を更新し続けるであろうグランドスラムとATPツアー。
 
前人未踏のV20を達成したフェデラーは、優勝カップを掲げた後、スピーチで自らを支えてくれたチーム・ロジャーの面々に感謝の意を表すと、こらえきれず涙した。全豪の舞台ではすでに6回、グランドスラムでは20回目の優勝でも、フェデラーにとっては特別な優勝。その涙には、単に節目の20回というだけではなく、1999年のプロ転向から過酷なツアーを戦い抜き、19年後にこうしてチャンピオンでいられることの重みが込められていた。
 
スター選手が出場する目玉の大会を増やすカレンダー、出場義務などのルールで一躍世界的なメジャースポーツとしての地位を高めた男子テニスツアー。特にグランドスラムはスポーツ界ビッグイベントの座を確固たるものにしたが、「トッププレイヤーが万全の状態で最高のパフォマンスを見せる」という大会の格に相応しいお膳立てができない状態が続けば、現状の人気と商業的な成功が“泡”と消える可能性もある。

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大塚一樹

1977年新潟県長岡市生まれ。作家・スポーツライターの小林信也氏に師事。独立後はスポーツを中心にジャンルにとらわれない執筆活動を展開している。 著書に『一流プロ5人が特別に教えてくれた サッカー鑑識力』(ソルメディア)、『最新 サッカー用語大辞典』(マイナビ)、構成に『松岡修造さんと考えてみた テニスへの本気』『なぜ全日本女子バレーは世界と互角に戦えるのか』(ともに東邦出版)『スポーツメンタルコーチに学ぶ! 子どものやる気を引き出す7つのしつもん』(旬報社)など多数。