テニスプレーヤーの帰る場所

©内田暁

「オフシーズン」という言葉がなんとも空虚に響くほどに、テニス選手のオフは短い。女子のWTAツアーは10月末まで大会が開催され、男子のATPツアーに至っては11月中も試合が行われていた。加えて下部大会ならば、一年中世界のどこかでトーナメントが開かれている。しかも「新シーズン」が始まるのは、厳密には年が明けるより早い12月末だ。

テニスの大会群が「ツアー」と呼ばれる事実に象徴されるように、テニスプレーヤーたちは1年の大部分を“旅”に費やす。多くの選手が年間20から25大会に出場し、その大半が異国の町で開かれる。1~2週間に渡って行われるトーナメントの開催地を、移動でつなぐのがテニスプレーヤーの日常だ。

そのように旅に身を置くからこそ、テニス選手は“帰れる場所”を求めもする。個人競技であるテニスでは、選手は基本的にチームなどに属している訳ではない。つまりは練習を行う場所や、そこで打ち合う相手や指導者なども、自分で見つけなくてはならない。だからこそ、旅の合間にいつでも戻ることができ、信頼できるコーチやトレーナー、あるいは仲間と共に練習に打ち込める場所……すなわち“拠点”があることは、心の安寧を得るうえでも大きな意味を持つのだろう。

日本のテニス選手が“拠点”に定める場所は千差万別ではあるが、いくつかのパターンに大別できる。

一つは、東京の味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)を使うこと。文科省管轄下のこの施設には最新鋭の設備と、理学療法士や栄養士など、各分野のスペシャリストたちが揃う。ただ問題は、屋内コートがハードコート2面、クレー(土)コートを含めても4面しかないことだ。シーズン中ならまだしも、多くの選手が国内で練習やトレーニングに打ち込むオフシーズンでは、コートを使える時間は限られる。なによりNTCを使えるのは基本的に、男女それぞれ20名前後の強化指定選手たち。もちろん、それらの選手も強化対象から外れる可能性は常につきまとう訳で、その意味では真の“ホーム”に据えるのはリスクが伴う。東京近郊以外の地域で育った選手なら、不安を覚えるのはなおのことだ。

 自身がテニスを始めたスクールや施設を、引き続き拠点として使う選手が少なくないのは、そのためでもあるだろう。兵庫県出身の奈良くるみは、幼少期に通っていた大阪の江坂テニスセンターを、今でもNTCと平行して活用している。このテニスセンターの最大の利点は、屋内10、屋外12を誇るコート面数。また地縁やテニス関係者のつながりも強固なため、近隣の大学テニス部の学生などをヒッティングパートナーに呼び、好きなだけ練習に打ち込める点にある。さらに奈良のような地元の選手にとっては、生家から1時間以内で通えるのも大きなメリット。何しろ彼女らは、年間の多くを海外で過ごしているのである。日本に居る時は家に滞在し、リラックスしたいというのが心情だ。

場所と同じく重要になる練習相手

©内田暁

やはり兵庫出身の尾崎里紗も、生家から歩いて15分ほどのテニススクール“ロイヤルヒル'81”を、今も拠点としている選手。彼女の場合は、11歳の頃から同スクールで師事してきた指導者が現在もコーチとしてツアー帯同しているのだから、環境を変えないのは自然の成り行きだろう。

ただ奈良や尾崎のように、幼少期に通っていたスクールの施設が、プロとなってからも使えるほどに充実しているのは幸運なケース。多くの選手は、自分で新たな拠点を見つけなくてはいけないのが現状だ。

そのような選手たちが集う西日本最大規模の“拠点”の一つに、兵庫県三木市のブルボンビーンズドームがある。デビスカップやATPチャレンジャー大会などにも活用されるこの屋内テニス場は、2007年に兵庫県の施設として誕生。元日本代表監督の竹内映ニ氏が運営するアカデミー“みんなのテニス研究所(通称テニスラボ)”の拠点でもあり、女子トップ選手の日比野菜緒や加藤未唯らを中心とする、男女15名前後のアスリートたちが常時汗を流している。

国内外のトップ選手も時折足を運ぶこの地を拠点とする恩恵は、多くの選手やコーチ陣と練習できること、そしてチームとしての一体感を抱きながら、互いに刺激を与えられる点にある。特に女子選手にとって大きいのは、トップジュニアや世界を目指す若手など、男子選手と練習できることだ。日比野は「大学生だとこちらに遠慮するだろうが、ジュニア選手は本気で向かってきてくれるのが嬉しい」と言い、加藤も「動きが良く、ショットの威力も高い男子と出来るのは大きい」と同調する。一方の若手男子たちにしてみても、女子トップ選手と打ち合うことで「集中力や気迫など、これがトッププロなんだと得るものが多い」という。そのように世界を身近に感じられる環境だからこそ、滋賀県や奈良県から片道3時間近くかけて通う選手もいるのだろう。

女子選手以上に難しい男子選手の拠点選び

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これまで見てきたように、女子選手たちが拠点を選ぶ上で大きいのは、男子学生や若手を練習相手にできる環境だ。ただそうなると難しいのが、男子トップ選手たちの拠点選びである。自分と同等かそれ以上の選手と練習する機会は、強くなればなるほど、限られてくるのだから……。

日本代表としてデビスカップ(国別対抗戦)等を戦い、昨年は楽天ジャパンオープンのダブルスで優勝した内山靖崇は、現在は拠点をスペインのバルセロナに置いている。内山は中学生時に、元ソニーUSA会長の盛田正明氏が設立した基金の援助を得て、米国フロリダ州のIMGテニスアカデミーに留学。そこは錦織圭をはじめとする多くのトップ選手が集う、世界最高峰にして最新鋭の設備を誇るテニス選手養成所だ。錦織は、今に連なる自身の原体験として「10代半ばの頃に、トミー・ハース(元世界2位)らと練習できたこと」をよく口にする。決して海外暮らしが好きではない彼が今もフロリダの田舎町に留まるのは、テニスに恵まれた環境ゆえだ。

内山は18歳の時点で、資金面等の条件が厳しくなったため、IMGを去り帰国。本人曰く「本意ではない」ながら日本に戻った後は、NTCを拠点の中心に据えていた。そんな彼がスペインに移ったのは、2年半前。それは「自分のテニスを向上させるため」という、明確なビジョンを抱いての自らの選択だった。

「僕は調子が良いと上位選手にも勝てるが、下位選手に負けることも多かった。安定して勝つために何が必要かと考えた時に至ったのが、ストローク技術の向上でした。そのために、クレーコートでの練習機会を増やしたら何か変わるかなと思い、スペインに決めたんです」

決断の日を明瞭に振り返る彼は、「ただ海外に行けば強くなる訳ではないし、そこだけにこだわる必要はない」と続ける。「自分が何を求め、それを得るためにどこに行くかが一番大事だと思います」と説く彼は、昨季は単複で過去最高の結果を残した。

あまりに短いテニス選手の「オフシーズン」は、実際には「オフ=休暇」ではなく、長いシーズンを乗り切るべく、激しいトレーニングに打ち込む期間である。自ら選んだ(あるいは本意ではないながら身を置く)拠点や環境下で、いかに充実した日々を過ごしたか――その真価が問われる新シーズンは、暦が変わるのを待たずして、既に始まりを迎えている。

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テニスの試合を見ていると、選手が“メディカルタイムアウト”を取る場面をしばしば目撃するだろう。その時に選手の元へと駆け寄り、コート上の限られた環境で素早く診断を行い、そして定められた3分間で治療を行うのが、大会やツアー公認の理学療法士(フィジオセラピスト)である。男子テニスツアーの最上位郡である“ATPツアー”が認める公認理学療法士は、現在全18人。その少数精鋭部隊のなかで活躍する、唯一の日本人が鈴木修平氏だ。果たして鈴木氏は、いかなる道を辿り狭き門をくぐったのか? そして理学療法士には、どのような能力や資質が求められるのか? 本人に語って頂いた。

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内田暁

6年間の編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスとして活動し始める。2008年頃からテニスを中心に取材。その他にも科学や、アニメ、漫画など幅広いジャンルで執筆する。著書に『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)、『中高生のスポーツハローワーク』(学研プラス)など。